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絆7:震災から7年、立ち直る東北の女性達

 東日本大震災から7年を経た2018年3月11日、シカゴでは震災追悼イベント「絆7」が在シカゴ総領事館広報文化センターで開催された。

 3月9日の警察庁のまとめによると、岩手、宮城、福島の3県を中心に死者数15,895人、行方不明者数2,539人、現在もなお約73,000人が避難生活を送っている。
「絆7」では「東北の女性達」をテーマに掲げている。実際に現地入りした写真家により、明日に向かって生きる東北の女性達の姿が生き生きと映し出された。

 会場では、写真家アラン・ラブ氏(シカゴ美術大学・准教授)が撮影した写真展が行われた他、震災3/11と深い繋がりを持つ3人の女性達が経験を分かち合った。また、チャリティ・テニスを通じて東北支援を続けているシカゴ双葉会補習校の今井誠先生率いる「Project Love All」が活動報告した。

挨拶に立った伊藤直樹・在シカゴ総領事は「復興に励む東北の人々をサポートする我々のコミットメントを示すために、今日ここに集まった」と述べ、被災した6%の人々がまだ自らを「犠牲者」と感じていると話し、震災の傷の深さに触れた。

 伊藤総領事によると、福島第一原発事故による立ち入り制限地区は、福島県総面積の2.7%まで縮小され、タイは2月下旬に福島の海産物の輸入を再開した。一方、米国はまだ福島の米、福島・宮城・岩手からの海産物や牛肉の輸入を禁じている。

東北の復興について伊藤総領事は、元の姿に戻るのではなく新しい東北が再建されていると述べ、福島原発がある浪江町に世界最大規模の水素製造工場が建設されることや、岩手県釜石市がラグビーワールドカップの開催地になる事、東京オリンピック・パラリンピックの際には福島や宮城が野球やサッカーの試合開催地になる事などを話した。

 また、米軍と自衛隊のトモダチ・オペレーションに触れ、仙台空港近くの公園にトモダチ・オペレーションの記念碑が2月に建立されたと話した。そして「今日のイベントはただ東北を忘れないためだけでなく、どの様に東北の人々をサポートを継続して行くか考える機会だ」と述べ、絆イベントを通して東北の人々と共に前進しようと呼び掛けた。

3/11と3人の女性達

 3/11に深く巻き込まれた3人の女性による発表が行われた。

パティ・ビーレンさんはかねてより日本に住んでみたいという希望からJETプログラムに参加し、2009年から気仙沼市の小学校で6年生に英語を教えていた。ビーレンさんは家族で気仙沼に引っ越し、夫は米国から3ヶ月おきにビーレンさんと子ども達に会いに来るという生活だった。

 地震が起きた時、ビーレンさんは職員室にいた。津波に備え、校長がメガホンを使い全校生徒を校庭に集めた。こうすることで校長は多くの命を救ったという。
みんなはそのまま校庭で一夜を過ごした。翌日になると保護者が生徒を迎えに来だした。ビーレンさんは友人の車に乗せてもらい、車の中のサテライトテレビで初めて何が起きたのかを知った。息子達は無事だったが、クラスメート達の家族が亡くなっていた。家族を亡くした人達の話がたくさんあったという。

ビーレンさんの夫が気仙沼に来たのは3月16日だった。それまでみんながとても親切にしてくれたという。自衛隊の人達が共同浴場を作ってくれた。そこが地元の人々と繋がりを持ち、互いのサポートを話し合う、とても良い場となった。

 思い出すのは、いつも寒かったこと、自衛隊の飛行機がいつも頭上を飛び交っていたこと、電気がないので日の出と共に午前4時に起床していたことなど。
一旦米国に帰ったビーレンさんは、4月20日に気仙沼に戻った。7月の契約が終わるまで、学校にいたいと思ったという。「それは生徒と繋がりを持つ素晴らしい機会だった」と話す。

 ビーレンさんは震災後、女性達は強くなったと感じる。また、子ども達も以前よりも自立したと感じるという。
2016年になって、ビーレンさんは子ども達を連れて気仙沼への再訪を果たした。ソーシャルメディアを通じて、今日も気仙沼と繋がっているという。ビーレンさんは「Kizuna Building for Future」というフェイスブック・ページを流している。

シカゴ在住のジョアン・藤平さんは震災発生から丸一日、福島にいる息子のアキさんの消息が分からず、不安な時間を過ごした。

アキさんは務めていた高校に留まり、保護者が生徒全員を迎えに来るまで、2晩を学校で過ごした。自宅に戻っても電気・ガス・水道が使えず、福島第一原発事故の様子が分かってきたことから、一旦山形の友人宅へ身を寄せた。そこで一週間ぶりに入浴し、父の墓参りをして元気を取り戻すと、水を車に積み込んで福島へ戻った。

