Chicago Shimpo
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明府真影流手裏剣術の宗家・
大塚保之氏がシカゴを訪問

• 明府真影流手裏剣術の宗家、大塚保之氏が在シカゴ市ベルモントの日本文化会館内にあるシカゴ稽古会明府真影流を4月9日から10日まで訪れ、メンバーの指導に当たった。
• 手裏剣術は古来からの武術の一部で、忍者が手のひらに十字や八方手裏剣を乗せてシュッシュッと連続的に投げるイメージは時代劇によって作られたもの。
• 実際に用いられる手裏剣は先が尖った棒状手裏剣で、かさばらず隠し持つのに適している。侍が敵に遭遇した時に、刀や槍が届かない位置から手裏剣を相手に投げてダメージを与え、相手を先制する役目を持っている。明府真影流は棒状手裏剣の技術を伝承している。

手裏剣の形

• 時代劇でよく見る車輪状手裏剣も実存する。十字、五方、八方手裏剣などがあり、十字手裏剣は13センチ、八方手裏剣は10センチ弱と意外に大きく、厚みは5ミリ以上、重さも100g以上あり、手のひらに重ねて連続的に飛ばすのは無理だと分かる。
• 車輪状も棒状手裏剣も、上から打ち下ろすのが正しい打ち方とされている。刺さる部分が多い車輪状手裏剣は比較的に技術が簡単で、標的に突き刺さる率(刺中率)も高い。しかし、これが武術として伝承されている例は殆どなく、武術として日本の各流派が伝承しているのは棒状手裏剣が通常だという。

• 手裏剣術では三間(約5.4m)から四間(約7.2m)前後を有効な射程距離としている。三間を超える間合いがあれば相手の武器の威力が届かず、手裏剣の優位性がある。手裏剣は「打つ」と表現され、一瞬の勝機をとらえて手裏剣を打ち、間髪を入れずに刀を抜いて本格的な攻撃に移る。
• しかし、三間、四間離れた標的に棒状手裏剣を的中させるのは容易ではない。手裏剣は手を離れた時から放物線を描いて地面に向かう。標的に直角に当たるように距離と手裏剣の動きを計算しなければならない。対戦時にそんな時間はないから、とっさの判断を訓練で磨いて行く。
• 大塚氏は、手裏剣の打剣技術の伝承は容易ではないと語る。手裏剣の形状や構え方などは言葉や図で説明できるが、実際に剣を打つためのノウハウは伝承されにくいという。
• 明府真影流はヨーロッパを中心に世界17カ国に支部を持ち、大塚氏が自ら出向いてそのノウハウを伝えている。

大塚保之氏と手裏剣

• 大塚氏は子どもの時から自然に棒状手裏剣の投げ方を知っていた。指の間に棒状手裏剣を挟んで手の中を滑らせるようにして投げる。その時に剣尾を親指で押さえ込むようにして回転しないように制御する。中学になると果物ナイフやペーパーナイフなどを投げやすく加工して、スパスパと板に打ち付けていた。大塚氏は、自分の古い記憶に手裏剣の握り方があったと話す。また、御前試合や武家屋敷での生活が古い記憶にあったという。

• 中学、高校、大学を出て、社会人になっても、大塚氏は手裏剣を打ち続けていた。明府真影流の創始者・染谷親俊氏の1980年の著書「手裏剣術入門」に出会ったのは大学生の時だった。その本を見てみると、自分が自然にやっていることと同じ事が書いてあった。
• 明府真影流の初代宗家・染谷親俊氏は戦前に「香取神道流」を学び、その中の武技から特に手裏剣術を抽出し、工夫と改良を加え「明府真影流」を創始した。大塚氏は1985年に明府真影流に正式に入門し、約10年を経て師範となった。1999年に染谷氏が没し、大塚氏は染谷氏遺族の快諾を得て2009年に宗家を継承した。

• 大塚氏はコンピューター・グラフィック・デザイナーとして勤務する傍ら、染谷氏の没後は師範として明府真影流の再建に取り組み続けた。稽古の回数を増やし、春秋の合宿を行い、インターネット普及の波に乗りウェブサイトを開設した。
• 徐々に問い合わせ、テレビ・雑誌の取材も入るようになり、海外からの取材や映画「カムイ外伝」の手裏剣術指導なども飛び込んできた。大塚氏自身も著書「手裏剣術のススメ」やDVD「秘伝!手裏剣術」を刊行した。
• 大阪に「関西稽古会」が設立され、北九州では門人会がスタートした。また、外国人の門弟達が帰国後に現地で稽古会を始め、海外にも複数の拠点ができた。こうして2006年から2007年頃には流儀の活動が軌道に乗った。 
• しかし会社勤務を続けながら、深夜まで海外からの問い合わせに慣れない英語で対応し、週末を手裏剣術の活動に充てるのはかなりの無理があった。宗家を継承して半年後の2010年1月、遂に軽度の脳梗塞を起こした。それを切っ掛けに退社し、武道家として独立し明府真影流の普及を決意した。

• 大塚氏は脳梗塞療養中、明府真影流の手裏剣術の解説本「How to Learn Meifu Shinkage Ryu」を英語で書いた。その本を元にスペイン支部長がスペイン語に翻訳し、商業出版された。その後すぐにドイツ語版も出版された。そして6月初旬にはアメリカを、秋にはフィンランドとスペインを訪問することが決まった。独立した年、海外での活動が急速に活発化した。
• 大塚氏は、なぜここまで手裏剣術に惹かれるのかと兼ねてから考えていた。手裏剣の握り方を教わらなくても知っていたこと、御前試合や武家屋敷での生活の様子などの古い記憶、原因不明の切られるような左肩の痛みなど、不思議なことが多々あった。
• 2010年のある日、霊能者に聞いてみると、「あなたは柳生新陰流の当主で、柳生藩の江戸屋敷に生まれてますね」と唐突に言われた。また、現在の門弟も殆どが江戸時代からの転生だとも言われた。

• 大塚氏は調査を行い、いろいろな条件を考え合わせると第十代柳生藩主・柳生俊章に行き着いた。また、米国人歴史研究家らの古い資料から、門弟の人々との古い縁も分かってきた。不思議なことに大塚保之氏の「保」の字は、婿入りして来た柳生俊章の父・俊豊の実家、大和郡山藩の藩主・柳沢家に代々使われていた。
• 大塚氏はこういった多くの因果関係を「手裏剣と私」という本にまとめている。かくして大塚氏は前世を認識するに至った。
• 2010年以前は、明府真影流手裏剣術の支部や稽古会は、日本を含めて3カ国・4カ所に過ぎなかった。しかし、2015年3月までに世界17カ国・30カ所に拡大した。大塚氏は「私が『前世』を認識した後の5年間で得た成果だ」と同書に書いている。支部や稽古会を置く国は、フィンランド、エストニア、スペイン、イタリア、イギリス、ドイツ、アメリカ、オランダ、スイス、チェコ、スロベニア、オーストリア、ロシア、チリ、タイ、アイルランド。


Soke Yasuyuki Otsuka with the member of the Meifu Shinkage Ryu School of Shuriken


Soke Yasuyuki Otsuka


Different size and shape of shuriken