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シカゴ双葉会全日校、創立40周年を祝う
開校当時の一年生が40年の歩みを語る

• シカゴ双葉会日本語学校全日校の創立40周年とすみれ幼稚園の開園10周年を記念する親睦会が、8月29日夕方に同校体育館で開催された。また、同日午後には児童生徒を対象に40周年記念集会が開催された。
• 記念親睦会と集会には、1978年9月の開校時に1年生だった有田敏郎氏と古川葉子氏、1982年から84年まで5年生から中学1年生初期まで全日校で学んだ永坂憲吾氏が出席し、40年間の歩みを語った。
• また記念集会では、同校で39年間英語を教え続けているダイアン・スターク先生の勤労を称えて、伊藤直樹在シカゴ総領事より総領事賞が贈られた。

• スターク先生は「39年は長いですが、1年1年違った経験がありますからそんなに長く感じないこともあります。日本の生徒に英語を教えるのは楽しいことです。何度も発音を繰り返せば皆さん正しい発音ができるようになりますし、自信を持って話すことができるようになります」と語った。

• 親睦会は富永教頭の「40年の重みを感じながら40周年を祝いたい」という初めの言葉で始まり、坂野忠校長は「40年の歩みとこれからの全日校の歩みを、みんなで語り合いたい」と出席者を歓迎した。
• また、すみれ幼稚園の中根園長は「すみれ幼稚園で楽しい想い出を作って、日本人学校はいいなと思ってもらい、そのまま小学部に上がってもらうのが私達の役目。卒園生も小学部で充実した学校生活を送っている」と語った。

• 来賓代表として牧野秀樹在シカゴ領事は「今まで8カ国に勤務し日本人学校の補習事業校の運営に携わってきたが、こんなにしっかりとした運営部隊があるのは今までに見たことがない」と述べ、シカゴ双葉会の40周年を祝った。

• JCCCの渉外PR委員会副委員長兼双葉会財政担当理事の高橋国彦氏は「JCCCのミッションの一つである『教育の充実』が双葉会の運営に当たり、日本の未来に繋がる大事なところだ」と話し、「引き続きJCCCと双葉会が一体となって、40周年から50周年、100週年になる事を期待したい」と述べた。高橋氏は補習校の代用教諭も引き受けている。

• 全日校卒業生で現在シカゴ双葉会運営理事長を務める永坂氏は、今回シカゴに住むのは4回目と縁が深い。永坂氏は5年ほど前からフェイスブックで全日校に在学した人々の名前を探し、見つければ連絡を取るという試みを続けて来たという。

【一期生の40年の歩み】

古川葉子氏

• 古川葉子氏は現在、3度目のシカゴ生活を送っている。
• 生まれてからすぐにドイツに住んだ古川さんは、一旦帰国後、1978年の春にシカゴにやって来た。現地校に入り、すでに開校していた補習校に通っていた。
• 夏休みになると、古川さんはサマーキャンプに入れられた。英語はできなかったが友達もできて楽しく過ごしていると、伝言ゲームで言葉の壁を感じてしまった。
• そんな経験から、全日校ができると聞いて嬉しかった。母国語の日本語で教育をしっかりと受けることが一番大事だと言うのが父親の教育方針だった。
• 古川さんは開校式のことを良く覚えていた。芝生の上にテントが張られ、中に立食の食事が用意されていたという。まさにそのシーンの写真が親睦会会場に展示されていた。
• 全日校は楽しく、数々の想い出がある。帰国後は「もう一度戻りたいとずっと思っていた」と語る。

• 帰国から20年後、夫の転勤でシカゴに住むことになり、2000年から2005年まで息子達を全日校に入れた。補習校だった時期もあるという。息子達は「海外を飛び回る仕事をしたい」と夢を持っていたが、大学4年生となった長男はその夢を叶えられる会社に就職が決まったという。「子ども達がここで得たものが、そのまま人生に大きく生きている」と古川氏は語る。
• 2005年に帰国してから古川氏は11年ぶりにシカゴに来ることになった。今度はシカゴで生まれた娘を連れて来た。古川氏は娘にも海外生活を経験させることができると話し「想い出が宝物になるような、学校がそう言う場所であり続けて欲しい」と語った。

