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JET同窓会、伝統ゲームや日本食で新年会
早世したJET同窓生を称える寄付も

• 恒例のシカゴJET同窓会の新年会が1月19日に開催され、JETプログラムを終えて米国に帰国したJET同窓生達が家族や友人と共に日本を懐かしんだ。第16回となる同新年会は、今年は定住者会(Japanese American Service Committee)で行われ、JET同窓生と日系アメリカ人社会との接点の一つとなった。
• JETとはthe Japan Exchange and Teaching Programの略で、英語を母国語とする人達が日本へ行き、日本全国の市町村にある小・中・高校で英語を教えたり、地方自治体の国際活動を援助している。

• 新年会は、日本文化会館の合気道グループによる合気道の実演で始まった。攻撃してくる相手の力を利用して攻撃をかわす鮮やかな技に、大人も子どもも息を呑んだ。
• スムーズなトークで司会役を務めたのは、昨年夏に石川県から帰国したアンドリュー・プリンシペさん。帰国後はフルタイムの仕事を探す一方、在シカゴ総領事館広報文化センターにパートタイムで働いている。
• 挨拶に立った定住者会のプログラムマネージャーのジョアン・アンボー氏は、自らも日本に3年半住んだことがあり、忘れられない想い出があると述べ、JET同窓生の新年会開催を歓迎した。また、定住者会発足の歴史や活動内容、今後のイベントなどを紹介した。

• シカゴJET同窓会プレジデントのエラ・マッキャン氏は、「新年会の目的の一つにファンドレイジングがあるが、それよりも新年会は日本のお正月の伝統文化を人々に紹介することだ」と挨拶した。
• また、マッキャン氏は昨年2人のJET同窓生を失ったと述べ、ロバート・ロバーツ氏ダニエル・プルイット氏のJET同窓会への貢献を称え、早すぎる死を悼んだ。シカゴJET同窓会では新年会で販売した抽選券や飲み物の売り上げを、ガンで亡くなったプルイット氏やロバーツ氏の逝去を偲び、ナショナル・マロー・ドーナー・プログラムが運営する「Be The Match Foundation」に寄付する。

JET同窓会プレジデントのエラ・マッキャン氏

• JET同窓生を日米関係の財産だと呼ぶ伊藤直樹在シカゴ総領事は、新年会はJET同窓会と定住者会のコラボレーションの「グッド・スタート」だと述べ、会場を提供してくれた定住者会に謝意を表した。
• 伊藤総領事は正月について、家族が集まり過ぎ去った年を振り返り、新年がより良い年になるように願う日だと話し、「今日はJETファミリーが集まる日。大人も子どもも、いろいろなお正月の伝統ゲームを楽しんで欲しい」と呼び掛けた。
• また、新年会の売上金の寄付に触れ、ロバーツ氏とプルイット氏がどんなにJET同窓会の日米文化交流活動に貢献したか、それを通じて2人の事が知られることになる」と述べ、新年会の機会を使ってJET同窓会が寄付を集めてくれたことを心に留めて欲しいと語った。

• 会場には福笑い、かるた取りゲーム、書き初め、絵馬、折り紙、猪の塗り絵、着物の着付け、おにぎり作り、カタカナ名札作りなどのコーナーが設けられ、参加者は思い思いにゲームを楽しんだ。フード・コーナーでは焼きそばや巻き寿司、枝豆などが提供され、日本の味わいが懐かしさを添えた。
• スペシャル・パフォーマンスとして、シカゴJET同窓生のエド・クレモンズさんとローラ・ザラ・エスピノザさんによるダンスが行われた。
• 最後には福袋抽選会が行われ、いろいろな物が入った福袋、カレンダー、お菓子など、嬉しい賞品が多くの参加者に当たった。今年の最高賞品はパチンコ台!日本で生活したことのある、おそらく一度はパチンコのトリコになったJET同窓生ならではの賞品だった。

• 着物の着付けコーナーに並んでいたのは、浴衣ではなく本物の着物や帯だった。着付けていたのはケイティ・スラプスキーさん。これらの着物や帯は日本の友人が持っていたもので、その友人の娘が「いらない」と言ったことからスラプスキーさんがもらうことになった。
• スラプスキーさんがJETプログラムに参加したのは、アルゼンチンで日本女性と親しくなったのが切っ掛けだった。その女性の生活を日本に行って見てみたいと思ったことと、当時スペイン語が余り上手くなかったその女性と話すために日本語を勉強しなければと思ったのがJET参加への動機だった。
• スラプスキーさんは2009年から2011年まで、和歌山県の高野山で英語を教えた。多くの小さな学校やクラスを担当し、多くの生徒達と親しくなった。生徒らは英語が好きで、将来は旅行代理店のような英語を使う仕事に就きたいと望んでいた。
• この様な環境下で、スラプスキーさんは多くの生徒とたくさん話した。困ったことは殆どなかったという。
• スラプスキーさんはミルウォーキー出身。現在は出身地に帰り、人事の仕事に就いている。会社には国際的な社員はいないが、多くの人々と何かをしたり、人々を助けたりする中で日本での経験が役立つことがあるという。「結局、教えることと似ていますよ」と語った。

