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「ボクは坊さん」真壁幸紀監督インタビュー


• 四国八十八カ所霊場、第57番礼所である栄福寺の住職・白川密成氏の実体験をもとにした映画「ボクは坊さん」が、5月4日と8日にシカゴ市のAMCで上映された。4日の上映会には真壁幸紀監督が出席し、上映後にはQ&Aセッションが行われた。
• 「ボクは坊さん」は、アジア系の映画を通じてアジア文化を一般アメリカ社会に紹介しようという非営利団体Asian Pop-up Cinemaの「ソフィアのチョイス」というプログラムの一環として上映されたもので、同シネマの創始者でエグゼクティブ・ディレクターのソフィア・ウォング・バシオ氏が日本映画の紹介として選び、真壁監督を招聘した。ウォング・バシオ氏は同映画を選んだ理由として、その映画について多くのディスカッションができるからだと語った。

あらすじ

• 栄福寺で生まれ育った白方進は高野山大学で修行し、阿闍梨(あじゃり)の位を得て栄福寺に戻った。寺の住職である祖父を助けるでもなく、本屋の店員として働いている。
• そんなある日、祖父が倒れた。進は頭を丸め、24歳で住職になることを決意する。名前も光円と改めた。
• お坊さんの世界は知っているようで知らないことが多い。頭用の電気カミソリや位牌専用プリンターなど、いろいろな専用グッズも販売されている。お坊さんの野球チーム「南無スターズ」だってある。
• 住職の仕事は多忙だった。毎日のお勤めはもちろんのこと、寺の運営から檀家との話し合いなど気を遣うことも多い。まだ駆け出しの光円を、檀家の長老は相手にしてくれそうもない。
• お寺は葬式だけではなく結婚式もある。ほのかな思いを寄せる幼なじみの結婚式を執り行う光円は、お寺とは人生の節目を見守るところだとつぶやく。
• 静かに時間が流れるようなお寺にも、いろいろな事が起きる。映画「ボクは坊さん」は、光円が一つ一つの出来事に向かい合いながらお坊さんとして成長していく様子を温かく人間味豊かに描いている。

• 「ボクは坊さん」は真壁幸紀監督のデビュー作。真壁監督は「ALWAYS 三丁目の夕日」で助監督を務め、第一線の現場でキャリアを積んでいる。スクリーンに映し出される栄福寺と周辺の美しい景色にも真壁監督は細心を配っている。

インタビュー 
真壁幸紀監督

• Q:光円さんがお坊さんとして成長していく様子をどの様に映画に?

• 真壁:彼はいろいろな壁にぶち当たりながら、いろいろな事をしようとします。最終的には繰り返しの日常なんだけども、毎日毎日を丁寧に生きることで、立派なお坊さんになれないだろうかと道を見つける話なので、映像的に繰り返しの表現を使っているのは、そういうことを伝えたかったからです。

• Q:光円さんが思いを寄せていた女性の結婚式を執り行いますね。辛さは分かるけども痛々しさは感じない素晴らしいシーンだと思います。

• 真壁:お坊さんの話だと、どうしても葬式の場面だとか、生きる死ぬの話になってくるので重たいだけの映画になってしまいます。
• そうではなくて、仏教の側面と、恋もするしお酒も飲むという光円という青年の成長物語をポップな部分として入れて、葬式などのダークな部分を上手く融合しながら皆さんが楽しめるような映画にしたいと、ずっと考えながら撮っていました。

• Q:映画に出て来るお坊さんの居酒屋って本当にあるんですか?

• 真壁:実際の住職の方のストーリーがベースになっているので、基本的に実在している所で撮っています。栄福寺も実際にある所だし、彼が働いていた本屋や、幼なじみが一緒に飲んでいたバーでも撮影しています。
• 高野山の居酒屋だけ実際の所は使えなかったんですが、映画のああいう雰囲気で、本当にお坊さんだらけの居酒屋という所があって、基本的にリアルに則して撮ってあります。

