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ゴジラの祭典“G-FEST”
シン・ゴジラの樋口監督談に歓声!

• ゴジラや怪獣ファンの祭典“G-FEST”が7月14日から16日までの3日間、ローズモントにあるクラウン・プラザ・ホテルで開催され、世界のファンが結集した。
• 今年で24回目の開催となるG-FESTは、毎年日本からゴジラや怪獣映画に出演した俳優、監督や関係者らをゲストとして迎える。今年はシン・ゴジラの特撮監督・樋口真嗣監督、ウルトラマンや怪獣のスーツアクターやスタントで知られる俳優の北岡龍貴氏、怪獣のデザインやポスターなどで知られるイラストレーターの開田裕治氏、怪獣映画の音楽で知られる作曲家の大島ミチル氏など、怪獣ファンにとってはたまらない大物達が怪獣映画について語った。

• こうした日本人ゲストとアメリカ人ファンのコミュニケーションを可能にしているのがロバート・スコット・フィールド氏。同氏は元近鉄バッファローズの選手であり、引退後は俳優、ミュージシャンなどで活躍し、堪能な日本語でウィットに満ちた通訳を提供している。

• クラウン・ホテル全体を占拠したG-FESTには約1000人のファンが行き交い、講演会やサイン会、怪獣映画上映会、ビデオ・ゲーム、ワークショップ、コスチューム・パレードなど、数々のイベントが行われた。

• G-FESTは、カナダの高校教師でゴジラファンのJ・D・リーズ氏がゴジラファン向けにニュースレターを発行したことに始まる。1993年に初めて発行された“G-FAN”は、たちまち世界のゴジラファンの間に広まり、翌年の1994年に約20人の有志が初めてシカゴ郊外で顔を合わせた。シカゴに集まったのは、オヘア空港に全米・世界各国から乗り入れができるため。以来毎年コンベンションが開催されている。
• 中年層が中核を成すファン達は子どもや家族を連れて来るようになり、参加者の裾野が広がっている。

• スコット・ハミルトンさんは小さい頃、テレビでゴジラ映画を見てゴジラや怪獣映画が大好きになった。
• 思い出すのは1980年代。その頃はVCRもなく、怪獣映画を見たければ午前1時まで起きていなければならなかった。「あの頃私は10歳だったが、必死になって起きていました」とハミルトンさんは語る。映画はテレビ用に編集したものより長いので、大人になってから「あー、このシーンは見ていない」とエキサイトすることがあるという。
• G-FESTはG-FANマガジンで知っていたが、フロリダ在住だったためになかなか参加できなかった。しかし、5年前にシカゴに引っ越し、以来毎年G-FESTに参加しているという。
• シン・ゴジラについてハミルトンさんは「とてもいい!凄まじくて恐ろしくて、政策的な内容もいいし、とても良く出来ていると思う。シカゴでも上映されたんですよ。ここでの上映は他地よりも2週間は長かった。私は3回見に行きましたが、本当に良かった。私はアニメファンでもあるので樋口監督のことは以前から知っていました。彼の話が聞けるのをとても楽しみにしていました」と語った。

樋口真嗣監督講演会

• 講演会場に現れた樋口監督は満場の拍手と声援に迎えられた。2011年から今回2度目のG-FEST出現となる樋口監督の頭には白髪が増え、シン・ゴジラの話題と相まってぐっと渋みを増した感じだった。

• 樋口氏は1965年生まれ。かぎっ子だった樋口氏はウルトラマンなどのテレビキャラクターを友達に育ち「そのまま大人になったら、こうなっちゃいました」と会場を笑わせた。

• 1977年にスターウォーズが公開されると、日本の怪獣ファンがそちらの方に心を奪われてしまった。だが、以前のウルトラマンやゴジラがスターウォーズに負けないぐらい面白いということを紹介しようと、開田裕治氏が実行委員長となって特撮大会を開催した。
• その様な動きあり、10年ほど途切れていた1984年公開の「ゴジラ」の製作が本決まりとなった。どうしても撮影現場を見たいと思った樋口氏は、スタジオに入るために映画のスタッフとなった。

• 仕事は薩摩 剣八郎氏にゴジラのスーツを着せたり脱がせたりする役目。ゴジラの側について、動き出す位置や止まる位置を説明したり、ゴジラのしっぽを動かしたり、吠える場面でゴジラの口の中を濡らしたり、いろいろな事をやった。

