Chicago Shimpo
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日本祭り、
多岐に亘る文化を一気に紹介


• Japan Festival(日本祭り)が6月11日と12日の両日、アーリントンハイツにあるフォーレスト・ヴュー・エデュケーショナル・センターで開催された。今年は日本・日系12団体をくくる日米評議会が主催、シカゴ日本人会の発表によると、2日間で約5000人が訪れた。
• 開会式で岩藤俊幸在シカゴ総領事は、和太鼓や箏などの演奏、武道、などの伝統芸術だけでなく、カー・レーシングや現代パフォーマンスなど、ヴァラエティに富んだ日本文化を一つの場所で経験できると、大規模な日本祭りについて語った。
• アーリントンハイツのトーマス・ヘイズ市長は長年に亘り友好関係を築いている日本・日系コミュニティを歓迎し、日本祭りは地元文化との架け橋であり友情を構築するものだと語った。

• 日本祭りはシカゴ双葉会全日校の生徒による「ソーラン」で幕が上がった。
• フィールドハウスでは居合道、合気道、剣道、和太鼓演奏、コスプレイ・コンテスト、空手、柔道などが次々に行われた。また、御神輿もワッショイワッショイと繰り出した。

• シアターでは和太鼓演奏、日本の歌のコーラス、沖縄舞踊と音楽、日本舞踊、箏演奏、弦楽演奏、ハワイアン音楽、ドキュメンタリー映画上映などが終日行われた。また、初日にはニューヨークのパフォーマー中澤利彦さんとPESUさんのパフォーマンスが行われた。客席からも多くがウォール・ペインティングに参加して盛り上がった。

• ホールウェイでは浴衣の着付けや鎧の試着などが人気を呼んだ。また、奥では茶道の説明や抹茶のサービスが行われた。展示室では生花や盆栽の展示も行われた。
• 展示室とフィールドハウスでは日本の風合いを持つ品物の販売や展示が行われ、今年は約50のヴェンダーや組織がテーブルを並べた。
• 野外では牛丼、ラーメン、たこ焼き、餃子、カレーライス、おにぎり、弁当などの日本食が来場者を楽しませた。また、かき氷や綿菓子がお祭りの雰囲気を盛り上げた。

• 日本祭りは1980 年代初頭にシカゴ日系人会がボタニックガーデンで開催し、日本文化を大々的に紹介した。日系人会消滅後はシカゴ日本人会(当時のミッドアメリカ・ジャパニーズ・クラブ)が引き継ぎ、ボタニックガーデンで開催を続けていた。しかし、ボタニックガーデンで大規模な補修工事が行われたため、2005 年にアーリントンハイツに会場を移した。当初は室内での開催に一般の人々を呼び込めるかどうか心配されたが、大成功を収めた。
• その後シカゴ日本人会主催・シカゴ商工会議所の協力という形で開催されていた日本祭りは、2014年と2015年はシカゴ日本人会とシカゴ日本商工会議所の共催で開催された。2015年は初めてアーリントンハイツの競馬場で「Japan Day Chicago 2015」として開催された。

• そして今年は初めて、傘下に12団体が入る日米評議会の主催で行われた。シカゴ日本人会の吉池学会長によると、昨年9月から日米評議会の主催に移行が始まった。「まだ12団体に十分にコミュニケーションが取れていないところもあるが、全団体で合同で参加すれば、大きな力となるポテンシャルがある」と吉池氏は語る。
• 昨年の競馬場は不特定多数の人々に日本文化を披露する機会となったが、元来ギャンブルの場所であり、茶道・華道・日本舞踊などの日本の伝統文化を披露する場所としては不適当な点もあったという。
• フォーレスト・ヴューに戻った評判は10対2で好評だった。落ち着いてできるというコメントがあったと吉池氏は話す。また、昨年はヴェンダー数に制限があったが、今年は約50の出展があった。 
• 吉池氏は「日本祭りはシカゴ日本人会が日系人会から引き継いでやって来た。しかし、日本人会だけでは高齢化は否めず、継承に力を入れられない。地域の人達が興味を持ってくれる日本祭りにするには、日本人・日系人が年に一回のお祭りとして楽しみにするような日本祭りにするには、他の団体と協力・合同でやらなければいけない。今回は試行錯誤でやったが、まだ説明しきれていないところがあって、(合同でやるには)数年かかると思う」と語った。 

パフォーマー・インタビュー
中澤利彦&PESU

• 2人のパフォーマンスは「上演中のカメラ、ビデオ撮影はご自由に。携帯電話の電源が入っているかどうか、今一度お確かめ下さい」という度外視なアナウンスで始まった。これは中澤さんがシナリオを書いたもの。
• 曲線を引きながら絵を描いていくPESUさんの前に、中澤さんが自由の女神の衣装と面で登場。その衣装を脱ぎ捨てると金色のアウトフィットだった。「シンプルな方がアメリカではウケるんですよ」中澤さんは語る。