• Q:長老のイッセイ尾形さんと光円さんが丘の上から見下ろすシーンがありますね。そういった場所の設定などにも細心を配られているのですか。

• 真壁:あれも実際に栄福寺からちょっと上がった所にあって、実在のご住職も良く行っていた場所なんです。
• もっと景色のいい場所がいっぱいあるんですけど、あのお寺の空気感の中で、この物語の身の丈に合った景色を選ぶようにしました。離れた所に行くと、木の感じなども変わって来るので。
• この映画を見て、栄福寺に行きたいという人達が結構います。その人達が実際に行ってみて、栄福寺から離れた所にその丘があったら残念じゃないですか。それも考えながら撮りました。
• 普通映画では愛媛県という設定になっていても東京で撮ることがよくあるんですが、今回はそれを止めようと、出来るだけ現実に則して撮りました。この映画は派手なところがある訳じゃないので、何か身近に感じてもらえる映画にしたい思いが大きかったですね。

• Q:真壁監督は31歳の若さですが、年上の人達を相手にする難しさは?

• 真壁:もちろん最初はね。僕が小さい時から出てるイッセイ尾形さんを演出するというのは緊張はするんですけど、僕がイッセイ尾形さんに遠慮しちゃうことによって、スタッフの仕事がダメになっちゃうんで、そこはやはりスタッフの代表として言わなきゃダメなんだなぁと言う気持ちで緊張しながらもやはり言ってましたけどね。
• イッセイ尾形さんも凄いプロフェッショナルなので、もちろん、そこは僕が若い監督であろうと、ちゃんとディスカッションしてくれるので、逆に経歴の長い役者さん達に助けられながら作ったという感じですかね。

• Q:どうして監督になられたのですか?

• 真壁:中学・高校の頃までは日本映画はダサイと言われていて、あまり見ませんでした。でもその頃から北野武、行定勲など若い監督達が海外でも活躍し、日本でも盛り上がって、そこで邦画をたくさん見るようになりました。
• 家庭にビデオカメラがある時代だったので、友達のビデオカメラを借りて、独学で自主映画を作り始めました。 
• 学習院大学では法律を学びました。卒業後、映画製作会社のRobotに入社し、最初はCMを作るアシスタント・ディレクター、それから映画のアシスタント・ディレクターをやり、仕事をしながら学んで行きました。
• その時に監督の演出を見ていて、自分だったらこうするだろうと考えながら見ていたのが役に立ったと思います。

• Q:競争が激しい中で監督になられた成功の秘訣は?

• 真壁:携帯電話でも撮れる時代ですから、5分ぐらいの映像を撮ってどこかの映画祭に流せばみんな映画監督になれる訳です。ですが、どういう映画監督になりたいか、そこがみんな明確になっていないという気がするんですね。
• 僕は映画監督になりたくて、Robotという会社に就職しました。「Always 3丁目の夕日」のように難しい映画ではなく、本当に子どもからお年寄りまで見てもらえる分かり易い映画を目指しています。方向付けを最初から言っていたというのが、わりと(監督への)近道だったかと思います。
• やはり自分がどんな映画が好きなのかが大事ですよね。自分が見たい映画を作る訳ですから。学生時代によく見ていたのが分かり易い映画だったので、自然にその方向に向いて行ったと思います。

• Q:監督になりたいと思いながらも、大学は法学部ですね。

• 真壁:そうですね。18、19歳ぐらいの時に、10年後、20年後に映画監督になるのだったら、視野を狭めない方がいろいろな人物像が描けるのではないかと思っていました。法律以外にもサークル活動をやって、いろいろなことを経験できたのが良かったなぁと思います。先輩の監督達の経歴を見ても、政治や教育など一般常識を学んでいる人達がたくさんいます。

• Q:次の作品の計画は?

• 真壁:まだ決まっていないんですが、次の作品をいろいろ仕込んではいますね。「ボクは坊さん」は原作があったんですけど、やはり日本ではオリジナルが少ないので、オリジナルで脚本を書いたりしています。テーマとしては生きる死ぬの話になって来ると思います。

• Q:今後の抱負をお願いします。

• 真壁:野球選手をはじめ何でも海外に行っているのに、日本映画はなかなか海外に出て行かないので、海外で見てもらえるように日本映画を作りたいなと思います。
• それには日本映画界自体が海外に行かなければダメなので、僕らの世代で頑張って行きたいなぁと思っています。

• ありがとうございました


Director Yukinori Makabe