日本語メインに戻る
協定交渉は誠意と信頼
田中賢治首席領事インタビュー

• 7月初旬に着任した在シカゴ総領事館・田中賢治首席領事にお話を伺った。

• 田中首席領事は1961年、長野県生まれ。中央大学法学部卒業後、1987年に外務省にアメリカ専門で入省した。1988年からオバーリン大学とベンシルバニア大学・行政大学院で学んだ後、1990年から1992年まで在シカゴ総領事館広報文化センターに勤務した。2002年から2005年まで在ニューヨーク総領事館で外国プレスを担当、以後12年を経てシカゴに戻った。在米勤務は3回目となる。

• Q:外務省に入省されてすぐにガットやウルグアイ・ラウンドの交渉、以後WTO、太平洋経済協力会議(PECC)、ASEANプラス、日欧EPAなど、多くの協定交渉などを担当されていますね。

• 田中:入省後、経済局国際機関第一課ではウルグアイ・ラウンドのサービス分野の交渉が中心でした。90年代後半はWTOで合意できずに残った4つのサービス部門の交渉を担当しました。

• Q:交渉の難しさ、面白さについて伺えますか?

• 田中:近年はTPPのようなメガFTAがいくつもありますが、私の直近の仕事は、今一番合意に近いとされている日EU EPA、そしてRCEPという、中国・インド・ASEANなどアジア地域のすべての主要国が入ったメガFTAでした。それと日中韓3カ国のFTAの2つについて伊藤総領事が全体の交渉官、私は投資と電子商取引の交渉官でした。

• 以前、シンガポールの太平洋経済協力会議(PECC)国際事務局の政策部長・事務局長代行でしたが、 1997年にアジア危機が起きたことで、アジアとしての意識がアジア諸国内で目に見えて高まり、それ以来協力枠組みがグッと進んだことを覚えています。それでASEANプラス6(日・中・韓・インド・オーストラリア・ニュージーランド)や、ASEANプラス3(日中韓)もできたのですが、後者が今のRCEPの交渉枠組みのベースになっています。RCEPは、中国やインドといった世界の大国からASEANの低所得国まで極めて多様な国が入っていますから、そこで包括的に共通ルールを目指そうという、まさに大変チャレンジングな交渉です。

• 私はアジアとの交渉では、投資と電子商取引を担当しましたが、特に投資分野では、日本の投資への評価と期待が思った以上に高いことが印象的でした。地域では中国も日本を超えるほどの大きな投資国になってきていて、他の国やインドなども投資をしていますが、日本の投資の実績と質は際立っているということが、特にASEANの国々の日本の投資への強い期待から伝わってきました。その様な複雑な環境の中でどの様に共通のルールを作るかというのが一つの課題でした。

• Q:交渉の元になるものはあるのですか?

• 田中:物とサービス分野はWTOでベースがあります。それに改善・追加しようと言うようなことで交渉して行きます。
• 投資はそういったベースはない一方で、各国は独自に多くの投資協定などの経験がたくさんあり、それをベースに条文提案を出してきます。特にインドなどは構造上も全く違う提案をする中で、そもそもの哲学論から始めて交渉し一つにまとめるという、投資特別の難しさというのがありました。
• 電子商取引は全く新しい分野ですが、日本は、他国に比しても率先して合意を積み上げてきています。そうした先駆的な立場から、いろいろな国と交渉しルールの適用対象を広げていこうとしてます。

• Q:投資協定は市場開拓のためにも重要ですね。

• 田中:その通りです。他方、特にアジアでは実態先行という面もあって、実際の経済関係では中国にもインドなどにも日本の投資は既に多く入っています。そうした国と投資協定で合意することの意味は、その投資の保護と自由化という2つの面で、政府のコミットを法的にバインドするということにあります。法的にリスクを減らしてより安全に投資ができるようにすると言うことです。

• Q:在タイ日本大使館に2000-2002と2008-2010の2回勤務されていますね。これもASEAN関係ですか?