• 10年ぶりのゴジラ製作とあって、円谷時代のベテランスタッフだけでは足りなかった。このため、スタッフの半分はいろいろな分野の若手が入って来た。若手はスターウォーズにインパクトを受けた人々で、ゴジラ映画の世代交代は、この映画から始まった。
• 出来上がったゴジラを見た樋口氏は「ちょっと違うな。もっと良くなるんじゃないかと、高校を出たばかりの自分が生意気にもそう思った」と語る。

• 樋口氏は大阪の大学生達がウルトラマンを自作していることを知り、大阪に住み込み彼らと一緒に映画作りに励んだ。
• ビルのミニチュアを作り、公園に並べ、火薬は使えないので花火を使って撮影した。爆発シーンは瓦礫を上から落とし、セメントの山を蹴飛ばす。するともうもうと立ち上がる煙の中に爆発した破片が飛んで来るように見える。この様な特撮を自ら学んだ。

• それから30年が経ち、樋口氏がシン・ゴジラの特撮監督をやることになった。
• どの様な新しいゴジラを創っていくか。製作チームは最初のゴジラからどんどん進化を続ける怪獣にしたかった。しかし、東宝はこのアイディアを拒絶。そこで最初に前段階のゴジラを出し、最終的に進化した怪獣をゴジラの形にすることになった。

• だが、ゴジラの形は初期ゴジラと同じ形ではない。いろいろな生き物の解釈をシン・ゴジラのシルエットに落とし込んだ。

• ゴジラのデザインが固まり立体像を作る一方、撮影方法はCG(コンピューター・グラフィック)でやるのが最適だと決めていた。CGでしかやれないのはゴジラのしっぽだった。従来通りのワイヤーで吊せばしっぽの長さが決まってしまうが、CGであれば非常に長いしっぽにすることができる。樋口氏はしっぽを別の生き物のようにしたかった。そこからアイディアが膨らんで、しっぽから光線を出すことになったという。

• 粘土で作った新しいゴジラを3Dスキャンしたところで、最大の問題はその動きだった。人間ではなく神様だったり獣だったり、そういうものに近い動きができる人は誰だろうと考えを巡らした。そして行き着いたのが狂言師の野村萬斎さんだった。

• 千年以上の歴史を持つ狂言師のパフォーマンスは、神様に見せるステージだった事もある。狂言師が体で表現する物語は、山の中で獣と出会うという話しが多い。その様な事から、ゴジラが単にコンピューターで作った生き物ではなく、野村師ならばゴジラに違った魂を吹き込むことができると思ったのだと言う。
• 野村師は立体的なゴジラの面、背びれ、しっぽを付けて、ゴジラの歩き方など一連の動きを撮影した。今度シン・ゴジラを見る人は、ゴジラの動きを注意して見てみよう。確かに歩き方にも深みがある。

• クローズアップは造形物を作った方が良いと言う事で、上半身だけのゴジラを作り従来と同じ方法で撮影した。
• 建物を壊すところもミニチュアを作って撮影したが、CGでやった方が良いという結論になったという。
• 樋口氏は「ラッキーな事に今回はCGの効率がとても高かった。だけどいつもそうだとは限らない。高いクオリティのCGを作ろうとするとコストがかかる。上手く行くかどうか分からないものにお金をつぎ込んでも、失敗したら目も当てられない」と判断の難しさに触れた。

• ビックヒットになったのは?

• 樋口氏は「ここまでヒットするとは思わなかった。一つだけ徹底的にやったのは、公開前に内容を全く知らせないということ。最初にミミズみたいな形のものが出て来て、まさかゴジラになるとは誰も思わない。それを見て驚いたお客さんが、他の人にも同じ気持ちになって欲しいから内容を秘密にしてくれた、という事だと思います」と語った。

• ゴジラが地上にいつまでも残ることになったのは?

• 「日本にも同じようなものがあるんじゃないか?という様な事ですね。かつてのゴジラが核実験で生まれ、そういう冷戦時代に対して何か異議申し立てをしているのと同じように、我々も我々の生きている時代に何か問題があるんじゃないかなと思うので、それをちょっと揶揄してみるということですかね」と語った。


ローズモント、クラウンホテルプラザで開催されたGFEST


シン・ゴジラの特撮監督・樋口真嗣監督


樋口監督を迎えて満席となった会場


Director Higuchi (R) and Actor Robert Scott Field


子どもの頃からのゴジラファン、スコット・ハミルトンさん