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JET同窓会で新年会
日本食や伝統ゲームで正月を懐かしむ

• シカゴJET同窓会の新年会が1月20日、在シカゴ総領事館広報文化センターで開催された。JETとはthe Japan Exchange and Teaching Programの略で、英語を母国語とする人達が日本へ行き、日本全国の市町村にある小・中・高校で英語を教えたり、地方自治体の国際活動を援助している。
• 集まったJET同窓生は福笑い、カルタ、折り紙、絵馬、書き初め、着物の試着などで、日本の伝統的な正月の雰囲気を懐かしんだ。また、おにぎりで可愛いキャラクターを作ったり、寿司や焼きそばなどの日本食も楽しんだ。

• シカゴJET同窓会プレジデントのエラ・マッキャン氏は、総領事として初めてJET新年会に出席した伊藤直樹総領事を歓迎、また、日本語を学ぶ生徒達が日本語や日本文化の知識を競うシカゴ日米協会主催の「Japan Bowl」へのサポートを呼び掛けた。「Japan Bowl」は3月10日(土)、ネイパービルにあるノース・セントラル・カレッジで開催される。詳細はhttp://www.jaschicago.org/events/illinois-japan-bowl-2/

• 挨拶に立った伊藤総領事は「昨年JETプログラムは30周年を迎え、この30年間のJET生とJET同窓生は日米関係の本当の財産」だと述べ、JETプログラム参加者の日本へのコミットメントを称賛した。
• 伊藤総領事によると、在シカゴ総領事館は毎年約150人のJET生を日本へ送り出している。昨年シカゴから日本へ出発したJET生は150人を超え、英国に次ぐ世界で2番目に多いJET生を送り出した。「JET生の皆さんが派遣された日本の市町村で、皆さんがポジティブなインパクトを与えている多くのストーリーを聞いている、また帰国した皆さんが家庭に日本文化を持ち帰ってくれていることも聞いている。今日は日本で経験した日本の正月の伝統を楽しんで欲しい」と新年会参加者に呼び掛けた。

• 新年会は日本文化会館のスティーブン・豊田氏と生徒による合気道の実演で始まった。参加者は目が覚めるような技に息を呑んだ。
• ゲームや日本食を楽しんだ後は、福袋が当たる抽選会で賑わった。

JET生インタビュー

ジュリアン・メドラノさん

• メドラノさんは2011年から2016年まで、山口県下関市長府で3年、広島県呉市で2年間英語を教えた。日本語が流暢で、インタビューにも日本語で答えてくれた。メドラノさんはデュポール大学で日本語研究を専攻、在学中に大阪府にある関西外国語大学に1年間の留学経験を持つ。卒業後にJETプログラムに参加した。

• 下関では3つの高校で英語を教えた。「英語の先生になりたいと一生懸命やる子がいて、嬉しかったです。みんないつも明るくて、ハローとか挨拶してくれ、また会いたいなぁといつも思います」と話す。
• シカゴ育ちのメドラノさんは、海と山の長府に最初は驚いた。住まいは丘の上にあり、学校からの帰り道は大変だった。夜は暗くて誰もいない。「でも、まぁ強くなりました。自転車はライトが点くから大丈夫でした。最初はちょっと怖かったけども、みんなとても親切でしたから、とても楽しかった」と語る。

• 呉市では小学校と中学校で英語を教えた。5年生の子ども達はやる気があって「一番楽しかった」という。中学校では、広島市に行って外国人の観光客を探し、英語を話すという修学旅行があったという。

• アメリカ料理よりも日本食の方が合うというメドラノさんは、うどんが大好物だったという。とくに油揚げが大好きで、キツネうどんやいなり寿司を楽しんだ。「私は日本語と日本が大好きで、難しい事も全部楽しかった」と話す。