• 田中:一回目はASEANプラスという協力枠組みが1997年以降アジアからも非常に重視され、日本も協力を強化していった時期でした。
• 2回ともタイがASEANの議長国になった時で、ASEANプラスなども議長国タイを中心に1年間すべてが動きますので、良い経験ができたと思っています。

• Q:交渉を通じていろいろな人々と接触されて、感じられることは?

• 田中:本当にみな有能な人たちでした。それが異なり時に対立する国内事情を背負って懸命に交渉してきます。そこで一番大事なのは、信頼だと思いますね。つまり、誠意を持って当たると言うことです。また自分が主張する時は、相手の立場を慮った上で、本当に自分が信じるものを主張する、定型句でなく自分の言葉でないと伝わらないという事でしょうか。そうでないと後で主張がブレたりして、交渉相手としての信頼は得られませんので。

• アジアの枠組みでの交渉には、アメリカのような誰もが認めるリーダーがいないというのも一つの特徴です。そうなると誰が引っ張ってくれるのかと、やはり日本を見るんですね。中国は一帯一路などもやろうとしていますが、まだまだ多国間の枠組みの実績が少ないので、やはり日本への期待が非常に強く、そこが大きなプレッシャーでした。それはチャレンジであり、楽しみでもありましたが。

• アジア太平洋という枠組みは、アメリカが入っていることが、特に安全保障の点から重要なことです。そのアジア太平洋という地域に、新たにインドを加えていくというのがRCEPの肝だと個人的には思っています。実際、アジア通貨危機後にアジア太平洋という地域概念が新たに定着したように、数年前からインド・パシフィックという新しい地域概念がいわれ始めています。逆に言えばインドにとっては、それだけ大きなチャレンジな訳ですが、投資重視とされるモディ政権の元でRCEPの投資交渉でも頑張っています。

• Q:米国がTPPに戻る可能性はあるのでしょうか?

• 田中:アメリカ次第ですが、アメリカ国内でTPPを支持している層は全く変わらずに同じだと思いますし、日本も粘り強く今の政権に説明しているでしょうし、どのような形にせよいつかそちらの方向に行くんだろうと期待しています。

• Q:アフリカ関係でも交渉されていますね。

• 田中:2010年から2012年まで在ボツワナ大使館に勤務していました。1992年、シカゴの次に勤務したのが在ガーナ大使館です。

• ボツワナは、アパルトヘイト当時の南部アフリカで唯一黒人政権を維持した国で、初代のカーマ大統領の映画が公開中のようで私も日本からの機内で見ました。ボツワナの主要部族の第一継承者のカーマ氏がイギリス留学中に白人女性と出会い、近隣国の白人政権やイギリスの批判に晒されながら結婚を遂げ初代大統領になるという極めてロマンチックで、しかし生々しいストーリーです。
• ボツワナは、経済構造としてはダイアモンド一本。映画にも出てきますが、世界一良質かつ大規模なダイアモンド鉱山の発見時に、初代カーマ大統領が抜け目なく采配し、巨大企業のデビアスと合弁で鉱山会社を設立しました。今では経済多角化を目指していますが、中でもサファリはアフリカでも最高水準として知られており、アメリカからも多くの富裕層が来ていました。

• ガーナは、オフショアに石油が出ましたが、利権があるとそこに人が集って汚職の様な事が起きてしまう。それがアフリカが上手く経済成長できなかった理由の一つです。それを上手くやろうとしていたのがジョン・マハマという大統領(2012年7月-2017年1月)です。
• 日本でも報道されましたが、私が1992年にガーナに赴任した時、マハマ氏は日本大使館の現地職員で、私の部下でした。その後国会議員になって、閣僚になって、私がボツワナにいる時に大統領になりました。日本とガーナで投資協定を結ぼうと今も交渉中です。日本との関係が大変良い国ですね。

• Q:話はずっと戻りますが、外務省を志されたのは?

