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モントローズ墓地でメモリアルデー
先人に学び、未来の建設を思う日

• シカゴ市北部にあるモントローズ墓地で5月27日、日本・日系コミュニティのメモリアルデー・サービスが行われた。モントローズ墓地には2000人を超える日本人・日系人が永眠し、シカゴ共済会が毎年メモリアルデーにサービスを開いている。

• 人種差別が厳しく日本人は死んでも行き場がないと言われていた1900年代前期、当時シカゴに住んでいた約300人の日本人がシカゴ共済会を1935年に発足させた。以来、日本人の埋葬を唯一受け入れてくれたモントローズ墓地に墓地を確保し、墓地が必要な人には安価で提供して来た。また、発足後すぐに納骨堂の建設に着手し、身寄りのない人達の遺骨を安置して来た。

• 共済会発足から80余年が経ち、今やモントローズ墓地はグリーンの上にそよ風が渡る、故人の安らぎの場所となっている。毎年共済会では退役軍人の墓に星条旗を供えている。

• シカゴ共済会プレジデントのゲイリー・シモムラ氏は「メモリアルデーは、我々が今謳歌している自由を守るために命を捧げてくれた軍人の方々に敬意を捧げる日だ」と述べ、墓地に供えられた旗の多さに畏敬の念を覚えると話した。

• またシモムラ氏は、日系社会で良く言われる「Never Forget」について話し、「移民として来た日本人とその子孫を強制収容した米国政府の不当な行為を忘れてはならない、強制収容所からボランティアとして軍に入隊した若い二世たちの勇気と愛国心を忘れてはならない、歴史を忘れてはならないのは、同じことを繰り返さないためだ」と述べた。

• さらにシモムラ氏は「共済会のモットーは遺産を抱きしめ、未来を建設することだ」と述べ、「未来を見据えて行動を起こし共済会を創設した先人たちを思い起こそう」と呼びかけた。また、共済会が提供するお年寄りや次世代のためのプログラムに言及し、「共済会はシカゴランドに住む日本人すべての人々を支援しており、何でも問い合わせて欲しい」と呼びかけた。

• メモリアルデー・サービスはシカゴ二世ポスト1183部隊による星条旗設置で始まり、ミキオ・マツザワ牧師とリンダ・ミズウィズ・パーケット牧師による祈りが捧げられた。また、ロン・ミヤムラ住職、パティ・ナカイ住職、村上佳代・立正佼成会シカゴ支部長らシカゴ仏教会連盟による読経、天理教シカゴ教会のクニヒト・フミオカ氏による祈りが捧げられた。

• チェルシー・ヒカワ氏指揮でクリスチャン・クワイヤーによる “Candle on the Water”や賛美歌“Sweet By and By”、そよかぜコーラスによる“なだめ”“花”“ふるさと”など、爽やかな歌声がモントローズ墓地に響き、静かに眠る人々を慰めた。
• 最後に日本・日系団体の代表により献花が行われた。

墓地を訪れる人々

• マーク・カミヤさんと従妹のパット・ウォルターズさんは日系三世で、メモリアルデーに家族でモントローズにやって来るのが伝統になっている。

• カミヤさんは現在シカゴノースサイド在住で、米政府機関USAIDの職員を務めている。モントローズには祖父母、両親、伯父の墓がある。

• 「殆どの墓地が日本人の埋葬を受け入れなかったので、日本人は埋葬されることができなかった。殆どの日本人は火葬されたままで、モントローズに墓地が買えるようになるまでは埋葬されることがなかったんですよ。だから日本人にとって意義深いことです。私にとっても意義深いことで、父は第二次世界大戦の退役軍人でしたから、メモリアル・サービスに出て来るのはとてもいい事です」と話す。

• 「祖父母は日本生まれでカリフォルニアに住んでいました。戦後、祖父母と両親はシカゴに住み、そしてその子供達もシカゴに住むことになった訳です。伯父と叔母は強制収容所で出会っています。みんなシカゴに来ました。シカゴは働く場所がある良い所だったんです。日本人を雇わない街もたくさんあったんです。カリフォルニアでは偏見が大っぴらにありましたから戦後に住むのは大変だったでしょう」とカミヤさんは語った。

• 従妹のパット・ウォルターズさんはかつてシカゴに住んでいたが、夫の都合で今はセントルイスに住んでいる。「私たちは子供の頃からずっと、毎年ここに来ています。だから毎年ここに来て集まるのが楽しみなんですよ」と語った。

マーク・カミヤさん(後列左)とパット・ウォルターズさん(前列中央)

• アーリーン・カジワラさんは日系三世で両親の墓がある。「毎年は来ませんが、できるだけ来るようにしています」と話す。

• カジワラさんの両親はナカムラ・ツヨシさんとトシエさんで、どちらもシアトル生まれ。戦後にシカゴに定住し、最初はシカゴ市南部に住んでいたが、後にノースサイドに移り、父はカブスのリグリーフィールド近くで「T & T」という小さな食品店を営んでいた。母は長年、ホーム・エコノミクスの先生だったという。

• 「両親は4人の子供を育てました。きょうだいはカリフォルニアやハワイに住んでいるので、シカゴにいるのは私だけなんですよ」とカジワラさんは語った。

アーリーン・カジワラさん(左)とエドワード・カジワラさん

二世兵士を慕うアメリコ少年

• イタリアから毎年メモリアルデーに来ていたアメリコ・ブグリアニ氏が今年1月に逝去し、夫人のアンさんが一人でメモリアルデーに参加した。そして涙ながらにアメリコさんの想い出を語った。

• 12歳だったアメリコ少年はイタリア北部でゴシック・ラインの総攻撃を翌日に控えた日系兵士に会い、歯磨きや歯ブラシ、歩兵隊のバッジが付いた帽子や写真をもらった。その兵士はポール・サカモトだと名乗った。戦時中の何もない時に、アメリコ少年はとても嬉しかったという。

• アメリコ少年は大人になってもサカモト氏の名前を忘れず探し続け、50年後にハワイに住んでいたサカモト氏と再会を果たした。その後アメリコ少年は故郷のピエトラサンタに日系部隊の活躍を伝えたいと、街を巻き込んで寄付を集め、サダオ・ムネモリ氏の銅像を建てた。ムネモリ氏は戦場で、転がってくる手榴弾の上に身を投げ、2人の部下を救っている。

• アメリコ・ブグリアニ氏は1954年5月に移民として渡米後、すぐに徴兵された。退役後はGIビルを利用し、ノースウェスタン大学で博士号を取得、1981年までイリノイ大学シカゴ校で教鞭をとっていた。引退後は夫人と共に故郷のピエトラサンタで暮らしていた。


メモリアルデー・サービスが行われたモントローズ墓地


シカゴ二世ポスト1183


ゲイリー・シモムラ氏


クリスチャン・クワイア・グループ


そよかぜコーラスの皆さん


仏教連盟による読経


二世ポストメモリアル式典。中央の女性がアン・ブグリアニさん