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ウルトラQ・ウルトラマン、
半世紀過ぎて今も熱く

• ウルトラQとウルトラマンが50周年を迎えている今年、ウルトラマンとフジ・アキコ隊員がシカゴに現れた。7月15日から17日に開催されたゴジラや怪獣ファンの祭典G-FESTの特別ゲストとして招待され、初代ウルトラマンの古谷敏さんと紅一点のフジ隊員を演じた桜井浩子さんが各々講演会とQ&Aセッションを開いた。

• 1966年、子供達は初めて見るウルトラマンのカッコ良さに夢中になった。50年経っても、あの時の興奮は熱く蘇って来る。子供達に正義感、勇気、思いやりの心を教えてくれたあのウルトラマンのパーソナリティを作り上げたのは古谷さんだ。何もかも初めての役作りは試行錯誤の積み重ねだった。

• ウルトラマンの銀色のボディは、当時の黒いウェットスーツに着色したもの。古谷さんは海水パンツ1枚でスーツの中に入り、いつも汗びっしょりだった。マスクは古谷さんの顔にピッタリ合わせて作ったもので、火よりも水を使う特撮シーンが大変だった。目や口の小さな穴から水が入って来ると、マスクと顔の間に隙間がないから何度も溺死しそうになった。

• 東宝演劇学校を卒業した古谷さんは、1960年に第15期東宝ニューフェイスとしてデビューした。宝田明さんの様なメロドラマのスターを目指していた古谷さんは、ウルトラマン役に白羽の矢を立てられ悩んだ。当時はスーツの中に入る役者は「ぬいぐるみ役者」と呼ばれ、蔑まされていた。古谷さんは183センチの長身、他にウルトラマンになれる男はいないと説得され、遂に引き受けることになった。古谷さんは「スーツアクター」というステイタスを築いた人でもある。

• Q:ウルトラマンになって欲しいと言われた時は?

• 古谷:主役だよって言われて天にも昇る気持ちでしたが、顔が見えないスーツアクターでがっかりしました。後押ししてくれたのは祖母です。「請われているんだったらやりなさい」その一言でウルトラマンになりました。祖母は僕がテレビに映った姿を見て、泣いてくれました。

• Q:戦う時のウルトラマンは前かがみですね。

• 古谷:僕が影響を受けたのは、理由なき反抗でジェイムズ・ディーンがナイフを持ったシーン。いつか俳優としてそのポーズを使いたいと思っていました。

• Q:初代ゴジラの中島春雄さんが入った怪獣との戦いは?

• 古谷:東宝の大先輩です。今は優しい人だけど、昔は怖かった。
• 怪獣の方は肉が厚いから殴ってもビクともしない。僕の方は薄いゴム一枚だから痛いのに、中島さんは平気で殴って来る。 でもね、中島さんは主役を立てるすべを知っている方だから、ウルトラマンを最後はいい感じで勝てるような環境を作ってくれました。

• Q:スペシウム光線のポーズは?

• 古谷:スタジオでカメラマンなどと4人で話し合って決めました。あのポーズが決まるように、毎日300回はポーズを取る練習をしていました。

• Q:ウルトラマンは話さないのですか?

• 古谷:マスクは元々、口が動いて台詞を言える設定でした。でもウルトラマンは宇宙人だから日本語を話すのはおかしいだろうと、台詞を話すのは止めることになりました。

• Q:ウルトラマンは39話で終わりましたね。

• 古谷:視聴率が40%を超える時もあって、円谷さんがあと13本できるかと言いに来ました。僕もできますよと言って、みんなでやりましょう!と盛り上がっていたのですが、特撮が間に合わなかった。
• TBSは(日曜夜の)ウルトラアワーを続けたかったので、13本(キャプテンウルトラ=実際は24話)を東映に頼んで作ってもらい、その間に円谷体制を整えてウルトラセブンが始まりました。