• 2016年の夏に帰国後、メドラノさんは日本語能力試験を受け、一級に合格した。「仕事を探すのはちょっと大変でしたね」と話す。
• 現在は在シカゴ総領事館広報文化センターでアウトリーチ・コーディネイターの仕事に就いている。「外交の仕事も大好きで、難しいですけど、その難しさが楽しいです」と語った。

ガブリエル・コロナドさん

• コロナドさんは宮崎市の農業高校で1年間英語を教えた。コロナドさんは高校と大学で日本語を学び、大学の先生から話を聞きJETプログラムに参加した。

• 農業高校では殆どの生徒が授業後に家の農業の仕事を手伝っていた。大学に進学する生徒は少数で、英語は試験のための勉強というところもあった。
• コロナドさんは生徒が興味を持っていることを探し、それを英語の授業に取り入れた。多くの生徒が興味を持っていたのは野球、米大リーグだった。
• 「生徒と過ごした時間は楽しかった。少しでも私のことを思い出してくれるといいんですが」とコロナドさんは話す。シカゴ生まれのコロナドさんは、魚が苦手。だがカレーライスが大好きで、殆ど毎日食べていたという。

• 「異文化の人々に出会うことが、自分の文化以外について学ぶことに興味を持たせてくれる。生徒達の若い時に、外国や異文化圏から来た人々に触れ合わせる。それがJETプログラムの素晴らしさの一つです」とコロナドさんは語る。

• コロナドさんは日本も好きだったし日本で教えることも好きだったが、教師が一生の仕事だとは思わなかった。他のことにチャレンジするために1年後にシカゴに戻った。
• フルタイムの仕事を見つけるまでに1年ほどかかったが、現在はフラワー・ショー・プロダクション社で運営ディレクターを務めている。メインの仕事の一つがネイビーピアで開催されるフラワー&ガーデン・ショーの運営だという。
• コロナドさんはロックフォードのアンダーソン日本庭園やポートランドの日本庭園などに足を運んでいる。「あれから日本へは帰っていませんが、日本にいた頃のことを思い出させてくれるものを見るのは好きですね」と語る。
• コロナドさんは新年会のフード・テーブルの世話をしていた。「今もJETをやっていますよ」と笑顔で語った。

アマンダ・M・マッククリントクさん

• マッククリントクさんは静岡県浜岡町で2001年から2004年まで3年間英語を教えた。サッカーのワールドカップが開催され、楽しかったという。
• マッククリントクさんの祖母の弟が日本女性と結婚したことから、日本とは縁があった。カリフォルニアに住んでいた小さい頃、大叔母にあたる日本女性の事を覚えているという。
• マッククリントクさんは4歳の頃デトロイト近辺に引っ越した。そこには日本人家族がたくさん住んでおり、クラスメイトにも日本人の子ども達がいた。大学になってから日本語を学び、JETプログラムに参加した。

• 浜岡町では高校2年生と3年生に英語を教えた。生徒達はアメリカから先生が来ると聞いて、楽しみに待っていてくれたという。
• マックリントクさんはいろいろなものを用意して行った。生徒にスティカーをあげると、それを使って生徒達がカルタ遊びをして見せてくれた。以来、英語のカルタを作って英語の勉強に役立てたという。3年間、生徒達も先生達も大好きだった。

• 一方、カルチャーショックを感じたこともあった。「2年の間快適に住んで、外国に住んでいると言う事さえ忘れるような日々でした。だからそんなことが起きたんだと思うんですけど」とマックリントクさんは話し始めた。
• 学期中だったが、生徒達が校外に出ている期間があったため、校長に「家族に会いに、ちょっと帰りたいんですが」と許可を求めた。校長は「難しい」と日本語で答えたが、ノーという返事ではなかったので、マックリントクさんはプッシュした。それが他の先生達にストレスを与えることになった。
• マックリントクさんは「あ、ここはアメリカじゃなかった。アメリカのようにはできない」と気が付いたという。あまりにも快適に暮らしていたからこそ、よけいに大きなカルチャー・ショックを感じたと語った。

