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ゴジラの祭典“G-FEST”
「決してあきらめない」薩摩剣八郎人生談

• ゴジラや怪獣ファンの祭典“G-FEST”が7月13日から15日までの3日間、ローズモントにあるクラウン・プラザ・ホテルで開催され、世界のファンが結集した。
• 今年で25回目の開催となったG-FESTは、特別ゲストとして宝田明さんを招待した。しかし、宝田さんは8月からの舞台に向けて体調を整えようとシカゴ行きを断念、代わりにスーツ・アクターの薩摩剣八郎氏がやって来た。薩摩氏はゴジラシリーズで1984年から1995年まで、ゴジラのスーツアクターとして活躍している。その他、「ゴジラVSビオランテ」(1989年)から「ゴジラVSデストロイア」(1995年)まで、6作連続で超能力少女・三枝未希(さえぐさみき)役を演じた小高恵美さん、ゴジラや怪獣などの着ぐるみを製作した特殊造形師の村瀬継蔵氏、宝田明さんの息子の宝田哲也さんがらがゴジラファンの歓迎を受けた。
• こうした日本人ゲストとアメリカ人ファンのコミュニケーションを可能にしているのがロバート・スコット・フィールド氏。同氏は近鉄バッファローズの元選手であり、引退後は俳優、ミュージシャンなどで活躍し、堪能な日本語でウィットに満ちた通訳を提供している。

• クラウン・ホテルを占拠したG-FESTには約1000人のファンが行き交い、講演会やサイン会、怪獣映画上映会、ビデオ・ゲーム、ワークショップ、コスチューム・パレードなど、数々のイベントが行われた。

• G-FESTは、カナダの高校教師でゴジラファンのJ・D・リーズ氏がゴジラファン向けにニュースレターを発行したことに始まる。1993年に初めて発行された“G-FAN”は、たちまち世界のゴジラファンの間に広まり、翌年の1994年に約20人の有志が初めてシカゴ郊外で顔を合わせた。シカゴに集まったのは、オヘア空港に全米・世界各国から乗り入れができるため。以来毎年シカゴでコンベンションが開催されている。
• 今年は25周年を記念して、G-FANや様々な想い出のシーンが写真などで展示された。シカゴ新報も額縁に入れて展示され名誉を得た。

• 中年層が中核を成すゴジラファン達は子どもや家族を連れて来るようになり、参加者の裾野が広がっている。アーカンソー州から来た家族は少しずつ費用を貯め、G-FESTに来るのを楽しみにしていると語った。

薩摩剣八郎講演会

• 薩摩剣八郎氏は1947年、鹿児島県生まれ。映画界の浮き沈みに翻弄されるも、決して流されず自分の道を切り開いて行った。薩摩氏は満場のファンの前で、その半生について語った。

Q:なぜ映画界に?

• 薩摩:日活の大スター、石原裕次郎さんに憧れていたから。日活のニューフェイス募集に応募しましたが一次で落ちました。
• 私は神戸にある鉄工所に勤めていました。溶鉱炉から流れて来る鉄から鉄鋼の塊を作る造塊職です。塩と水を頻繁に補給しないと身体が保たないような暑いところでした。
• だから暑さには強くなって、ゴジラにも役だちましたね。(大拍手)

Q:ニューフェイス応募を諦めなかったんですね。

• 薩摩:鉄工所では1年間無遅刻無欠勤で、本採用になりました。それから千葉に新工場ができたので、千葉に転勤になりました。仕事は同じ造塊職です。
• ある日、ニューフェイス募集を新聞で見て、よせばいいのに応募しました。今度は二次試験に合格して養成所に入りました。後から思うと、日活は誰でも良かったんですね。
• 私は鹿児島弁が抜けなかったけども、一生懸命にやっていました。すると、先生が「あいつは熱心だ」と言う事で、養成所内の舞台公演で主役をやらせてくれました。
• その公演には日活のお偉方達が来ていて、後に監督から撮影所に呼ばれて、いい役をもらいました。主役を付け回るヒットマンの役です。ところが他から文句が付き、ヒットマンから「子分A」という小さな役になってしまいました。
• それでも負けなかったね。毎日励んでいると、日活と社員契約することになりました。だから何でもね、やるべき事をやれば、見ている人はちゃんと見ているわけだ。私が下の方から専属になった第一号。

