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南こうせつさんをゲストに JCCC新年会

• フォークソング時代を築き今も変わらぬ声で歌い続ける南こうせつさんを特別ゲストに迎え、シカゴ日本商工会議所(JCCC)の新年会が1月14日、シャンバーグのルネッサンス・コンヴェンションセンター・ホテルで開催され、約900人が参集した。同新年会は内藤和美氏と川平謙慈氏の司会で行われ、後藤美郎氏のリードによる日米国歌斉唱で幕が上がった。

• 昨年度に続きJCCC会頭に就任した清水和生会頭(キッコーマン・フーズ)は、現職州知事として初めて新年会に出席したブルース・ラウナー州知事夫妻を歓迎した。
• 清水会頭はJCCCの歴史に触れ、1966年に58企業・機関で発足したJCCCは現在500を超える会員数に発展、全米諸都市の中でも極めて大規模な組織団体となったと述べた。
• また清水会頭はJCCCの3つのミッションについて、
• 会員サービス事業では、その時代に必要とされる事業を実施し、会員企業と地元経済界とのビジネス交流を促進。
• 教育支援事業では、JCCC発足と同年に創設されたシカゴ双葉会補習校、1978年に創立された全日校により、駐在員子弟やシカゴ在住の子ども達へ高いレベルの教育機会を提供。
• 地域貢献事業では1991年にJCCC基金を設立。地元青少年人材育成プログラムへの支援を継続し、これまでに500万ドル以上を寄付し、企業市民としての役割を果たしている。
• 清水会頭はこうした事業が継続されているのは「会員の皆様のお陰」と述べ、「更なる支援と協力を賜りますように」と呼び掛けた。

• JCCCの名誉会頭を務める伊藤直樹・在シカゴ総領事はラウナー州知事を歓迎し、州知事として初めての出張先として、昨年東京で開催された日米中西部会に出席し、日本におけるイリノイ州のプレゼンスを高めてくれたと語った。
• 伊藤総領事は昨年9月の中西部会後、JETROシカゴと共に「草の根キャラバン」と銘打ったプログラムを開始、11月にはラウナー州知事と共にアイシンなどイリノイ州南部にある日本企業を訪問した。同キャラバンは、日本企業の地域経済への貢献や日米経済関係について説明し、各地方都市のコミュニティの人々の理解を促進し、新たな貿易投資機会を展開することを目的にしている。総領事は「今年もイリノイ政府と一体となってキャラバンを展開して行く」と述べた。

• 伊藤総領事は総領事館が実施した昨年10月の日系企業調査結果から、日米ビジネス状況の実数を示した。
• イリノイ州には630の日系企業の事務所があり、その雇用創出数は46,000以上。雇用者数は昨年1年で6%増加し、過去5年では16%の伸びを示している。一方、イリノイ州の在留邦人数は昨年1年で250人増え、15,300人となった。

• 更に伊藤総領事は、今年は南こうせつさんの「神田川」のヒットから45年、シカゴ・大阪姉妹都市締結から45年、キッコーマン・フーズのウォルワース工場創設45周年、日米中西部会は50周年を迎えると述べ、「こうした節目をとらえてシカゴ、イリノイ、中西部全体での日本、日本企業のプレゼンスを皆さんと一緒に高めて行きたい。総領事館では日本祭り、日本庭園、日本語の教育の3つを柱にして文化交流も促進して行きたい」と語った。

• ブルース・ラウナー州知事はダイアナ夫人と共に登壇し「あけましておめでとうございます」と日本語で挨拶し、「皆さんとイリノイ州民との友好、パートナーシップ、強い関係に『ありがとう』と言いに来ました」と聴衆に呼び掛けた。
• ラウナー州知事は日本企業の投資と、イリノイ州に本拠を置く米国企業の日本への投資という強い相互関係があることは素晴らしい事だと述べ、今後日本には何度も行きたい、そして貿易投資、観光、友好促進などを拡大し、日本とイリノイ州の人々のより良い将来を創造したいと語った。
• また、州知事として、イリノイ州の家庭の皆さんのより良い将来のために、教育に力を入れたいと述べ、日本企業を歓迎し、企業が発展できるような環境作りにも力を入れたいと語った。

• JCCC新年会の恒例となった若者による「本年の抱負」は、双葉会補習校高等部3年の中野幹太君が発表した。中野君は父の仕事の関係で4年前にシカゴへ、以来現地校に通う傍ら補習校で学んで来た。そして、人との信頼関係を築く上で直接的なコミュニケーションが如何に大切であるか、自らの経験を語った。

