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ジャズピアニストへ:47歳の決断
大江千里 大型インタビュー

• 1983年のオフィシャル・デビュー以来、シンガー・ソングライターとして、また俳優、ラジオパーソナリティ、小説家として日本で活躍していた大江千里さんが、ジャズピアニストとしてシカゴにやって来た。そして、ピアノが打楽器であったことを存分に知らしめるような力強いピアノや、軽快なダウンビートのボサノバ、背中をなでるような繊細なピアノサウンドを聞かせてくれた。
• 現在ニューヨーク在住の大江さんは、ツアー「Senri Oe in Midwest」を企画、5月31日にシカゴ入りし、6月1日にシカゴ市内のPianoForteで2コンサート、2日にはマウントプロスペクトのSummertimeで2コンサート、3日には日本祭りに突然現れてピアノ・ソロを聴かせてくれた。

ジャズの引き出しを開けた、47歳の決断

• 大江さんは15歳の頃、古いレコードでジャズを聴いた。ジャズ音楽の不思議な謎に強く惹かれたが、自己の進路はポップの世界に向かっていた。

• 18歳の時にエピックソニーから誘われ、デビューするためにボーカルやダンスのレッスンなどを受け、23歳で正式にデビューした。シンガー・ソングライターとして自分の曲のみならず、多くの歌手のために詩を書き曲を付け、数々のヒットを生み出して来た。
• 幅広く活動する中、ジャズをやりたいという思いがしばしば頭をもたげた。四十半ばを過ぎた大江さんは、長くしまっておいたジャズの引き出しを開け、ニューヨークのThe New School For Jazz and Contemporary Musicへ入学願書を出した。かくして日本での音楽活動に区切りを付け、2008年、47歳でジャズピアニストを目指した。

• Q:決断させたジャズの魅力とは?

• 大江:10代の頃、ジャズにマセていたんですよね。明るいのにどこか悲しみがあるとか、失恋とかネガティブなことを表現しているのに、どこかで元気が出るとか、そういうのに惹かれていて。
• もちろんポップスにもクラシックにもそう言う曲が一杯あるんですけど、やはり僕が言いたいのはセロニアス・モンクという作曲家のこと。彼が書く曲というのは、例えば親指から中指までがマイナーで、小指と薬指の間がメジャーになるみたいな、メジャーとマイナーが一緒にある、ポップとジャズが一緒にある、悲しみと楽しさがいっぺんに来る、一つの曲に二つのフェイズがある、というようなものですね。
• それが15歳の時の僕に凄く衝撃的で、藤井貞泰さんのジャズ教則本などを勉強したんだけども、とても中に入ることができなくて。

• 決断したのは、浮き沈みのあるポップ界でシンガー・ソングライターとして闘って、何度も壁を乗り越えて、40代を全身全霊で駆け抜けてきたからこそ「あー、もうやり残しはないなぁ」って思ったから。やはり10代の時にあんなに純粋な気持ちでジャズをやりたいと思った、その純粋な自分の気持ちに従って憧れのNY、アメリカに来ました。

• 心にあったキーワードは「ジャズの謎を解いていない」。もうこれをやらないで、僕は死ねないと思ったんですね。
• 1990年代の初めにNYにアパートを借りて日本とNYを行き来していた頃に、学生達が音楽用語を喋りながら“ニュースクール”などと話していて、それを調べたら海外からの志願者のオーディションをやっていることが分かったんです。すぐにソニー・ロリンズのソロを覚えて、ジャズの先生に協力してもらって演奏したものを送ったら「accepted」という返事が来たんです。

• Q:それまでの仕事を辞めることができたのですか?

• 大江:事務所に「えーっ、困ります」って言われるかと思ったら、「ま、行って下さい」みたいな返事で、「えーっ、止めないんだ!」と僕は・・・(笑)
• みんな大江千里が頑張り屋だというのを知っていたし、ジャズが好きでやりたいんだって言うことも周りがよく分かってくれていたから。
• 渡辺美里さんに会いに行って「アメリカに行くんだよね」と言ったら、美里さんは何も言わないで焼酎を出してきて「新しい未来に乾杯して飲もう」って、止めないんだ。信号が青になるからもう行かざるを得ない。(笑)

• Q:順風満帆の出発ですね。

• 大江:それが、シカゴで引っかかったんですよ。

• Q:えっ?

• 大江:僕のF1ビザは2枚綴りになっていましたが、引っ越し荷物の整理をしている時に1枚は要らないと思って捨てちゃったんですね。
• シカゴに着いた便は春学期前の学生ばかりで、30歳年下の学生がみんな2枚綴りのF1ビザ持ってた。僕は案の定「ノー」って言われて、2時間半留められました。結局夜中の2時ぐらいにニューアーク空港に着いて、誰もいない空港でタクシーを待って、アパートにたどり着きました。

• だからシカゴと言うと、僕は小さいキーボードと荷物と犬を連れて、成田で買った「侍」と書いたTシャツを着て、もう絵に描いたように気合いを入れているのに空港には誰も味方がいない、そんな2時間半でしたね。それが10年前です。

• でも最終的に僕は入国を許されて、その後卒業して、グリーンカードを取って、今自分でPND Records & Music Publish-ingというレイベルを作って、4枚ジャズのアルバムを出して、今こうやってまたシカゴに来ました。

• Q:学校はいかがでした?