Q:いいお話しですね。

• 薩摩:喜んで一生懸命にやっていたら、1968年の「あゝひめゆりの塔」などに抜擢されて映画に出るようになって、よしこれからやるぞ!  と思ったところで日活の方がおかしくなった。ポルノの方に変更して、「やる気があったらお前も裸になれ」と言われて悩んだね。アクションスターを夢見て日活に入ったのに。

Q:それからどのように?

• 薩摩:その頃、三船プロダクションに先輩がいて、そこへ呼んでくれました。
• 三船プロと東宝映画は昵懇の間柄だったから、私は三船プロと契約して一応ギャラをもらって、それから東宝の作品に出るようになりました。それもいい役じゃないよ。すっ飛びとか、水の中に飛び込むとか、だけど目立つわけだ。
• そうしているうちに東宝の監督から直々に指名が来て、監督に会いに行きました。監督は「う~ん、う~ん」とうなっていましたが、突然「ピッタリだ!」と言うんですよ。喜びましたね。
• 「君はピッタリだ、怪獣ヘドラになってもらう」って。「え~っ?!」とビックリしましたね。「ちょっと待って下さい」と言って、ショボショボと帰りました。
• 三船プロの事務所に報告すると「おーやったか! 怪獣は怪獣でもゴジラの敵だから、これは目立つよ。一本ぐらいやってみろ、ギャラもいいから」と言われて、嫌だったけども一本だけのつもりでやりました。
• ヘドラの着ぐるみを合わせに行くと、造形の責任者があれこれ言うんですよ、焼酎を飲みながらね。ヘドラの着ぐるみは重いから動くでしょう、すると「動くなっ!」てね。鬼安ってあだ名を付けましたね。今でも鬼安って呼んで、お付き合いしています。

Q:着ぐるみの中に入っていたら孤独じゃないですか?

• 薩摩:ただ着ぐるみの中に入って暴れていたらダメだと思って、中から見た外の人の世界を日記風に書いていたんですよ。それが最後の方は「ゴジラ日記」になりました。
• 特撮映画の場合は、男女変わらず仕事をしている。中には美大を出た綺麗な女の子が来るんですよ。見るのが楽しみ。そうしないと苦しくてやってられない。
• その後、新聞社からいろんな人がインタビューに来るようになって、書いたものをポンと出したら、それを見た雑誌社の編集者が、面白いから本にしましょうと言ってくれて、本になりました。400字詰め原稿用紙で40枚ほどありました。

Q:ヘドラの時、ゴジラには中島春雄さんが入っていましたね。

• 薩摩:初めて会った中島さんは元気でしたよ。私はニューフェイスだから何も言えなかった。
• ゴジラが主役だし、ヘドラは重くて殆ど動けない。だから中島さん、そりゃぁ鼻息が荒かった。だから怪獣のアクションについて中島さんには訊かなかった。こちらも意地があるから。それで、ヘドラの役はダメかなと思ったら、それがいいってゴジラ対ガイガンに抜擢されました。

Q:一本だけのつもりでは?

• 薩摩:一本だけだと思ってたけどその頃になると段々ね。みんなもう、汚れて一生懸命働いているんですよ。そういう姿が見ているうちに伝わって来て、段々好きになっちゃったね。

• 会場からは薩摩氏の話に大きな拍手が湧き上がった


講演する薩摩剣八郎氏


満場のゴジラファン=G-FEST会場で


薩摩剣八郎氏(右)と宝田哲也氏


小高恵美さん(中)とロバート・スコット・フィールド氏(右)


手作りのコスチュームで会場を徘徊するゴジラファン


展示会場に現れたゴジラファン