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大型インタビュー
伊藤直樹総領事に訊く


• 2月末に着任した伊藤直樹在シカゴ日本国総領事にお話を伺った。伊藤総領事は1960年11月生まれの東京出身。東京大学法学部第三類(政治コース)卒業後、1984年に外務省に入省した。

• Q:外務省の仕事を選ばれたのは?

• 伊藤総領事:学生時代に初めての海外旅行で東南アジアに行きました。シンガポールから鉄道とバスでマレーシア、タイのバンコックまで旅し、香港に寄って帰って来ました。1980年のことで、東南アジアは今とは全く違っていました。日本との関係もまだ戦後が色濃く、日本がどの様に見られているのかを学生の目で見るうちに、アジアとの関係というのを仕事にできれば面白いだろうなぁと感じていました。それが外務省を選んだ一つの理由だと思います。

• Q:ケンブリッジ大学にも行かれていますね。

• 伊藤:それは役所から行かせてもらいました。ケンブリッジに2年行って国際法と国際関係論を勉強し、その後在英国日本国大使館に2年近く勤務しました。
• サッチャー氏が首相として10周年を迎えた年で、その記念演説を英国議会のギャラリー内で聞くことができて、政治家サッチャーの面目躍如を目の辺りにすることができました。
• 1989年の5月に東京に戻りました。

• Q:2011年から2014年まで、今度は公使として在英国日本大使館に赴任されましたね。どう変わりましたか?

• 伊藤:英国の国際社会における相対的な位置づけが、残念ながら低下してしまったのは否めませんね。英政権内では、米国との関係を上手くやることが国際社会でのプレゼンスを上げるために重要だと言う意識は未だに強いと思います。

• 一方、欧州懐疑派の勢いが強くなり、キャメロン政権は国民投票という選択をせざるを得なくなりました。予期せぬ結果でEUからの離脱になってしまいましたから、英国の外交にとっても過渡期にあったと思います。

• 2012年、エリザベス女王の在位60年の行事には天皇皇后両陛下がお見えになりました。オリンピックもあり、それをソフトパワーとして利用する英国外交の巧みさや、ボランティアが一緒になって運営する市民参加型のオリンピックも興味深かったですね。
• 翌年にはG8サミットもありました。北アイルランドはテロや紛争が続いた所ですが、そこでG8という大きな国際会議を開き成功させたことは、北アイルランドが政治的にも治安情勢的にも安定したことを英国として示したことになります。

• このG8を切っ掛けに、北アイルランドと新しい経済関係を作れないかという自分なりの構想があり、ロンドン在住の企業の方々にご協力をお願いしたこともありました。当時北アイルランドに投資している日本企業が5社ほどありましたが、あまり企業の方が行かれる機会がないので、ロンドンの日本商工会議所の7社の方々を「七人の侍」と称して大使と一緒に訪問をお願いし、投資の潜在性を見てもらいました。結果として直ちに具体的な投資には結びつきませんでしたが、その後に北アイルランドの首相が日本を訪問されるということもありました。

• Q:日本と英国との関係はどうですか?

• 伊藤:かなり成熟した関係だと思います。最近力を入れているのは安全保障面で、いわゆる2プラス2という外務大臣と防衛大臣同士の会議も始まって、協力体制の具体的な枠組みもどんどん進んで来ています。
• もう一点は日本からの直接投資です。私の滞在中は英国が米国に次いで二番で、日立の鉄道車両工場建設や電通のPR会社買収など大きな投資がありました。
• 英国側の日本企業に対する期待も高く、ロンドン在住の日本企業のトップの方々を首相官邸に招いて、キャメロン首相と会合をやってくれました。この様な会合は英国では殆ど例がなかったのですが、それだけ日本の企業、日本の投資というものが英国にとって重要であり、まだまだ伸びる潜在性があると言う事だと思います。