• 中澤利彦さん

• 中澤さんは大東文化大学・外国学部英語学科卒業。在学中にモダンダンス部に入り、ダンスを始めた。2010年からニューヨーク在住。

• Q:ダンスのアイディアはどこから?
• 中澤:音や動き、アニメを見てそこから取ったりもします。

• Q:影響を受けたダンサーは?
• 中澤:日本人で世界で活躍している人達ですね。NYの蛯名健一さんには結構inspireされて来た感じです。

• Q:NYではどんなパフォーマンスを?
• 中澤:劇場バス「THE RIDE」から見る人に、通行人の振りしていて、いきなり踊り出すショーを見せるプロダクションがあって、そこでダンスをやっています。

• Q:NYのウケは?
• 中澤:NYでは良いものは良い、悪いものは悪い。ダメな時もあるんですけど、それはできるだけ排除して、いいものだけを見せるような形にしています。

• Q:稼げますか?
• 中澤:その時によって違います。フリーでやる場合もあるし、これぐらいの仕事でこんなにもらえるのかという時もありますね。

• Q:かなり激しく動かれますが、体を鍛えるのは?
• 中澤:筋トレなどはしなくて、ダンス3分間の動きをひたすらやって、それプラス自分のネタを作って、それをひたすら練習する感じです。逆立ができれば(ダンスは)できますよ。

• Q:学校で教えていらっしゃるそうですね。
• 中澤:教えるのは殆どありませんが、学校に行って講演しています。

• Q:これからの抱負をお願いします。
• 中澤:僕はダンスで活動して行きたいので、ダンサーという枠組みを越えた何か、自分にできることをやりたいですね。日本でやっている講演やワークショップもそうですし、旅も好きなので、そういうところで誰かと出会ってまた何か新しい活動ができたらと思っている所です。

• Q:ダンサーを目指す人にアドバイスは?
• 中澤:ダンスはパァーっと踊ったらダンサーじゃないですか。だからダンサーって言う目標のその先を考えたらいいんじゃないかな。例えばダンサーになって人に影響を与えたいとか、日本に帰ってもっと若者に夢を与えたいとか、ブロードウェイに立ちたいとか、世界中で活躍したいとか、その先があれば、ただダンスをやって終わりということじゃなくなるんじゃないかと思います。

• ありがとうございました。

• PESUさん

• Q:上手いですね。子供の頃から得意だったのですか?
• PESU:そう言うわけではないんです。小学2、3年の時に交通事故で右目を怪我して、13回ぐらい手術しました。日本ではアイパッチを付けていたりすると指を指される。それがいやで学校に行きたくなくて・・・。人生終わったなぁと思っている時に、グラフティという壁の絵を見て、こういうのを

• やりたいなぁと思って、15歳ぐらいからスプレー缶で絵を描いていた・・・そういう感じで始まったアートです。

• Q:NYに行ったきっかけは?
• PESU:出身地の静岡では(壁に)描いていてもすぐに消されるので、東京に行きたいと思って。東京芸大や他の大学も受けたけども全部落ちて。
• それで東京の専門学校に行ったのですが、絵のレベルが低かったので学校にも行かなくなって。東京でグラフティを描いていたんですが、やはり消される。2年になったら就職活動をするんですが、アーティストは就職するものではないと思って、海外に出ることにしました。
• サクラメントで3年間英語を勉強して、その間にサクラメントやサンフランシスコでギャラリーを始めたら、ある程度知られるようになりました。
• それから2005年にNYに勝負しに来たという感じですね。

• Q:NYはどうですか?
• PESU:プラット・アート・スクールに行こうと思ってTOEFLも勉強して、入学しようかなと言う時に、アートバトルに挑戦しました。1時間か2時間でキャンバスを即興で描いて仕上げるコンペティションです。それで2年間連続優勝しました。
• 僕に負けたのはプラットを卒業したヤツらだったので、大学に行ってもアーティストって意味がないと思ってやめました。
• 優勝したのでいろんなスポンサーが付いて、2005年からボーンっていう感じで、すごく調子がいいです。

• Q:中澤さんとはどの様に知り合いに?
• PESU:3年前にアメリカン・ガット・タレントというのがあって、それに利君が誘ってくれて、一緒にやりました。制限時間は1分間です。。
• そこから一緒に作っていこうよと話していたんですが、2年前に僕が脳出血で倒れてしまって。飛ばし過ぎたんですね。でも、見事に復活。治っちゃったんですよ。

• Q:絵が好きな人へアドバイスを。
• PESU:毎日絵を描くことじゃないですか。それを10年続ければ必ず有名な人になれるし、必ずお金を稼げますね。100%ですね。ただ、毎日できるかできないかという話しだと思います。紙に線を一本でもいい。それはアートですよ。そういう感じですよね。

• ありがとうございました。


Consul General Toshiyuki Iwado

Mayor Thomas Hayes