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特殊造形師・村瀬継蔵氏に訊く

• 7月13日から15日まで、ローズモントにあるクラウン・プラザ・ホテルで開催されたゴジラファンの祭典G-FESTで、サイン会のテーブルに座り、関係者と打ち合わせをしていた村瀬継蔵氏からは、ただならぬオーラが出ていた。それに惹かれてインタビューをお願いすると、村瀬氏は穏やかに、丁寧に答えてくれた。

• 村瀬氏は1958年に東宝撮影所に入社し、バラン、ゴジラ、ガメラなどの大怪獣や仮面ライダーやウルトラマンAなど、多くの着ぐるみ製作を続けて来た。1972年には造形美術会社ツエニーを設立し、舞台造形・美術など幅広い分野で活躍している。

Q:ゴジラも村瀬さんが?

• 村瀬:私が関わったのは、ゴジラの二代目からなんですね。バランが私が一番力を入れて作り始めたものです。それからモスラを作り、ギドラを作り、いろんな東宝の作品をずっと作ってきたんです。

Q:どんなところが難しいですか?

• 村瀬:まず、軽く作ることですね、身軽に動けないとアクションが激しいので。作り手としては中に入る人のことを考えて、中島さんや薩摩さんなどが中に入ってやって来ましたけど、あの方達が楽に動けるようなものを作ろうと、ずっとやっていました。

Q:中は暑いそうですね。

• 村瀬:本当に暑いですから、次のカットに変わる時には衣装を脱がして、扇風機で冷やしてあげる。また撮影が始まると衣装のファスナーを閉めて送り出す、そう言うことをやっていました。

Q:材料は?

• 村瀬:私どもが最初にゴジラを作った頃には、原型となる芯は、金網で作っていました。その後、軽い発泡スチロールが出て来たので、非常に作り易くなりました。
• 布団の下に敷くマットがありますね。ああいうマットを使ってゴジラを作ることができるようになったので、軽く柔らかくなりました。
• 水の中に入ることもあるので大変です。ゴジラに入っていた中島春雄さんは何度もおぼれそうになりました。水に入るのが一番危険なんです、自分では出られませんからね。ですからスーツ・アクターと私達同士で合図を決めておいて、その合図があると撮影中でも関係なく飛び込んで行って助ける、そう言うことをやっていました。

Q:怪獣同士の戦いで、爆破されたり燃えたりしますね。

• 村瀬:いやぁ、はやりね、次の日の撮影に備えて爆破したのを全部元通りに修復するんですよ。朝までかかって直すのが4日ぐらい続いたことがあります。
• ビルが間違って壊れたりした場合は、次の日までにビルを復元して、塗装して、最初と同じ状態に戻さなければならないという、そういう難しさがありますね。

• 怪獣が山で戦う場合には、杉の木をたくさん植えるんです。そこで火薬を使うと山火事になる事がある。実際にそう言うことがありました。
• そうするとアクターが衣装から脱出するのが間に合わないんです。消火器を使うと中にいる人が呼吸ができなくなるから使えないんです。そうなったら私達が火傷しようが関係なく、アクターの救助に向かわないといけない。
• やはり作る方というのは、中に入っている人のことが第一です。第二は撮影し易いように、いい形になることを考えて作るということですね。
• まぁ、監督の要求を全部こちらが全部受け止めて、良い作品を作るために努力をするということが僕たちの役目ですね。

Q:目が動くなどの装置も中に入れるのですか?

• 村瀬:そうです。全部モーターを無線で動かしています。私はもう83歳ですけど、現役でまだ仕事をやっています。

Q:一体作るのにどれ位の時間が?

• 村瀬:一人では作れませんので、3人で分担して作ります。ゴジラを作るとすれば一ヶ月はかかります。東宝にいた当時は大体2ヶ月近くかかりました。今の方がずっと楽になっていますね。

Q:どうして造形師に?

• 村瀬:私は北海道の農家の出身で、機械をいじったり、いろいろな物を作るのが好きでした。
• 兄が東京の美術学校にいましたので、アトピーを治すために東京へ出て行ったんです。
• 兄がゴジラを作っている所でアルバイトしていたものですから、私にやってみないかと言うことで、やってみました。
• 5月に東京に来て、8月からゴジラを作り始めたんですけど、アトピーが良くなったので北海道に帰りました。また農家の仕事をやろうと思ったんですけど、帰ったらアトピーが再発したので、農家の仕事を諦めてゴジラを一生懸命作るという事になった訳です。

Q:ゴジラを作っていればアトピーの事を忘れるみたいですね。

• 村瀬:いろんな辛いことは物を作ると忘れることができるというか、それはありますね。

Q:ありがとうございました。


村瀬継蔵氏=G-FEST会場で


モスラ時代の村瀬氏