• 変わったことと言えばこの30年弱の間に食事が非常に美味しくなりました。
• 欧州から離脱する背景には移民が来て職が奪われ財政負担が大きくなったというのがあるんですが、移民が来たことによって料理の多様性が出て来たんですね。昔の英国にはスタンドで食べるようなフィッシュ&チップスとインド料理と中華料理しかありませんでした。
• 今はそこに多様性が生まれて、尚且つ競争があって、非常に美味しくなりました。日本料理店も増えましたね。国を開くことによって多様性が出て来て生活が豊かになって行くという側面がある中で、EUから離脱すると言うことが果たして好ましい選択肢なのかを考えると、もったいないなぁと言う感じがします。

• Q:話は戻りますが、1999年に在ミャンマー日本大使館に勤務されたんですね。

• 伊藤:ミャンマーは発展の潜在性が高い良い所ですよ。ただ当時はまだ軍事政権下で閉塞感があり、人々の生活にも制約がありました。所得もまだ一人当たり100ドル位の状況で、2国間の援助をやっているのは日本ぐらいでした。
• ミャンマーは非常に親日的です。人々は勤勉ですし、古いものを上手く直して使える人達です。駐在した殆どの日本人はビルマのことを好きになるんですね。「ビルキチ」「ビルメロ」という言葉があるくらいです。
• 企業の皆さんも大使館の人間も、この人達と一緒になって国を豊かにするために何か出来ないかと一生懸命になってしまうところがありますね。軍事政権なので何かを進めようと思っても限界がありましたが、それでも当時の日本の企業の方は非常に踏ん張っておられました。今はビジネスチャンスが遙かに大きくなっていますし、企業の中での競争も出て来ています。
• 私の前職はJICAですが、民主化が進んだ今はJICAも工業団地を作ったり、インフラ事業をやったりしています。当時はそういう所まで進めず、駐在の人達との間には苦労を分かち合ったという意識が未だにありますよ。

• Q:2001年から国連日本政府代表部に勤務されていますね。ニューヨークですか?

• 伊藤:はい。転勤したのが2001年の8月の終わりで、マンハッタンで家探しをしている時に911が起きました。急いで事務所に行って初めて貿易センタービルに飛行機が突っ込んだことを知りました。最初はセスナ機がぶつかったという話でした。そうしているうちに2つ目の飛行機がぶつかって、それから先はもう交通も電話もすべて麻痺しました。

• 国連総会の開会式の日でした。日本から寄贈された平和の鐘を突くのが開会式の式典なんです。そこには国連事務総長や日本大使、日本からのお客様などが集まっていました。
• 開会式をまさに始めようとした時に9.11同時多発テロが起きたんですよ。それですべてが中止になって、それから先の国連総会はテロの話に集中しました。実際に各国の代表が集う国連総会の議事が再開できたのは11月になってからです。
• 最初の約3週間は邦人保護や安否確認などの事後対策で、総領事館と一緒になって領事の業務というものを二交代制・三交代制でやらせて頂きました。小泉総理も数時間ニューヨークに来られました。日本の方も二十四名亡くなられて、非常に衝撃的で痛ましいテロでした。

• Q:その後はどの様なお仕事を?

• 伊藤:国連総会の全体の運営をやるような仕事でしたね。テロ対策が重要でしたから、どうやって協力を進めるかということを議論しました。新世紀を迎え、国際協調やマルチラテラリズムが非常に意識されていた、そういうタイミングでした。そのほか国連改革による時代のニーズへの対応、国連財政の強化などの議論がありました。
• それに平行して、人間の安全保障の分野にも取り組みました。緒方貞子氏が国連に提唱して、その委員会を日本が中心になって作りました。国連の下にそのための基金を作り、それを国際機関向けに割り当てるような仕事もやっていました。

• Q:2003年6月にはアジア大洋局南東アジア第二課長に、同年12月には同局北東アジア課長に就任されました。2004年5月には小泉首相の北朝鮮訪問という、拉致問題で驚くべき進展がありました。その時のお話を伺えますか?