アキさんは福島で育ち、地元の人々の親切な人柄を良く知っている。福島へ戻ったのは「福島の人々を置き去りにして避難できない」という気持ちからだった。

 アキさんはずっと福島に留まり、現在は桜の聖母学院で准教授を務める。同学院は震災後、熊本の高校から寄付をもらい、2016年の熊本地震の時には募金を集めて同校に送った。こうした出来事が両校の絆を強め、生徒達が相互に訪問し合うなど交流を続けているという。

ウィスコンシン在住の高橋章子さんは岩手県山田町の出身で、両親が津波に流され死亡した。両親の遺体が見つかったのは震災から3週間後だった。遺体が見つかってほっとする一方、深い悲しみに襲われた。

高橋さんが山田町に戻れたのは7週間後だった。遺体の火葬がすぐにはできなかったため、両親の遺体に対面することができたという。生まれ故郷はすべて破壊されていた。ショックによるトラウマは長く続いたという。

 多くの人々のサポートを受けた高橋さんは、女性は悲しみを理解し合い慰め合う特別な力を持っていると話す。そして、日々の生活を送ることが、どれ程価値あるものかを学んだと語った。

写真家 アラン・ラブ氏

アラン・ラブ シカゴ美術大学准教授は、昨年の絆6で写真の解説に尽力した。そして、実際に被災地に行き、東北の人々の未来への希望を撮りたいと思った。

 昨年夏に東京芸術大学で講義したラブ氏は、その足で東北を訪ねた。11月に絆7のプロジェクトで東北入りすることは分かっていたが、その前に東北をより良く理解しておきたいと思ったからだという。日本人の夫人が通訳や案内人となり助けてくれた。

 岩手県釜石市でケイコさん(34)に出会った。ケイコさんは震災後釜石市にもどり、ミツコさんと共に民宿を経営している。利用客は主に建設に携わる人々だという。仙台に住んでいたケイコさんは震災により故郷に戻り、人生が大きく変わることになった。

 ラブ氏は、強い女性の後ろには良い男達がいると話す。
近藤さん(33)は魚介類の加工センターで働く。その加工センターはラブ氏が訪れる1週間前に再建されオープンしたばかりだった。

 近藤さんによると、かつて加工センターでは多くの女性が働いていたが、今は多くの女性達が家にいるという。住宅建設が行われており、そちらの方に手が掛かるようだ。建設が終わり通常に戻れば、また女性達が加工センターに戻ってくるだろうという。
釜石のコミュニティでは住人の繋がりが強く、みんなが知り合いなのだという。

 かつやさんは震災時、東京近郊に住んでいたが、週末に東北を訪れて手伝ううちに海産物の会社を創設した。それにより、地域の活性化に貢献でき、女性達を雇用することができたという。ここでは震災後、殆どの人々の生活が変わってしまった。

 津波で流された宮城県亘理市の八重垣神社は500年の歴史を持つ。だが、政府は再建しないことに決めていた。しかし、流された神社の所蔵物が見つかったため、再建されることになった。いまでも50マイル離れた仮設住宅に住んでいる人達が参拝にやって来るという。

 仙台では女性グループが非営利団体を立ち上げ、津波で流された写真25万枚をオンラインで公開している。毎年1回のイベントを開き、写真を引き取りに来た人達に渡しているという。既に15万枚の写真を修復し、写真の持ち主や家族に返した。

 写真展は3月12日から16日までトンプソン・センターで行われたほか、5月5日から5月26日まで、シカゴ市のハロルド・ワシントン・ライブラリーで展示される。

一連の絆追悼イベントは、「何かしなければ」という思いから行動を起こした野毛洋子氏によって2012年に第一回の絆イベントがトンプソンセンターで行われた。

以後、毎年継続され、現在は名嘉君代氏がチェアとなって実行している。今年はABC 7のポリティカル・アナリストでシカゴ・サンタイムズのコラムニストのローラ・ワシントン氏が司会を務めた。

 絆イベントはシカゴ姉妹都市インターナショナル大阪委員会、シカゴ日米協会、在シカゴ総領事館、シカゴ日本商工会議所、JETROシカゴの協力で開催され、ブルース・ラウナー州知事とラーム・エマニュエル・シカゴ市長が名誉共同会長を務めている


立ち直る東北の女性達を描いた「絆7」写真展


伊藤直樹総領事


左より、MCローラ・ワシントン氏、パティ・ビーレン氏、ジョアン・藤平氏、高橋章子氏、
愛理寿・高橋・ブレイディ氏



被害に遭った実家と周辺の写真の前で記念撮影する高橋章子氏(右)、野毛洋子前絆実行委員長(右2)、ワシントン氏(左2)、愛理寿・高橋・ブレイディ氏氏(左)


今井誠先生率いるプロジェクト・ラブ・オールのメンバー


アラン・ラブ・シカゴ美術大学准教授


釜石で民宿を経営するケイコさん


再建された500年の歴史を持つ神社