• 掛川市に住んでいたマックリントクさんはいろいろな祭りに参加し、学校外でもいろいろな人々と知り合った。その人達が日本語の習得を助けてくれ、また、友達が友達を呼び、多くの知り合いができた。
• 近くに他のJET生も住んでいた。2人とも日本語の習得という同じ目的があり、良く一緒に行動していたという。

• ミシガン州に帰国すると、日本語・英語の通訳・翻訳の会社がすぐに見つかった。転勤してきた日本人の免許証取得や、子ども達が通う現地校の先生と保護者の話し合いを助けたりする仕事だった。そうしているうちに、日本人ビジネスマンの家族が現地の生活に馴染むための支援や英語教室の必要性を感じた。
• こうしてマックリントクさんは英語を教え始めた。現在はシカゴに移り、外国から来た人々に英語を教えている。
• 「JETプログラムは、私がどんなに教えることが好きか気付かせてくれました。全く期待していないことでした。日本語を知りたい、日本に住むってどんな風かしらなどと思って行きましたし、学費のローン返済のお金を貯めたいとも思っていました。でも日本に行ったら、私は教えることが好きだから勉強するためにいるんだと思いました」とマックリントクさんは語った。

• 浜岡町では高校2年生と3年生に英語を教えた。生徒達はアメリカから先生が来ると聞いて、楽しみに待っていてくれたという。
• マッククリントクさんはいろいろなものを用意して行った。生徒にスティカーをあげると、それを使ってカルタ遊びをして見せてくれた。以来、英語のカルタを作って英語の勉強に役立てたという。3年間、生徒達も先生達も大好きだった。

• 一方、カルチャーショックを感じたこともあった。「2年の間快適に住んで、外国に住んでいると言う事さえ忘れるような日々でした。だからそんなことが起きたんだと思うんですけど」とマックリントクさんは話し始めた。
• 学期中だったが、生徒達が校外に出ている期間があったため、校長に「家族に会いに、ちょっと帰りたいんですが」と許可を求めた。校長は「難しい」と日本語で答えたが、ノーという返事ではなかったので、マッククリントクさんはプッシュした。それが他の先生達にストレスを与えることになった。
• マックリントクさんは「あ、ここはアメリカじゃなかった。アメリカのようにはできない」と気が付いたという。あまりにも快適に暮らしていたからこそ、よけいに大きなカルチャー・ショックを感じたと語った。

• 掛川市に住んでいたマックリントクさんはいろいろな祭りに参加し、学校外でもいろいろな人々と知り合った。その人達が日本語の習得を助けてくれ、また、友達が友達を呼び、多くの知り合いができた。
• 近くに他のJET生も住んでいた。2人とも日本語の習得という同じ目的があり、良く一緒に行動していたという。

• ミシガン州に帰国すると、日本語・英語の通訳・翻訳の会社がすぐに見つかった。転勤してきた日本人の免許証取得や、子ども達が通う現地校の先生と保護者の話し合いを助けたりする仕事だった。そうしているうちに、日本人ビジネスマンの家族が現地の生活に馴染むための支援や英語教室の必要性を感じた。
• こうしてマッククリントクさんは英語を教え始めた。現在はシカゴに移り、外国から来た人々に英語を教えている。
• 「JETプログラムは、私がどんなに教えることが好きか気付かせてくれました。全く期待していないことでした。日本語を知りたい、日本に住むってどんな風かしらなどと思って行きましたし、学費のローン返済のお金を貯めたいとも思っていました。でも日本に行ったら、私は教えることが好きだから勉強するためにいるんだと思いました」とマッククリントクさんは語った


JET生やボランティアによるカルタゲーム


おにぎり作りにチャレンジする伊藤直樹総領事


JET同窓会シカゴのプレジデント、エラ・マッキャン氏


ジュリアン・メドラノさん(右)


ガブリエル・コロナドさん


アマンダ・M・マッククリントクさん


福笑いゲーム


絵馬


記念撮影用の忍者パネル


Aikido Association of Americaによる合気道実演