• 伊藤:小泉総理の二回目の訪朝に同行させて頂きました。その時は拉致被害者の地村さんと蓮池さんのお子さん達が帰って来られました。通常総理が外遊される時は政府専用機二機で行きます。二機目は予備機なんですが、この予備機にお子さん達に乗ってもらって一緒に帰って来ました。非常に緊張しました。
• その後は曽我さんの夫のジェンキンスさんが北朝鮮からジャカルタに出て来られて、この時も2人の再会をお手伝いしました。

• Q:交渉は北朝鮮と直接されるのですか?

• 伊藤:非常に難しい交渉相手ですよね。当時は六者協議というのが平行して動いている中で二度目の小泉訪朝が行われました。ですから六者協議をやる時に北朝鮮とも接触をして、一歩一歩動いて行ったところもあります。
• 今年2月、3月と北朝鮮が一方的にミサイルの発射をし、今また核実験の準備をしているという話もあります。東アジアの大きな平和と安定に向けた日米韓協力や中国のより積極的な関与が一層求められていると思います。

• Q:拉致問題は解決できるのでしょうか?

• 伊藤:被害者の方々の全員帰還を実現するために、政府を上げて一丸となって対応するという事が最重要課題です。北朝鮮との関係ではともかく拉致問題の解決というのが日本にとっては非常に重要ですし、拉致の問題、核の問題、ミサイルの問題というものを包括的に解決していくと言うことが日本にとって至上命題です。

• Q:2006年に国際協力局に勤務されていますが、ここでのお仕事は?

• 伊藤:外務省の国際協力局で援助政策を決定して、それを実施するのが国際協力機構(JICA)です。各地域に対するODAの政策と戦略を考えました。2008年に洞爺湖サミットやアフリカ開発会議もありました。

• Q:日本は途上国を積極的に支援しているのですか?

• 伊藤:そうですね、かつては日本の援助額が世界一だった時期があります。今は四番目か五番目ぐらいになっています。
• やはりアジアの中で日本が明治維新以来、民主主義体制と市場経済体制を取り入れていち早く先進国になったわけですから、日本をモデルに経済成長・発展を遂げたいと考えている国は世界に多いわけです。ですから、日本としてはそういう国々の支援や、日本企業の海外事業展開の環境を作っていくという観点からも開発援助が今後とも重要だと思います。
• 特に東南アジア諸国の発展は、インフラ開発と人作りが上手く組み合わさったことによって、日本の援助が貢献した部分が非常に大きいと思います。
• 日本政府の支援の柱はインフラの海外展開、国連で定めた持続可能な開発目標(SDGs)の達成、積極的平和主義に基づく開発を通じた平和促進。この3つをJICAも新たな方向性として打ち出し、歩み始めています。

• Q:2008年から在インド日本国大使館に勤務されていますが、インドはいかがでした?

• 伊藤:インドはなかなか生活環境が厳しいですし、国土が広く宗教も人種も多様です。
• インドに勤務する邦人の間で「遅々として進む」という言葉が言われます。なかなか物事は進まないが、全く進まないわけではないという事です。物事を進めるための下準備や交渉などが大変な国です。
• 日本企業もインドではご苦労されていて、90年代にはなかなか上手く行かなかったようです。2000年代後半になってインドにチャレンジされている企業がどんどん増えています。それに合わせて政府としてもサポートさせて頂いていますし、今JICAの支援でインフラ開発や新幹線の計画が動いています。

• インドのインフラはまだまだという感があります。デリーの住宅街に住んでいましたが、水の供給は午前と午後に2時間ずつでした。各家庭が地下のタンクに水を溜めておいて、足りなくなると給水車を呼んで水を買うんですよ。水事情、道路事情、電気事情どれをとってもまだまだです。それともう一つは衛生観念ですね。
• それから人付き合いも日本とはずいぶん違いますね。口達者で何事にも動じないように見えますが、インド人も気を遣うし傷つくんですよね。そういうところを理解するのは異文化を理解する上で大事なことです。その国に自分が馴染むためにも、そういう所を理解できることによって、そこに住むことの楽しさが増すと思いますね。