• 中野君は小学3年生の時から野球をやっていた。シカゴでも続けたいと思ったが英語に自信が無く、弱気になっていた。
• しかし、思い切って野球チームに入ってみると、心配事は吹き飛んだ。チームメイトやコーチに温かく迎えられ、中野君は積極的にみんなと交わった。チームメイトに明るい声を掛けて士気を高めたり、子ども達の指導を頼まれたりするようになり、積極的にコミュニケーションを取ることで、チームメイトやコーチから信頼されるようになった。
• 一方補習校では、日本祭りのボランティアや学校生活、運動会などで仲間や先生達とのコミュニケーションを大切にし、信頼されて来た。
• 2018年は大学受験を控え、大きな節目となる。「アメリカでの生活で、人と直接培うコミュニケーションで人を励ましたり、人の役に立つことができるというのが私の長所である事を実感することができました。ここで得た経験と自信を糧として、この先立ちはだかるであろう壁を一つずつ着実に乗り越え、これからも進んで行きたいと思います」と力強く語った。

• 続いて澤木信宏シカゴ双葉会会長が登壇し「補習校では教員が不足している、特に中学部の数学の先生が不足している。土曜日に教えられる人は登録をお願いしたい」と訴えた。
• 新年会前には2018年度JCCC会員総会が開催され、清水和生会頭、神作竜専務理事(みずほ銀行)、田治敦浩JCCC基金理事長(東京海上日動火災保険)他が承認された。

• シャンバーグのアル・ラーソン市長が乾杯の音頭を取り昼食会が始まった。

• 昼食後は、いよいよ南こうせつさんによるコンサートが始まった。南さんは「神田川」、「赤ちょうちん」、「妹」などの歌に、恋の切なさ、下宿生活、若さゆえの不安、家族愛などを歌い込め、かつて青春時代を送った人々に、若い日々の純粋な気持ちを蘇らせた。
• コンサートのクライマックスは「おもかげ色の空」。南さんは105歳で世を去るまで現役の医者であり続けた日野原重明氏の言葉「Keep on going」を取り上げ、「気持ちのありようで人生は景色も明日の輝きも全部変わってきます。その事を言っているのかなぁと自分で思っていました」と話し、「Keep on going!」、「Yay!」と会場を巻き込みながら「おもかげ色の空」を歌った。そして最後に、全米ヒットチャートで1位になった「上を向いて歩こう」を会場と一緒に歌い、コンサートの幕を閉じた。
• 南こうせつさんの横でギターやバイオリンの素晴らしい演奏を聴かせてくれたのは、佐久間順平さんだった。

• JCCCの新年会は日本への往復航空券や豪華賞品が当たる抽選会、ジャンケン大会で盛り上がった。
• 最後に新年会の実行委員長を務めた田治敦浩氏が登壇し「ボランティアなしで新年会は成り立たない」と、昨年から企画会議を重ね、新年会前日や当日の早朝から準備を進めたボランティアの人々を称賛した。また、JCCCは創立50周年後、次の50年に向かって着実に歩いていると述べ「100周年を迎えるまでkeep on goingで皆様のご支援を引き続き頂戴したい」と呼び掛けた。

• 尚、新年会会場前のホールでは、ミッドウェスト・フィルハーモニック・オーケストラが再来年3月にカーネギー・ホールで開催されるニューヨーク・サウンド・オブ・スプリング・フェスティバルに出演、翌日には単独公演をすることになり、そのための寄付募集が行われた。ホールでは同オーケストラのメンバーが美しい室内楽を演奏していた。連絡先は847-312-369
• またはemail: info@midwestconservatory.com 


南こうせつさんインタビュー


• 南こうせつさんは大分県大分市(旧:大分郡竹中村)出身で、実家は曹洞宗・勝光寺という由緒ある寺院。明治学院大学入学のため上京し、1970年にソロデビュー、同年に第一期「かぐや姫」を結成し、「酔いどれかぐや姫」がヒットした。翌年に第二期「かぐや姫」を結成、「神田川」や「妹」、「22才の別れ」、「なごり雪」など多くのヒット曲を出した。1975年にかぐや姫を解散後、南こうせつさんはソロ活動で「夢一夜」「夏の少女」などのヒット曲を出している。1976年には日本人ソロ・シンガーソングライターとして初めて日本武道館でソロ公演を開催した。また、時々短期でかぐや姫を再結成しコンサートを行っている。南さんは現在、国東半島にある杵築市に在住、菜園や樹林の世話をする傍ら、演奏活動を続けている。

• Q:南さんはお寺に生まれたと聞いています。どうしてフォーク・シンガーに?

