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時代に乗るチンドンビジネス
チンドン通信社の
親方・ 林幸治郎氏に訊く

• シカゴ-大阪45周年記念パレードを盛り上げたチンドン通信社の親方・林幸治郎氏に、チンドン屋ビジネスについて伺った。すたれ行くチンドン屋になぜ挑んだのか。

• 林幸治郎氏は福岡県の金物問屋の息子。名門修猷館高校に入るも、場違いな雰囲気に悩んだ。大学時代にチンドン屋に出会い、子どもの頃に親しんだ金物業界の宴会の記憶が蘇った。
• チンドン屋特有の、年齢層を超えたコミュニケーション能力に惹かれ、大学卒業後の1981年にチンドン屋に住み込みの修業に入った。一方、元々大道芸であった歌舞伎や能、狂言の芸能をチンドン屋のパフォーマンスに採り入れられないかと模索を続けた。2年余りの修行後、1984年に独立し、「サービス業と芸能の融合」を謳ってチンドン業を開始した。

• Q:チンドン業を初めて、如何でした?

• 林:商店の開店などの仕事がどんどん減ってくる時でしたから、バカかと言われました。でも僕は、新しい業界から仕事が来るだろうと確信がありました。
• 独立してすぐに博報堂から連絡があって、有楽町マリオンに入っていた有楽町西武百貨店がチンドン屋を100人集めるという話しでした。そこで3日間やりました。
• その後、コンビニ、居酒屋チェーンなどがどんどんオープンしました。それから郊外型のショッピングセンターの開店には全部行きました。一方、ダイエーの閉店セールにも行きましたね。それから、携帯電話の宣伝なども入って来ました。

• 海外ではヤオハン・デパートがどんどん出店し、全部行きました。その他、モンゴル、サンディエゴ、パリ、ロンドンなどにも行きました。シンガポールではジャッキー・チェンの前座もやりました。NHKのドキュメンタリー番組でイタリアの村々を回ったりもしました。その時に言葉以外にたくさんコミュニケーションの方法があるんだなと思いました。ナポリでは不良少年ばかり集まってきましたが、我々のチンドンで彼らの心がじーんとなったみたいですね。みんな同じ心を持って毎日過ごしているんですね。

• Q:若い人達もやってますね。

• 林:うちは20年30年選手が20人位いるんですよ。一番若いのは28歳位で新しいメンバーが増えてきたから、その子らを鍛えて、未来を託そうかと思っています。チンドン通信社全体で25人位ですね。

• Q:ビジネスもすっかり軌道に?

• 林:広告代理店や芸能プロダクションから頂く仕事もありますが、直接仕事の依頼を受ける方が圧倒的に多いですね。仕事自体はバブル時に比べると半分に減っています。でもバブルの時の方がうちの事務所は赤字でした。無駄なお金もどんどん使っていたから。今は黒字なんですよ。これからは新しい人間が30年前の僕みたいに現れて、次の新しい仕事を作ってくれるはずなんです。

• Q:今回の45周年記念イベントの話しは?

• 林:野毛洋子さんは30何年前から一方的に知っているんですよ。ブルースを歌う人で、どんな人かと思っていたのですが、三十数年経って野毛さんから電話が掛かって来ました。そういうケースが結構あるんですよ。
• 今回は大阪をシカゴでPRするという大役をね、結構やれたんじゃないかと思いますよ。理屈で大阪を訴えるのではなく、何か雰囲気で訴えられたらと、六甲おろしをやりました。

• Q:吉村市長が「六甲おろしが流れた時は逃げだそうかと思った。まだ優勝してないのにね」と言われていましたが。

• 林:いい感じで六甲おろしやると、それを知らない人も寄って来るし、シカゴで六甲おろしを歌いたいけども格好悪くて歌えないという日本人もいると思うし、そう言う人達が歌ってくれると面白いじゃないですか。みんな自分の好きなことを隠したりしているから、チンドン屋が率先してちょっとほぐすとね。自分で言うのも何ですが、今回は非常に役に立ったような気が致しました。

• Q:ありがとうございました。


シカゴ-大阪45周年記念パレードでマグ・マイルを練り歩く林幸治郎氏