タイラー・ブレイズさんは予てより日本に興味があり、住んでみたいと思っていた。JETプログラム参加への最大の動機は文化的多様性、例えば多くの面でアメリカと文化が良く似ているが、大いに違っていると言う様な点だという。また、子ども好きで教えることが好きなことも参加への動機となった。
• プレイズさんは2015年から2017年までの2年間、宮城県石巻市で英語を教えた。東日本大震災から4年後のことで、町が再建されて行く様子を見た。海辺の町に新しビルが建ち、コミュニティには強い繋がりがあった。しかし、震災の爪痕は大きく、精神的なショックも消えてはいなかった。至る所に「石巻頑張ろう」というスローガンが張ってあり、人々を元気づけていた。「だから、コミュニティの一部として2年間過ごせたのが、とても特別な体験でした」と語る。
• ブレイズさんは小学1年生から中学3年生までの生徒に英語を教えた。「それにはすごくエネルギーがいるし、1年生から中3まで教えることができないといけないし、1日にたくさんのクラスがあります。でも毎日毎日が楽しかったですね。クラスでも休み時間でも、本当に教えることを楽しみました」と話す。
• 大好きだったのはラーメン。石巻そばもかなり美味しかった。シカゴにはない新鮮な生ガキやホヤ貝の刺身をたくさん食べた。
• 大学時代に生物学や心理学などの科学分野を専攻していたブレイズさんは、現在シカゴ市内にある医療保険関係のテクノロジー会社に勤めている。

デニス・リーさんの両親は台湾生まれ。母がかつて祖父母と一緒に北海道に住んでいたため、リーさんは何度も日本に行ったことがあった。
• リーさんはヒューストン育ち。アジア系であることからアジアに住んでみたい気持ちがあり、よく知っている台湾よりも何か新しい経験ができそうな日本を選んだ。もっと日本のことを学びたい気持ちもあった。
• かくしてリーさんはJETプログラムに参加し、岡山県赤磐郡瀬戸町(現・岡山市東区瀬戸町)で2006年から2008年まで英語を教えた。
• アジア系であることから、周りの人々には当然日本語を話すものと思われた。日本語は全く話せなかったが、アジア系であることで良い面もあった。生徒達は素早くなついてくれ、学校の先生達もそれほど恥ずかしがらずに親しんでくれた。時々、白人のJET先生達が受けるような特別扱いを受けられなかったこともあった。
• リーさんは中学校と小学校で教えた。「JETで教えることが大好きでした。生徒達を大好きでしたし、学校と共に仕事をすることも大好きでした。非常に楽しかったです。JETは私の人生の中で最高の時でした」と語った。
• リーさんはJET終了後、故郷のヒューストンに戻り大学院に8年通った。現在はヘルプ・リサーチャーとしてノースウェスタン大学に務めている。

アンドリュー・プリンシペさんは昨年11月のJET生帰国者歓迎会で、石川県金沢市で2014年から2018年までの4年間の経験を簡単に話していた。
• プリンシペさんはルクセンブルグから200人のボーイスカウトとガールスカウトのメンバーを迎えるプロジェクトに参加し、忘れられない想い出となった。高校の英語の先生が以前にルクセンブルグから来たJET先生と連絡を取り続けており、そのJET先生がスカウトのリーダーを務めていることから金沢訪問が決まった。
• 高校の先生と一緒になり、自分の高校や周辺の高校の英語クラブに入っている生徒などを呼び集め、200人の訪問者を英語で案内するツアーガイドを組織した。
• 生徒達にとって、外国から来る同年代の若者達と英語で話すのは初めてのことだった。もっと英語を学びたい、外国から来た生徒たちともっと良い関係を作りたいという意欲が非常に高く、プリンシペさんにとっても非常にエキサイティングなイベントだった。
• 「ルクセンブルクから来たスカウト達も、石川をよく知っている地元の人達の案内を受けて非常に楽しい時を過ごしてくれました。それが『おもてなし』ですよね」と語った。


書初めにチャレンジする出席者


カルタ取りなら任せろ!  諺なら何でも知っている伊藤直樹総領事


息をのむ合気道の技を見せる、日本文化会館の合気道グループ


ケイティ・スラプスキーさん(右)の着付けコーナーには素敵な着物や帯が並んだ。


スラプスキーさんによる着物試着を楽しむ出席者


左寄り、アンドリュー・プリンシペさん、パチンコ台を手に入れたピーターさん、
タイラー・ブレイズさん、ガブリエル・コロナドさん