• 田中:元々、法学部ですから弁護士になると思っていたんですが、当時は司法試験合格の平均年齢が29歳とだいぶ時間がかかりそうなのと、子供の頃からアメリカへの憧れがあったので、アメリカに留学するために外務省に入りたいという気持ちもありました。それから、父の兄が外交官を目指しながら学徒動員で志半ばに特攻隊で亡くなりました。だから外交官というのが心のどこかにあったということもあったと思います。

• Q:アメリカがお好きだったのですね。

• 田中:アメリカは留学中から私にとって本当に教えの恩師のようなものです。ずっと敬意を払いながらアメリカを見てきました。
• アメリカは戦後の世界をリードして来た国ですが、アジア太平洋の安全保障での役割も含めてアジアにとって重要な国です。安全保障の基盤がなかったら、平和安定はなく、その上の経済もありませんが、そこには日米同盟の強固な基盤があります。
• 私が最初にシカゴにいた頃は貿易摩擦の末期でした。それ以来、日本企業の方々が現地に入って、大変なご苦労もあったと思いますが長年にわたり投資・生産を続けられ、今回来てみるとそれがより幅広く活動されている。それが今日の極めて良好な日米関係のベースとなっていると思います。
• 今アメリカは少し元気をなくしているような感じがしますが、アメリカには強靱性というか、いろんな環境に対応できるシステムが既にありますので、これが一朝一夕に廃れることはないと思います。

• Q:2005年から3年間、沖縄で米軍との交渉にも当たられていましたね。

• 田中:96年に橋本龍太郎政権下で沖縄の米軍基地を縮小しようという普天間基地の返還を含む「SACO最終報告」が出たのですが、冷戦終了後の世界的な米軍再編という流れのなかで、SACO計画を履行する契機が最も高まっていた時でした。在沖米軍トップの人達と協力して、沖縄との問題を上手く処理するという仕事をしていました。
• 当時は毎月のように、外務大臣や官房長官などが沖縄に来ていろいろな調整をしている時期でしたし、地元の市町村長さん達が政府と直接交渉する中で本当の政治の現場を見た思いがして、非常に中身の濃い3年間で貴重な経験でした。だから沖縄は日本では第二の故郷のようなものです。

• Q:25年ぶりにシカゴに来られて、その違いを感じられますか?

• 田中:90年は留学先からアメリカ国内路で来たので、シカゴは中西部の経済的にも文化的にも中心の地としてすんなりと入って来たのですが、今回日本から来ますと、「シカゴってどんな所でした?」と聞かれるほどに、日本でのシカゴの知名度が低いのを大変意外に感じました。
• 以前に比べてハイライズがたくさん建ちましたね。前回米勤務のニューヨークに比べると安全で清潔で、911後のような人身のすさみの様なものを全く感じませんし、住むには最高の所かと感じています。
• 私の仕事から言うと、先ずは基礎として、今のアメリカの本筋の所を知ると言うことをやりたいと思っています。前回駐在時も中西部は東海岸や西海岸よりノイズなく本筋を見られる所と思いましたが、25年ぶりのアメリカの現状を見る上でも、シカゴは一番良い所だとここ数日考えていました。
• これからできるだけ外にも出て、いろいろな人にお会いしながらアメリカを学び、総領事館での業務に生かしていきたいと思っています。

• Q:ご家族は?

• 田中:妻は日本で雑誌社のエディターをやっていますので、単身赴任です。引っ越しを手伝いに来ましたが、もう帰りました。今度は出張でシリコンバレーに来るそうです。

• Q:最後に、ご趣味は?

• 田中:旅行です。そのぞれの赴任地で、周辺を見て回りました。ボツワナの時はジンバブエのビクトリアの滝、ボツワナのソベという象の密度が高い所、南アフリカのケープタウンなどへ行きました。ケープタウンは大変美しいところでした。ニューヨーク在住時は、ペルー、チリ、ブラジルなど南米を中心に旅行しました。今回はシカゴをじっくり見て回りたいと思っています。

• Q:長い間どうもありがとうございました。


田中賢治首席領事