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ゴジラの祭典“2019G-FEST”
宝田明氏、ゴジラ生誕65周年で平和を呼び掛ける

• ゴジラや怪獣ファンの祭典“G-FEST”が7月12日から14日までの3日間、ローズモントにあるクラウン・プラザ・ホテルで開催され、世界のファンが結集した。
• G-FESTは今年で26回目の開催となり、特別ゲストとして1954年の初のゴジラ映画に主演した宝田明氏、ガメラを復活させた金子修介監督、ジオラマの大家・山田卓司氏、ゴジラシリーズやウルトラマンシリーズで助監督や監督を務めた石井良和氏、上智大学に留学中の1960年代に海底大戦争や宇宙大怪獣ギララなどに出演してスターとなったペギー・ニール氏などが出席した。

• また、今年はゴジラ生誕65周年を迎えたことから、彫刻家の真壁廉氏がゴジラを形取った茶釜を製作、表千家の師範である真壁宗麟夫人がゴジラの茶釜からお湯を汲んでお茶を出すという特別イベントも行われた。

• 会場では特別ゲストによる講演会や特別イベントの他、怪獣や映画などに関するレクチャー、特撮やコスチューム作りなどのワークショップ、怪獣アートの展示会、怪獣映画上映会、コスチューム・パレード、ビデオゲームなど数々のイベントが次々に行われた。

• G-FESTは、カナダの高校教師でゴジラファンのJ・D・リーズ氏がゴジラファン向けにニュースレターを発行したことに始まる。1993年に初めて発行された“G-FAN”は、たちまち世界のゴジラファンの間に広まり、翌年の1994年に約20人の有志が初めてシカゴ郊外で顔を合わせた。シカゴに集まったのは、オヘア空港に全米・世界各国から乗り入れができるため。以来毎年シカゴ郊外ローズモントでコンベンションが開催されている。

• J・D・リーズ氏はG-FESTの公式プログラム冊子の中で、「発足当時は100冊か200冊ぐらいのプログラム冊子を手作りしていたが、今や3000部が必要となった」とその成長に触れた。そして「我らが共有するゴジラや怪獣たちの魅力が、我々を熱いファンのファミリーとして結び付け、G-FESTは比類ない集まりとなっている」と語っている。

• G-FESTと東宝の繋がりは、宝田明氏の橋渡しによるところが大きい。宝田氏は東京を訪れるG-FESTの有志を歓迎し、東宝を案内したり、自らG-FESTにゲスト出演したり、ゴジラや怪獣映画に出演した俳優や女優を紹介したりと、なくてはならない存在となっている。

宝田明氏、
戦争の苦しみ とゴジラ第1作に込められたメッセージの意味を説く

• 昨年のG-FEST25周年に出席できなかった宝田明氏は、満場のファンの大歓声に迎えられた。

• 満州で終戦を迎えた宝田氏は世界情勢の緊張が強まる中、戦争の悲惨さとゴジラ第一作に込められた核廃絶のメッセージについて繰り返し語った。

• 宝田氏の父は満州鉄道のエンジニアで、宝田氏は満州で育った。終戦から1週間後、ソ連の軍隊がハルビンに侵攻し、学校や公的施設はすぐに閉鎖された。満州国に住んでいた日本人の生活は困窮し、宝田氏はソ連兵の靴磨き、その後はタバコ売りをしながら家族の生活を助けたと話す。

• 宝田氏の2人の兄が満州国から出兵していた。日本の兵隊がソ連に抑留されていく列車の中に兄の姿を探していた宝田氏は、突然にソ連兵に腹部を撃たれた。

• 病院もすでになく、撃たれた傷口は化膿するばかりだった。母が探して来てくれた元軍医は裁ちバサミで宝田氏の傷口を十文字に切り、腹部にあった弾を取り出してくれた。その弾は鉛毒の害のために使用が禁じられていた鉛の弾だった。
• 麻酔もなくベッドに縛り付けられていた宝田氏は、その痛みに絶叫したという。宝田氏はその時、11歳だった。
• その後も数か月ほど化膿が続き、出血が止まらなかった。宝田氏は今でも腹部の痛みで、雨が予想できるのだという。

• 宝田氏と家族が日本に引き上げたのは終戦から2年後で、その後も困窮が続いた。宝田氏は生計を助けるために、学校に行けるのは午後からだった。
• 宝田氏は「そんな訳で、少年の時に戦争に係りました。ともかく戦争というものは、一般の民間人が否応なしに犠牲を強いられることが分かりました」と会場のファンに語り掛けた。そして「戦争というものを憎む気持ちがいまだに続いております。そこで芽生えたんだと思います」と話した。

• 宝田氏は高校卒業後、1953年に第6期生のニューフェイスとして東宝に入った。そして、1954年のゴジラ第一作に主演した。

• 1954年のオリジナル・ゴジラは、日本で961万人の観客を動員した。当時8,800万人の日本人口の11%以上がゴジラを見ており、その記録はまだ破られていないと宝田氏は話し、「皆様があのゴジラのオリジナルをずっと温かく見守り続けてくれた結果、ゴジラ映画がアメリカでも作られました。これは本当に観客の皆様のお陰だと思います」とゴジラファンに語りかけた。大きな拍手が収まると、宝田氏はオリジナル・ゴジラに込められているメッセージについて話した。