有田敏郎氏

• 有田敏郎氏がJALのパイロットであることを知った永坂氏は、JALシカゴ支店長で双葉会運営委員会副会長の山田賢哉氏に相談し、40周年記念親睦会と集会への出席を依頼してもらった。有田氏はスケジュールを調整し、一泊三日でシカゴ入りした。

• 有田氏は幼稚園時代にはサンパウロの日本人学校に通っていた。父は日本人学校があることを確認してサンパウロに赴任した。一旦帰国し、シカゴで全日校が開校するという情報を得てシカゴに赴任したという。
• 有田氏は6歳だった1年生から11歳になるまでの4年半の間、全日校に通った。帰国後は神奈川県で暮らし、早稲田大学政治経済学部に入学した。当時、周りの人達がパイロットを目指しているのを見てJALに入社し、サンフランシスコでパイロットの訓練を受けた。
• 訓練は12人のグループで始まる。訓練中の試験に落ちれば即荷造りをして翌日には東京に帰されるという厳しいもので、最後まで残るのは約9割だという。
• 最初は副操縦士として勤務、機長になるまで約15年かかる。機長になっても、年間3回から4回、シュミレーターで訓練を受ける。審査がほぼ毎月のようにあるのだという。
• 有田氏は全日校で学んだこととして「グローバルな人材というのは基本的には日本人としての教育を受けた上で海外での多様性、経験を認識して成長することだと思っている。日本人学校というのはまさにそういった環境であるのではないかと思う」と語る。
• 日本では2020年より、小学5年生、6年生から英語教育が始まる。東京では東京グローバル人材育成計画が発表され、使える英語力や国際感覚の醸成が謳われているという。有田氏は「これはまさに日本人学校で皆さんが体験していることなのだと改めて思う。自国への認識、自信、誇りを構築して、だからこそ世界にも貢献できる人材を育成できるのかなと思う」と語った。

永坂憲吾氏

• 永坂憲吾氏は小学5年生から中学1年の初めまで全日校に在学した。東京に帰国後は高校時代にシカゴ留学、慶応大学卒業後は松下電器に入社し、シカゴに7年間駐在した。現在は京都製作所に勤め、シカゴに駐在している。シカゴに4回目の滞在と言う縁から、双葉会運営会の理事長を2年前から引き受けている。
• 永坂氏によると、全日校は3回校舎を移転している。開校時の1978年から84年の7月までは、スコーキーにある校舎を借りていた。84年から98年まではスコーキー校、98年にアーリントンハイツ校舎に移り現在に至る。

• 開校当時はまだJAPと呼ばれることもあり、通学バスに投石されることもあった。永坂氏は双葉会と書いた体操着を来て校外に出ないように指示されたと、当時の様子を語った。また、83年に摂氏マイナス34度、体感温度マイナス63度を体験し、それでも外で遊んでいた想い出も語った。

• 永坂氏は「双葉会の繋がりには特殊なものがある。価値観が一致している。現在の生徒さんにも、こういったものを続けて行って欲しい」と話す。そして、83年の卒業アルバムから当時の卒業生の現在を紹介した。
• 医者か社長になりたいと書いていた男子生徒は、長野県にあるリゾートの経営者になっている。王助監督に憧れ野球の助監督になりたいと書いていた男子生徒は金融専門家となっている。大人になったらどこかに行きたいと書いていた男子生徒は商社マントなりオーストラリアでサーフィンに興じている。可愛い小さなお店で働きたいと書いていた女子生徒はインテリア・デザイナーになっている。

• 永坂氏は「40年前にここで学んだ生徒は、今は世界に散らばってグローバルな人材になって活躍している。日本語ができて、かつ英語ができるからグローバルに活躍できると言う事が、ここの教育の根幹になっているということは私も強く感じている。今後も財政が苦しかろうと何であろうと歯を食いしばって、全日校が50周年、100周年を迎えることを願っている」と語った


シカゴ双葉会全日校開校40周年を祝って乾杯する出席者


坂野忠全日校校長(右)と島袋克補習校校長


ダイアン・スターク先生


有田俊郎氏(左)と古川葉子氏


開校1周年の写真。この中に有田氏と古川氏がいる。


永坂健吾氏