• 南:大学はミッション系の明治学院ですから、話にならない。(笑)
• 私は4人兄姉の一番下で、兄が2人いましたから、要するに親が育児に疲れたんですね。それが良かったですね、もう自由にしろって。
• 小学校4年の時にエルビス・プレスリーの歌を聞いてうわぁーと思って。洋楽に目覚めて、それからいろんなヒットチャートを聞きながら、いろんな歌を修得して行きました。
• ギター一本ですごく良い歌を歌ってる人達がいて、それがサイモンとガーファンクルやピーター・ポール・アンド・マリー、ジョン・デンバーなどでした。
• ロックンロールと違って、フォークは曲もすごくシンプルで、ボブ・デュランやポール・サイモンの詩には反戦や環境問題や「今、こんな自分でいいんだろうか・・・」というのがありました。僕はすごく気が合うなぁと思って、ギターを持って行く方を選んだんですけどね。

• Q:明治学院大学に入学したのは、東京へ行く口実だったと聞きましたが?

• 南:そうなんです。絶対に東京だったですね。
• 僕がヒットチャートを聞いている番組も、本の情報も、全部東京なんですよね。東京に行かないとやっぱり、その時代の風に吹かれることができない、それで東京を選んだんですね。

• Q:大学はどれ位行ったのですか?

• 南:ちょうど2年間行ったんですけど、その時に学生運動がありました。70年安保で、各学校がロックアウトで全部閉鎖されて、レポートだけで進学して行けるような状況だったんですね。その頃にもう歌ってましたし番組もやってましたから自然と行かなくなって、そのまま自然退学みたいな感じになりましたね。

• Q:かぐや姫を結成して、多くのヒット曲を出されましたね。人気絶頂でかぐや姫を解散したのは、「南こうせつさんは頭のいい人で、税金対策のため」という話をあの頃に聞きましたが。

• 南:それはないですね。いまだに全然ダメで。(笑)
• あの頃莫大な印税が入って来たんですけど、殆ど税金でなくなってますね。僕らと井上揚水さん、吉田拓郎さんが第一期生で、ミリオンセラーが3人とも出たんですけど、僕らは本当に税金対策は何も知らなくて。例えば何千万円も入って来たら全部自分のものだと思うじゃないですか。ところがあの当時、7割ぐらい税金で取られてますね。後から税金がガバッと来て、銀行に税金を払うために借りに行ったりしているのが現状でしたね。
• 桑田君やユーミンなどの次の世代は上手いですね。

• Q:こんな話がウキペディアにありました。1975年4月のかぐや姫解散コンサートの前、深夜放送オールナイトニッポンのパーソナリティをしていた南さんの所に、ファンの女の子から「重病でコンサート行けない」という葉書が来ました。南さんは「元気になってコンサートに来てね」と言ったけれども、間もなくその女の子の友達から「亡くなった」という知らせが来たそうです。解散コンサートの時に多くのお客さんがラジカセでコンサートを録音していて、間奏の所に女の子の声が入っていると多くの問い合わせがあり、南さんが原盤を聞いてみると本当に入っていた、と書いてありました。これは本当の話ですか?

• 南:それは本当。あれはね、我々のレコード会社のエンジニアが録音したテープの中に入っていたんです。エンジニアが随分、これはどこから来た声なんだろうと調べたんですよ。入りようがないんですよね。エンジニアの人が調べて、どこから入ったか分からないんだけど、間奏で女性の声で、私にも聴かせてというの入ってました。
• でも、その葉書が来たって言うのは覚えてないですね。

• Q:怖いですね。

• 南:そんな話は山ほどありますよ。

• Q:現在大分県杵築市にお住まいだそうですね。

• 南:もう、そこに移って30年以上経ちますけど。
• 僕の場合、20代で早く売れちゃったんですよね。売れるとか稼ぐとかが目標だと、それに向かって行くんですけど、早くその時期が来てしまったので、うーん、もっと自分が音楽家として、人として、何か幸せになれたらなぁと言う次の課題にぶつかりました。自然の中で暮らすって言う事が自分の中にあったんですね、東京で忙しくしていたから。
• 国東半島の南側の杵築市という所なんですけど、不動産の人に案内された時に懐かしい感じがしたんですね。丘の向こうに海が見えて、みかんの花さく丘っていう歌がありますが、そんなメロディが流れて来るような場所で、何か自分の中に湧き上がってくるものがありました。そんなところに住んでいます。

• Q:日々の暮らしは?草木と話したりですか?