• 宝田氏は「悲しいことに、皆さんが見たのは、1956年にアメリカの配給会社がゴジラを買い、日本が伝えたかった核廃絶のメッセージなどアメリカにとって都合の悪い所を切り取り、違うストーリーに作り替えたものです」と話した。

• 宝田氏は日本が原子爆弾の投下を受けた唯一の被爆国であることを話し、「だからこそ(核爆弾使用に)一つの警告を込めて、このゴジラ映画が作られたんだという事を、ここで皆さんにぜひ分かってもらいたいと思います」と訴えた。

• さらに宝田氏は、14、15年前にアメリカの20大都市で1954年のオリジナル・ゴジラが上映され、やっと正しく理解してもらうことができたと話し「ゴジラは単なるモンスター・ムービーに成りきることができなかった映画。核廃絶がオリジナル・ゴジラの基本的な製作態度だと思って下さい。この精神だけは受け継がれて、今後もゴジラ映画が製作されて行くことだと思います」と語った。

• そして、宝田さんは「私は平和を愛する一人の人間としてこの映画を大事に思っております。きっと皆さんもご存知でしょうが、一瞬のうちに15万人の人間が炭みたいになって焼け死んでしまうというような爆弾は、もう使っちゃいけないと思います」と力を込めて話した。

ガメラ 大怪獣空中決戦
金子修介監督

• 金子修介監督は1995年の「ガメラ 大怪獣空中決戦」で、ガメラを復活させた監督として知られる。

• ゴジラ映画を作りたかった金子氏は、「ゴジラvs.モスラ」の監督をやりたいと申し出たが、既に大河原孝夫監督に決まっていた。しかし、その様な行動が「ガメラ 大怪獣空中決戦」で監督のオファーを受けることに繋がった。

• だが最初は乗り気になれなかったという。予算が少なく、コミックにした方が良いと思っていた。だが、伊藤和典氏が脚本を書いて来て、その面白さに驚いた。ふと気が付くと、残り時間が余りないことに焦り出した。

• 面白い脚本はできたが、大映の営業部は子供向けにしたいという意向が強かった。だが、金子氏は「子供の味方は人類の味方だ」と相手を説得して、最初のストーリーを守り通した。そして、後に2016年シン・ゴジラを成功させた樋口真嗣氏を特撮監督に迎え、ガメラの復活が始まった。

• 東宝の「ゴジラvs.モスラ」でモスラを攻撃した自衛隊が非難を浴びたことから、自衛隊の協力が得られないという問題に直面した。また、予算難もあった。
• だがスタッフの努力により、「攻撃されない場合は攻撃できない」という自衛隊の正しい姿を表現することを条件に、自衛隊の協力を無料で得られることになった。
• かくして、リアリティを徹底追求し、大人向けに演出したガメラが復活した。

• 金子氏は「人間の視点ですね。それまでのゴジラ・シリーズが怪獣同士の視点だったのを、人間の視点をいっぱい使うことによってリアルになったという事なんですね」と語った。

ゴジラの茶釜と茶会

• ゴジラの茶釜はオリジナル・ゴジラの誕生65周年を祝い、彫刻家の真壁廉氏が製作したもので、重さは32キロ、蓋になっている頭の部分だけでも2キロという重厚感のあるものだった。

• まず鉄筋でワイヤーフレームのようなゴジラの形を作り、それに鉄板を叩いて溶接して行く作り方で、自由の女神と同じ方法だという。製作に5か月を要したという大作。

• 真壁氏は東京ディズニーランドを作る時から東宝と関わっており、1985年には日本、中国、北朝鮮の合作映画怪獣映画「プルガサリ」に造形美術スタッフとして参加している。「子供の頃からゴジラ映画を見て感動していたので、いつかそういう怪獣映画を作りたいと思っていて、東宝さんとずっと関わって来ました。ゴジラを鉄で作るのは異色なんですけど、これも一つの巡り合わせだと思って、それで作ることになりました」と真壁氏は経緯を語る。
• また、「宝田明さんが、『それは面白いから私も手伝って一緒にやりましょう』ということになって、今回このお茶会が開けることになりました」と話した。

• 真壁夫人は表千家の師範で真壁宗麟師。明るく大らかな人柄で、出で立ちも独創的。
• 「今日はゴジラフェスティバルなのでゴジラの釜を使い、日ごろのお点前とは全然違うんですが、一番大切なことは、まずはゴジラのお釜を楽しんで頂くこと。日本から持って来ましたスイーツを召し上がって頂いて、アメリカでは売っていない特別なグリーンパウダーのお茶を持ってきましたので、それを召し上がって頂くことが今日のおもてなしになります。どうぞお付き合い下さい」と話し、来場者一人一人にお茶を点てた。

• ちなみにゴジラの茶釜は10万ドル。真壁廉氏は「ちょっと安いんですけど、値段よりも、それを大切に扱って下さる方がいたらいいなと思ってまして、欲しいと思って下さる方がいたら嬉しいです」と語った。


会場を徘徊するゴジラファン


1954年のオリジナル・ゴジラに込められた核廃絶のメッセージの意味を説く宝田明氏


宝田氏を迎える満場のファン


金子修介監督


ゴジラの茶釜でお茶を点てる真壁宗麟さん


ゴジラ茶釜を前にする製作者の真壁廉氏