• 大江:2008年の1月10日にこっちに来て、15日にはニュースクールのオリエンテーションがありました。僕以外の若い衆は全員ジャズが好きで入っていて、日本で音楽を30年近くやって来た僕としては、僕だけがジャズじゃない、僕だけが違うなってその時に分かったんですね。2、3年アメリカで頑張れば何とかなるというのはもう捨てて、ゼロからやらなきゃいけないなぁと思ったんですね。

• Q:学校に入った時にピアノが弾けなかったと聞いていましたが?

• 大江:音の狂った、鍵盤が抜けたピアノにキャスターが付いていて、それを18とか22歳の3人で一緒に移動させて、3分の1の時間をもらって弾いて、先生にその時の評価をしてもらって習っている感じでした。

• Q:肩や腕を壊したそうですね?

• 大江:そうです、最初の年に。僕は覚えた英単語に醤油をかけて食べる位に負けず嫌いだったので、グワーっとピアノを頑張っていたら、左手の感覚が無くなってしまって。何とか日系の先生を見つけて治療してもらって、血が出ても何も感じなくなっていた左手を4ヶ月ぐらいかけて少しずつ戻していきました。

• 左手がダメになった時に、僕の最愛の先生が「あなたはずっとスポットライトを浴びて来て自分のことしか頭にないけども、人の音、人の話をゆっくり聞く時間にすればいいんじゃないか。人生で初めて何ヶ月か弾けないって事があなたのアドバンテージだ」って言ってくれました。

• 自分が誰かに追い抜かされたら・・・という芸能界の闘いの中に常にいたから、そういう発想はなかったけども、諦めた途端に人の会話や音楽やジャズlanguageがいっぱい聞こえて来ました。地下鉄などで聞く他の人の演奏を一つ一つ覚えて、それを12のキーに移調させて、全部演奏できるようにするというのをその4ヶ月の間にやっていました。

• Q:順調に回復されましたか?

• 大江:ちょっとずつ腕が動くようになって来て、学校の2年目にはいろいろな授業にパスし始めて、オーディションにも受かるようになって来ました。4年目の時には発表会などで僕が弾いていると、友達が見に来て「うわぁ、千里みたいになろう!」と言ってくれました。
• ジャズだからってクールにする必要も無いし、気取る必要も無い。僕はやはり僕にしかできない音楽をやって行くしかない、やって行くのがいいんだと思いました。

• Q:学校で4年間学ばれて、大江さんの音楽はどう変わりましたか?

• 大江:一緒に音楽を作っていたチュニジア出身のフランス人サクスフォーン奏者が家に来て、練習が終わった後で「千里は何を目指してる?」って訊いたんです。彼は「ジャズ音楽の人達のパイは満杯で、ドアが開いても入っていけない」って言いました。「千里はせっかく長いこと、素晴らしい歌詞が付いている音楽をやって来た訳だから、それをアメリカでやればいい。パイは小さくても一生懸命広げていけばいいと思うなぁ」って彼に言われた時に、目からウロコが落ちました。

• その時僕は53か54で、あと何年生きるか分からないし、もう肩だって練習すればすぐに悪くなるし、これからそんなにアメイジングな事は起こらないし・・・。じゃぁできることは何だろうと思った時に、曲を書いて、そこに景色が見えるような表現ができて、それを僕流にお客さんに伝えることができたらと思い始めました。やはり心から出る自分の本当のリアリティや、人生・愛・平和、そういう自分のメッセージをアートを尽くしたクリエイションで素直に出していけば何とかやれるかも知れなと思い始めた訳です。

• 今回は中西部のツアーで、いろいろな方々にコネクションを頂いて本当に光栄です。自分がゼロから作った音楽を持って来て、それを共有して、拍手を頂けることは本当に幸せです。自分が後退しないようにレッスンを積んで、またシカゴに帰って来たいなぁと言う風に思っています。

• Q:ピアノはいつ頃から始めたのですか?

• 大江:3歳から。自分から習いたいって言ったにも拘わらず、友達とドッジボールをやりたい野球をやりたい、僕だけのけ者にされる、ピアノなんかやっているって言われるから止めたいと言って、小学4年の時に止めました。その時親父に「いつか必ずピアノをやっておけば良かったと後悔する日が来る。そうでなければ止めていい」って言われて止めたんですけど、今一生懸命ピアノを毎日やっています。あの時止めなきゃ良かったって思いながら・・・。(笑)

• Q:シカゴのステージは如何でした?

• 大江:デビューしてから来年で35年になるんですけど、いまだに本番前は緊張します。僕のことを紹介された時にはもう、殆ど左手と左足が一緒に出ている状態で。ともかくこの緊張の峠を越えて、40分か50分後にきっと笑顔で(お客さんに)会えるんだと思って(ステージに)出て行くんですけども。皆さんに支えられて、ともかくコンサートをやれました。ありがとうございました。


Senri Oe at Japan Festival