日本語メインに戻る
モントローズ墓地でメモリアルデー
先人を想い出し、語り継ぐ日に

 日本人・日系人のためのメモリアルデー・サービスが5月28日、シカゴ市北部にあるモントローズ墓地で行われた。毎年サービスを提供しているのはシカゴ共済会で、1935年に設立されて以来、日本人を埋葬する墓地を確保し、またお金もなく身寄りもなく死亡した人々に礼を尽くして埋葬して来た。

 シカゴ共済会の設立から80年以上が過ぎた現在では想像もつかないことだが、当時は人種差別があからさまに行われており、日本人や日系人の埋葬を受け入れてくれたのはモントローズ墓地のみだった。

 シカゴ共済会プレジデントのゲイリー・シモムラ氏は「メモリアルデーは、我々が自由の権利を持って生きられるように、命を捧げてくれた軍人の方々に敬意を表す日です」と挨拶。そして、退役軍人の会「シカゴ二世ポスト」によって星条旗が飾られている墓が、日系社会から軍に奉仕した人々だと話した。

 また、ロサンジェルスのリトル東京には「Go For Broke メモリアル」という記念碑があり、日系二世から成る第100歩兵隊や442部隊、諜報部に奉仕した約1万6000人の名前が刻まれている」と話した。また、「基本的人権を剥奪されながらも忠誠心を証明するために戦った二世兵士のレガシーが綴られた記念碑には、『二度と市民権と自由が否定されてはならない』と記されている」と話し、「学校の歴史の授業では、この時期の日系アメリカ人が被った人権侵害のことが適切に教えられていない。だからこそ、これを代々語り継ぐことは非常に大切なことだ」と語った。

 メモリアルデー・サービスはシカゴ二世ポスト1183部隊による星条旗設置で始まり、ユキ・スクロギンズ牧師とリンダ・ミズウィズ・パーケット牧師による祈りが捧げられた。また、ロン・ミヤムラ住職、村上佳代・立正佼成会シカゴ支部長らシカゴ仏教会連盟による読経、金光教シカゴ支部の竹内正教氏による祈りが捧げられた。

 チェルシー・ヒカワ氏指揮でクリスチャン・クワイヤーによる 「From a Distance」や賛美歌「Sweet By and By」、そよかぜコーラスによる「なだめ」「さとうきび畑」「ふるさと」など、爽やかな歌声がモントローズ墓地に響き、静かに眠る人々を慰めた。
最後に日本・日系団体の代表により献花が行われた。

墓地を訪れる人々

 デビー・ブスカドさんは両親が眠る墓の手前に花を植えていた。墓石に刻まれている苗字は「テルサキ」さん。

 デビーさんによると、両親は日系二世で、父はワシントン州、母はカリフォルニア出身で、トゥーリー・レイク強制収容所で出会った。両親は長く収容所に留まる必要は無く、オレゴンのネサで収穫の仕事を得て、そこで正式に結婚した。両親はその後シカゴに移り、父はオート&ボディ、フェンダー店を営み、デビーさんと兄の2人の子どもをもうけた。

 デビーさんは「一年に一回、毎年来ます。もっと来るべきですけど。今日は花などを植えています」と語った。

 マークさんは毎年、夫人を伴ってモントローズ墓地にやって来る。祖父母と両親が眠っているという。苗字はタナカさん。

 祖父は1800年代に生まれ、1930年代に米国に移住した。第二次世界大戦中はマンザナール強制収容所に収容され、その後シカゴに定住してレストランを開いていた。祖母は流暢なスペイン語を話していたことから、スペイン語を話す人達を顧客に床屋を開いていた。祖父は1998年に、祖母も1990年代に世を去った。

 父は朝鮮戦争で兵役に就いていた。その後のことは良く分からないが、約10年前に亡くなったと語った。

二世兵士を慕う アメリコ少年

 メモリアルデーには毎年、二世兵士を慕うイタリア人のアメリコ・ブグリアニ氏がやって来る。第二次世界大戦中、12歳の少年だったブグリアニ氏はピエトラサンタに野営していた二世兵士から歯磨きと歯ブラシ、歩兵隊のバッジがついた帽子、その二世兵士の写真をもらった。その二世兵士は微笑みながらポール・サカモトだと名乗った。
ブグリアニ氏は、嬉しいことなど何もない戦時中に、とても嬉しかったと言う。

 その夜、二世部隊はそそり立つ3000フィートのゴシックラインをよじ登り、難攻不落と言われたドイツ軍の要塞を背後から突き、30分で落とした。アメリコ少年が出会ったのは、死を決意したサカモト氏だったかも知れない。

 ブグリアニ氏は大人になっても“ポール・サカモト”の名前を忘れることはなく、探し続けていた。そして、50年後にハワイに住んでいたサカモト氏と遂に再会を果たした。

 その後、ブグリアニ氏は二世部隊の活躍を故郷のピエトラサンタに伝えたいと寄付を集め、サダオ・ムネモリ氏の銅像を建てた。戦場でムネモリ氏は、転がってくる手榴弾の上に身を投げ、2人の部下を救っている。

 ブグリアニ氏は1954年5月に移民として渡米後、すぐに徴兵された。退役後はGIビルを利用し、ノースウェスタン大学でPh.Dを取得、1981年までイリノイ大学シカゴ校で教鞭についていた。現在はサカモト氏と出会った故郷のピエトラサンタに住み続けている


アメリカ国旗を立てるシカゴ二世ポスト1183部隊


共済会プレジデント、ゲイリー・シモムラ氏


ふるさとなどを歌う、そよかぜコーラス


読経するシカゴ仏教連盟のお坊さん


心を打つくアメージング・グレイスを響かせるケン・カドヤマ氏


デビーさんと夫のブスカドさん


マークさんと娘のステファニーさん


アメリコ・ブグリアニ氏夫妻