• Q:ウルトラセブンではアマギ隊員ですね。

• 古谷:ウルトラセブンにも入って欲しいと言われましたが、固辞しました。結局ウルトラマンで39本やりましたから、今度はオーディションなしでアマギ隊員の役が決まりました。主役ではないけども、レギュラーで出られるのは光栄でした。
• デザイナーの成田亨さんが僕に似合うような制服を作るよと言って、グレーの隊員服を作ってくれました。

• Q:ウルトラQではケムール人の役をやったそうですね。

• 古谷:ケムール人は、最初はローラースケートを履いて走る予定でした。頭が重くて前が見えなくて危険だからそれを止めて、僕がああいう独特の走り方をやったんです。頭だけで8キロもありましたから。

• ありがとうございました。

• 桜井浩子さん

• 桜井浩子さんは1961年にオール東宝ニュータレント第1期生としてデビュー、ウルトラQの江戸川由利子役、ウルトラマンでフジ・アキコ役を務め、特撮ヒロインの先駆けとなった。

• Q:江戸川由利子の役になったのは?

• 桜井:デビューから3年ぐらいでウルトラQのオーディションがあって、円谷英二監督の長男の一さんに「君がやりなさい」と言われて。

• Q:撮影はいつから?

• 桜井:1964年に開始して、1966年に放送開始になりました。撮影には1年以上かかっています。テレビで初めての番組だったので、円谷英二さんをはじめ、みんなでいろんな事をやってウルトラQが生まれました。

• Q:撮影はどうでした?

• 桜井:最初の3本ぐらいが終わると怪獣路線に切り替わって、いろんな怪獣が出るようになりました。ハッと驚かなければならないんですが、そんな演技を学校でも習っていなかったので、佐原健二さんの演技を見習いました。
• 私は毎日新報の記者の役だったのでカメラを渡されたんですが、使い方が分からないので私が撮ったのはみんなピンボケだと思う。

• Q:思い出に残る作品は?

• 桜井:「8/1計画」ですね。人間が小さくなるんです。セットに入ると、電話、メモ用紙、カメラがこんなに大きくて驚きました。その大きいカメラは今も東宝の倉庫においてあります。

• Q:ウルトラマンのフジ隊員役が決まったのは?

• 桜井:ウルトラQの撮影が3分の2位進んだところで、円谷一さんが「次も君がやるんだよ」と言ったので、フジ・アキコになりました。

• Q:ウルトラマンの撮影が始まってどうでした?

• 桜井:円谷英二さんはQの時は余り笑わなかった。評判が良かったので、ウルトラマンになってからはいつも笑っていて、あ、笑うんだと思いました。
• 放送日が決まっているので、ウルトラマンの撮影は忙しかった。夜家に寝に帰って、朝会社に来る。だからウルトラマンのメンバーやスタッフとは家族みたいに仲良くなって。今でも時々集まってお酒を飲んだりしています。

• Q:ウルトラマンが終わる時は?

• 桜井:聞いていなかったので、シナリオに「さらばウルトラマン」と書いてあるので全員でびっくりしました。
• 私達が衣装を変える所で特撮の人達がみんな徹夜して寝ていたので、あーこれは間に合わないんだと思いました。

• Q:今は何を?

• 桜井:今は円谷プロダクションでコーディネイターをやっています。
• 円谷英二さんと仕事をした人がだいぶ少なくなりましたので、私が円谷プロダクションにいて、若いみんなと一緒に明日のウルトラがどうなっていくのかと言うことも含めて、仕事しています。(喝采)
• 私が死んでもウルトラマンはこの世にあるように、それが希望なんです。だから、若い人達と一緒にウルトラの仕事ができることが、今非常に幸せです。

• ありがとうございました。


スペシウム光線のポーズを見せる、初代ウルトラマンを演じた古谷敏さん(右)


会場で映し出されたウルトラマンの1シーン



ウルトラQで江戸川由利子役、ウルトラマンでフジ・アキコ隊員役を務めた
桜井浩子さん



ウルトラマンのフジ・アキコ隊員