• 楽しむという面からすると、それぞれの土地で「これを食べていると幸せ」というものが見出せるかどうかで全然違うと思います。
• インドにはマサラドーサと言うのがあるんですが、カレー粉の入ったジャガイモを小麦粉を大きく焼いたものにくるむ料理です。これが私は意外と好きでした。
• ナレンドラ・モディ首相がまだグジャラートの首相だった時に、外交団と一緒に訪問したことがあります。昼食に彼が勧めてくれたのがマサラドーサで、これが結構美味くて、好きになりました。

• Q:インド在勤中に東日本大震災が起きましたね。

• 伊藤:実はあの時はニュージーランドのクライストチャーチにいました。2月下旬の地震でビルが崩壊し、邦人28名の方々が犠牲になりました。地震後の対応のために出張していたんです。その間に3月11日の震災が起きました。
• インドの人達も大変温かい対応をしてくれて、お見舞いのメールがどんどん入って来ました。インドの日本大使館前の通りにも大勢集まって、追悼の催しなどをいち早くやって頂いたりして、非常に有り難かったですね。気持ちを見える形で上手く表現できる方々ですね。

• Q:伊藤総領事は英語がご堪能と聞いています。勉強の方法などをお願いします。

• 伊藤:やはりイギリスの大学で勉強させてもらった時にやった部分もありますね。その時にも日本にいた時にもやっていた事は、新聞のスポーツ欄を読んで言葉を覚えることですね。
• イギリスへ行っても新聞のスポーツ欄を一生懸命読むわけですよ。そうすると見たこともない表現が出ていたり、シェイクスピアの台詞をもじった見出しが出ていたりするわけです。それを熟読すると、以外と英語の勉強になる訳ですよ。それとテレビは語学の修得には大事ですね。

• Q:ご趣味は?

• 伊藤:学生時代はサッカーやフットボールをやっていたこともありますし、海外ではゴルフをやっていました。今までの赴任地は全部ゴルフができる所でしたから。
• 自分がフットボールをやっていた頃はシカゴベアーズは強かったんですよ。85年にスーバーボールで優勝していますよね。だからベアーズも見に行きたいと思います。野球は巨人ファン50年ですから、カブスに上原選手が来たのは楽しみです。
• 音楽も聴きます。ニューヨークにいる時はメトロポリタンでオペラも見ましたし、クラシックも聴いていました。昔はリカルド・ムーティも好きで、ケンブリッジ大学にいた時は彼のロンドン公演に3日続けて通ったことがあります。
• リリック・オペラで大西宇宙さんという方が活躍していると伺いましたので、彼を見るのも楽しみですね。私の家族は妻と長男・長女の四人家族ですが、今回は残念ながら単身赴任です。

• Q:最後に抱負をお願いします。

• 伊藤:シカゴ総領事館の管轄10州に約3万3000人の在留邦人の方がおられますから、その方々の生活や仕事の安全・安心に総領事館として力を尽くすことが最大の務めだと思っています。
• それに加えて地方の交流行事にもできるだけ参加させて頂きたいし、10州も出来るだけ早く訪問して、知事や州の関係の方々に面会し、投資をされている日本企業の方々のご活躍ぶりを拝見したいと思っています。
• トランプ新政権の中西部への影響、そこにおられる在留邦人への影響にも注視し、できるだけ日本企業の投資環境が前に進むような形で企業の皆さんや団体組織などと一体になって、発信をさせて頂きたいと考えています。
• また、中西部の日系人の方々は事業の面でも成功されている方が多いと伺い、敬意を抱いています。良くお話を伺って、更にアメリカ社会で大きなプレゼンスを示して頂くために総領事館としてどのようなお手伝いができるか考えさせて頂きたいと思います。お祭りなどのイベントにも積極的に協力させて頂きたいと思っています。
• 在シカゴ総領事館は今年12月に開設120周年を迎えます。皆さんと総領事館との関係を発展させる大事な年だと思っています。

• Q:長い間どうもありがとうございました。


伊藤直樹・在シカゴ日本国総領事