• 南:そんな感じですね、いっぱい草木を育てて、今森みたいになっちゃってます。

• Q:南さんはずっとコンサートを続けていますね。続けているから次世代の人も知っていると思うのですが。

• 南:まず歌うのが好き。ギターを持って、聞いてくれる人の前で歌うのが好き、発表するのが好き、それだけですね。好きって言うのはとても身体を動かしますよね。それがエネルギーの元かな?  歌が好き、そして人が好き、尽きるところはそこですね。

• Q:今も高い声がきれいですね。

• 南:やっとこさ歌ってますけど。(笑い)
• でも、オリジナルキーというのがありまして、神田川にしても、そのオリジナルキーは下げないで、全曲オリジナルキーでやっています。
• やはり歳を取ると声帯も筋肉ですから自然に衰えていく。自然現象ですから何も悪いことではないんですが、若い頃のキーを半音、1音、2音と下げて歌うと、ギターのコードの響きが変わって来るんですね。神田川はEマイナーで全部解放弦のバラバランっていう、やはりそれで歌うのがいいんですよね。それが下がってしまうとちょっとギターの響きが神田川じゃなくなってしまう。だから、いつの間にかオリジナルキーで歌おうって、全曲そうなっています。

• Q:長く演奏活動をされていると、その世界の人達がポツンポツンと亡くなって行きますね。かまやつひろしさんも亡くなりましたし、フォーク界では加川良さんや佐久間正英さんも亡くなりました。気持ちが落ち込まれることなどありますか?

• 南:それは逆らわないで、人ってそういうことなんだよ。悲しいけど、自然なことなんだねと。
• 順番順番で、keep on going で死ぬまで神様に天命を任せて、どうぞ、好きなときに持って行って下さい、ってことですよ。任せきる力というか、生に執着するんじゃなくて、いいですよ、今夜でも、明日持って行っても、好きなようにってね。その代わり自分が息をしているときは、本当に息が止まるまで直前までkeep on goingで頑張る、或いは夢を見る、っていう事なんじゃないかなと思います。

• Q:最近の新しい曲は?

• 南:コマーシャル用に作った歌で「微笑みに出会うために」という曲があります。
• その前に「緑の旅人」という歌があります。まさに僕らの世代が人生を生きて行く中で、僕たちは旅人です。なぜ緑か根拠は分からないけども、緑の旅人になって、ずっと生きて来た道を辿ってみたい。僕は向かい風に立つのが好きでした。僕たちはいつまでも向かい風に立って、まだ誰も行ったことのない大地を探検しようというような歌です。

• Q:今世界は不安定な状況が増していますが。

• 南:日本は戦争に負けたけども、みんなが頑張って、軍隊なしに、核兵器なしで、世界の一流国の中にいつもいるんですね。それは日本人の、世界の中で行く知恵だと思います。戦後から吉田茂、佐藤栄作、田中角栄、野党も含めて日本人の先輩達の知恵が今の日本を作って来ました。この知恵を今世界に生かすべきです。
• 日本にはちょっと損をしてもボランティアをして、得を取るという考え方がある。これはすごい知恵です。三者が協議した時に、「1人が100万円儲からなくても50万円でいいよ」と言えば、「え?いいの?じゃあ私も50万円でいい」という所があるでしょう。
• 日本人が持っている、いつくしみとか慈愛。慈しみの心で先祖代々平和と繁栄を培ってきたと思う。これを世界にメッセージすべきと、そういう時代が来ていると思う。日本がこれから精神的なところでリーダーシップを取っていくのは大事なことですね。

• Q:どうもありがとうございました


ジャンケン大会で奮闘するJCCC新年会出席者


現役州知事として初めてJCCC新年会に姿を見せたブルース・ラウナー州知事とダイアナ夫人。
伊藤直樹総領事、アル・ラーソン・シャンバーグ市長、清水和生会頭と共に。



清水会頭と新旧専務理事


シカゴでの経験と抱負を述べる双葉会補習校の中野幹太君


青春のあの日、あの時を蘇らせてくれた南こうせつさんのコンサート