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ビル・ヨシノ氏に旭日小綬章、春の叙勲で

• ウィリアム・ヨシノ氏が春の叙勲で旭日小綬章を受章し、その授賞式が10月18日に総領事公邸で行われた。ヨシノ氏は、日本名で市民協会というJapanese American Citizens League(JACL)中西部ディレクターとして約40年に亘り人権擁護に尽力している。

• 伊藤直樹・在シカゴ総領事は、ヨシノ氏は日系人コミュニティのリーダーとして、日系人の歴史や日系人強制収容の事実を一般社会、特に若い世代に伝えるため、トレーニングや会議、ワークショップを通じて教育者を教育できるように手はずを整え成功に導いたと同氏の献身を称賛した。
• またヨシノ氏は、近年ではシカゴ地域において、日本祭り、日本・日系合同ピクニック、デイ・オブ・リメンブランスなどを通じて日本人と日系人を繋ぐ重要な役割を果たしている。特にデイ・オブ・リメンブランスでは、より広範囲に亘るシカゴ・コミュニティを巻き込み、人権保護への団結を促進している。
• 日系コミュニティは人種差別を経験した人々の状況改善に献身しており、シカゴに住む日本人の状況改善にも繋がっている。この様な活動が草の根レベルで友好を育てる機会を作っている。更にヨシノ氏はより包括的なコミュニティ作りに献身し、日米両国がより親密になるために貢献して来た。
• 伊藤総領事は「ヨシノ氏の旭日小綬章受章が、同氏の功績だけでなく日系人の皆さんの活動が重要な事であることを示し、皆さんの米国内の立場を護り、より強固な日米友好関係作りを奨励するものになる事を望む」と語った。

• ヨシノ氏は2017年5月でJACLを引退した。ヨシノ氏は、伊藤総領事の話のようにJACLを通じて日系人のストーリーをできる限り広い範囲に伝えることをキャリアにした事を幸運に思うと述べ、JACLと繋がり持ったことを誇りに思うと語った。
• またヨシノ氏は、仕事を成し遂げようとする時に人々からのサポートが非常に重要であることをキャリアを通して学んだと述べ、授章式に参列した友人や家族に謝意を述べた。

• ヨシノ氏の日本との関係は1988年頃に遡る。折しも米国政府が日系人収容の過ちを認め、謝罪と補償金の支払いを発表した後だった。ヨシノ氏はレーガン大統領による「Civil Liberties Act(市民自由法)」の署名式に出席している。
• 署名後、実際に連邦議会に補償金を分配させるために、日系人社会では多くのロビー活動が行われていた。
• シカゴとサンフランシスコを頻繁に往来していたヨシノ氏は、1988年から1992年まで全米JACLのプレジデントを務めたクラッシー・ナカガワ氏と懇意になった。
• ナカガワ氏がヨシノ氏を当時の柳井俊二・在サンフランシスコ総領事(後の駐米大使)に紹介し、日米関係に巻き込まれることになった。

• ヨシノ氏の父、モリス・タケオ・ヨシノ氏は神奈川県茅ヶ崎出身で、10代の時に横浜からシアトル行きの船に乗船した。その日は1924年6月23日。奇しくも排日移民法発効の1週間前で、父が乗船した船が最後の日本人移民を運ぶ船となった。
• 父は米国で大恐慌を経験し、日系人強制収容を被った。後に米国市民となったが、日本についての感性を失うことはなかった。日本の歴史に造詣が深く、日本の文化や芸術を愛し、そして人としての尊厳を持ち続けた。ヨシノ氏は父の人となりについて、明治天皇の近衛兵を務めていた祖父の影響だろうと話す。
• 「この様な背景から、この叙勲を父の想い出に捧げたい」とヨシノ氏は語った。

日系アメリカ人と日本

• ヨシノ氏を日米関係に巻き込んだナカガワ氏は日系アメリカ人と日米関係について、日本人にはよく理解されない日系人の立場について語った。

• 1988年にレーガン大統領が市民自由法が署名した後、特に西海岸の日系コミュニティでは補償金支払を法律化させるために激しいロビー活動が展開されており、そのためのファンドレイジングが必要だった。
• 一方この時期、日本と米国間では貿易摩擦が激化し、ジャパンバッシングが起きていた。ナカガワ氏の胸中には、日米関係悪化による日系人社会への悪影響についての懸念が膨らんでいた。
• 日系人は日本企業や日本政界の人々と決して良い関係は持っていなかった。1940年代初頭の日米関係悪化によって強制収容された事から、一世や二世は日本人と距離を置いていた。

• ナカガワ氏は「考えてみて欲しい」と述べ、当時の状況について語った。補償金支払いが法律化されなければ市民自由法の目的が失われる。そのためには日系コミュニティの協力とファンドレイジングが必須だった。
• 当時の柳井総領事から日米関係についての話があったのはその頃だった。ナカガワ氏とヨシノ氏は1988年から1990年にかけて、日系社会への問題の影響を回避するにはどうすれば良いのか、日系社会と日米関係の在り方について何度も語り合った。当時、ネガティブな個人的会話がバーやホテルなど、全米どこそこで行われていた。それを見るにつけ、ナカガワ氏とヨシノ氏はその様な会話が行われていることを日本人に知らせる必要があると思った。

• ナカガワ氏は柳井氏を通じてアトランタで開催された講演会に招待され、日米関係について日系人が何をするのか、なぜより関わる必要があるのかなどの疑問点について話した。実のところ、関わりたい日系人はいなかった。なぜという疑問への答えは、後にパシフィック・シティズン紙に書かれているという。

• ナカガワ氏は伊藤総領事に言いたいと述べ、次のように話した。
• ヨシノ氏の功績は叙勲に値する一方、JACLの仕事は米国政府や議会との関わりがなければ何一つ成果を上げることはできない。そして、あの時は(米政府や議会に対して)どうしてもやり遂げなければならないことがあった。
• 日本人を祖先に持つアメリカ人は、事ある時には前面に出て来ないと日本は認識しているだろう。何が問題の原因となっているのか、日本政府や代表の方々に伝えてもらいたい。
• 今回のヨシノ氏の叙勲は、我々が長い道のりを歩いて、このポイントにやって来たことを示している。それは日本が日系アメリカ人の価値と役割を認識してくれたこと。我々はより良いアメリカを作る役割を果たし、そのプロセスの中で日本もまた、より良い日本を作った。

• 最後にナカガワ氏は「今日の出席者が、日本がどの方向へ向かうのか見守ってくれることを望む。世の中の流れが1930年代後期の状況にかつてないほど近づく中で、我々も世の中の一部にあり、見続ける必要がある。ヨシノ氏が叙勲したことにより、我々はこれから日本の行方を見守るだろう」と語った


ウィリアム(ビル)・ヨシノ氏(右から二人目)を祝福する伊藤直樹在シカゴ総領事(右端)、左からリック・モリモト氏、クラッシー・ナカガワ氏


ヨシノ氏に授与された旭日小綬章