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総領事公邸に流れる歴史と足跡
50周年記念式典で物語る、縁の人々

• エバンストンにある総領事公邸の50周年を記念する式典が4月18日、総領事公邸で行われた。式典には公邸の建物と縁のあるホワイトソックス・オーナーのジェリー・ラインズドーフ氏、ノースウェスタン大学国際関係プレジデントのデボラ・グリンスパン氏、公邸になる以前のオーナーの孫リチャード・ブリッグス氏、公邸になって初めて入居した影井梅夫総領事の息子のジョージ・影井氏らが邸宅にまつわる歴史について語った。また、建築家のスチュワート・コーエン氏が邸宅の特徴や設計した建築家について、プレゼンテーションを行った。式典には長年に亘って日米関係を促進しているアドライ・スティーブンソン元米上院議員やスティーブ・ハガーティ・エバンストン市長、公邸の隣人達も出席した。

• 総領事公邸は元々、フランク・ロイド・ライトの親友・同僚として活躍したロバート・スペンサーの設計により、ネイサン・W・ウィリアムズ氏の邸宅として1912年に建てられた。
• その後邸宅は数人のシカゴビジネスマンによって所有され、5代目のオーナーが慈善家で知られるオーエン・クーン氏だった。その後、当時のホワイトソックス・オーナーだったアーサー・C・アリン氏に売却された。

• 50周年記念式典の司会を務めたジーン・ホンダ氏も同邸宅に縁のある人物だった。ジーン・ホンダ氏は、ホワイトソックスやブラック・ホークスの実況アナウンサーとして知られる。同氏によると、同氏の叔父に当たるトーマス・増田氏が1966年に同邸宅を購入、2年後の1968年2月に日本政府が購入した。以後23代の総領事が公邸に住んで来た。

• 伊藤直樹・在シカゴ総領事は、公邸は近代アメリカ住宅として開発された建物であり、建築家スペンサーのマスターピースの一つだと話し、1992年にエバンストン市の歴史的建造物に指定されたと語った。
• 伊藤総領事によると、1968年当時日本政府は現公邸近くの邸宅を借りていた。エバンストンに公邸を購入した理由を示す書類はないが、当時はエバンストンに多くの国の総領事が住んでいたという。
• 公邸となった建物には元々、ミシガン湖まで裏庭が続きテニスコートや噴水、ティーハウスなどがあった。しかし、購入時には既に裏庭は分割されていたという。伊藤総領事は「その庭があればアウトドアで茶道などの日本文化紹介ができただろう」と話した。

• 住宅建築家のスチュワート・コーエン氏によると、フランク・ロイド・ライトとロバート・スペンサーは衣服を貸し借りするほど仲が良く、一時は事務所を共有し、新しい住宅開発についてアイディアを出し合っていたという。公邸はその様なアイディアによって設計されたもので、プレーリー・スタイルと言うよりも、遙かに近代化されたものだと言う。英国建築様式を装飾的に外装に使ったり、花模様のリリーフを内装に使ったり、英国の当時のアートやクラフト動向を取り入れ、水平に開ける窓などに斬新なアイディアが見られるという。

• リチャード・ブリッグス氏は、祖父である五代目のオーナー、オーエン・クーン氏について語った。
• クーン氏はイリノイ州に生まれ育ち、1912年にノースウエスタン大学に入学した。弁論が得意でクラリオン・デュワイト・ハーディ教授に師事した。1915年に卒業後、同大学のロー・スクールに進んだ。折しも第一次世界大戦中で、在学中に1年間海軍に属し、1919年に卒業した。
• 弁護士になったクーン氏は1921年から22年にかけて、農場がスイッチマン・ストライキにより被った賠償訴訟で勝訴した。
• その後クーン氏は、自動車ローンビジネスにいち早く着目し、1925年にMotor Acceptance Corporationを創立した。1935年には、破綻したデトロイトの自動車ローン会社General Finance Corporationを吸収し、Motor Acceptanceの名前をGeneral Financeに変更した。クーン氏は大恐慌の中でも利益を上げていたという。

• 同年、クーン氏は弁論の恩師ハーディ教授の名前を付けた「ハーディ・スコラシップス」を設立し、弁論を学ぶ生徒に提供した。同奨学金は今日も続いている。

• クーン氏は1940年にエバンストンの邸宅を購入した。ブリッグス氏の憶測によると、理由は3つ。①エバンストン出身の夫人のため、②良い売買取引であったこと、③ノースウェスタン大学の奨学金を受けた生徒達をもてなすため。

• クーン氏は1946年にオーエン・クーン基金を設立した。基金設立の最初の会合が同年6月1日に邸宅で行われたという。同基金によりノースウェスタン大学に法律図書館が寄付され、現在でも同大学への寄付を続けている。

• クーン氏は1948年に白血病で死去、享年54歳だった。夫人はその後数年間邸宅に住んでいたが、ホワイトソックスのアーサー・アリン氏に売却した。

• ブリッグス氏は伯父から1991年にクーン基金を引き継ぎ、2017年まで運営を続けた。ブリッグス氏は現在、ロサンジェルスの増田舟井弁護士事務所のカウンセルを務めている。

• 1966年以降、邸宅はどうなったのか。
• 1967年1月、シカゴは記録的な大雪に見舞われた。その後すぐ、2月初めに影井梅夫総領事夫妻と8人の子ども達が、タイのバンコクからエバンストンの公邸に入った。
• ジョージ・影井氏は8人の子どものうちの1人だった。小学校から高校まで5年間を公邸で過ごしたという。
• その5年間に、家族はテレビの前に集まり、多くの事件を見守った。1968年4月にマーティン・ルーサー・キング牧師が暗殺された。同年にシカゴで起きたベトナム政策反対デモの流血事件を目撃し、ニクソン大統領とハンフリー氏が戦った大統領選挙結果を見た。1969年、ニール・アームストロングが月面に降り立った。同年にはウッドストックで40万人が集まるミュージック・フェスティバルが開催された。同年、好調だったカブスがメッツに優勝を許し、がっかりすることもあった。
• 8人の子ども達が走り回る公邸はいつも賑やかだった。影井氏は「この家の壁は、1972年に子ども達から解放されてホッとしたかも知れない。だが、きっと『賑やか』という言葉を学んだに違いない」と語った。ジョージ・影井氏は現在、ロサンジェルスの増田舟井弁護士事務所の代表を務めている


50周年を迎えた総領事公邸(写真提供:在シカゴ総領事館)


左より、伊藤直樹在シカゴ総領事、アドライ・スティーブンソン元米上院議員、スティーブ・
ハガーティ・エバンストン市長


スチュワート・コーエン氏


ウイリアムズ家の紋が彫り込まれた現存する暖炉(写真提供:在シカゴ総領事館)


リチャード・ブリッグス氏


ジョージ・影井氏