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一緒に楽しもう! 日本人・日系人合同ピクニック

• 日本人と日系人の交流促進を目指し、日本・日系コミュニティの合同ピクニックが8月3日にナイルズにあるバンカー・ヒル保護森林で行われた。日系コミュニティ・ピクニックは何十年もの間、闘魂柔道のホストで開催されていたが、第二次世界大戦後に米国にやって来た新一世と呼ばれる日本人とその家族、戦前に米国に移住し米国人となった日系人とその子孫が親しく話せる場所を持とうと、2014 年に初めて合同ピクニックが開催された。以来6 回目の合同ピクニックとなる。

• テーブルには各自が持ち寄ったいろいろな料理が並び、闘魂柔道が用意してくれた豚の丸焼き、ハンバーガーやホットドッグ、焼きトウモロコシなどが香ばしい匂いで食欲を誘った。
• JCCC では大型の鉄板を設置し、焼きそばや餃子などを焼いて振る舞った。
• 好天に恵まれた当日は華氏80度台半ば。シカゴ日本人会では大型クーラーに氷を用意し、小倉抹茶、練乳、ミント、オレンジなど、色とりどりのかき氷を提供した。

• 大型テントには多くのテーブルと椅子が設置され、家族連れや友人グループなど、いろいろな人達がご馳走を楽しんだ。また、木陰にはアウトドア用の椅子を出し、食べて飲んで午後のひと時をくつろぐグループがいくつもあった。

• オーディオ・テントの下ではスター・トラックス・シカゴによる音楽が流れ、好みの歌をリクエストしてカラオケを楽しむ人達もあった。

• 人気を呼んだのは、マサコさんによるフェイス・ペインティング。ミニーマウスやスパイダーマン、ガイコツなどを顔に描いてもらい、喜んで歩き回る子ども達の姿が見られた。

• 芝地では乗馬やゲームなどが行われ、大人も子どもも楽しめるピクニックだった。

ピクニックの人々

• ゲイル・イノウエ・チェイスさんは日系アメリカ人三世。初めて日本・日系合同ピクニックに参加した。かつて日系ピクニックは「Resettler Picnic」と呼ばれ、チェイスさんも子供の頃は両親に連れられ、毎年ピクニックに来ていた。しかし、両親が亡くなると、ピクニックには行かなくなった。それから長い月日が経ち、まだピクニックが行われていることも知らなかった。
• 今年孫のマロリーさんが定住者会(JASC)から奨学金を受賞し、チェイスさんは授賞式に参列した。その時に日本・日系合同ピクニックのフライヤーを見て、ピクニックがあることを知った。「これから(毎年ピクニックに参加するという)新しい伝統を始めることができます」と話す。
• チェイスさんは1970 年の大阪万博の時、父方の故郷である四国を訪ねた。その時には大阪や京都を見て回り、楽しい時を過ごしたという。
• チェイスさんはかつてシカゴ仏教会で行われていた日本語教室に6年間通っていた。日本語の読み書きもできるし、日本語で話している内容も分かるが、白人男性と結婚したチェイスさんは日本語を話すことがなく、会話することはできなくなったという。
• チェイスさんは中西部仏教会で長くボランティアを活動を続けている。「私には子どもが3人と、孫が3人います。彼らには日本の伝統や文化を理解して欲しいと思いますし、それには日本の人達と一緒にいるのが一番です。そうすることによって、子供や孫たちが自分のバックグラウンドを知ることができますから」と語った。

• ナンシー・エンドウさんは祖父が日本人で、日本人の血を4分の1持っている。夫は日系三世のアランさん。子供が小さい頃にはアランさんが子供を連れて、時々ピクニックに来ていたという。それ以来、ピクニックに来たのは初めてのこと。
• 大好きな日本食は豚カツとラーメン。昨年11月にはグループで日本へ旅行し、毎日豚カツかラーメンを食べていたという。東京、広島、横浜、京都などを訪れ、楽しい時を過ごしたが、一つだけうんざりしたのは長い間歩いて神社や寺を訪れ、そこを見学するのは10 分足らずという事だった。しかし、美しい景色を見るのは苦労する価値があったと話す。
• グループの一人の実家が京都か広島の寺を開いた家で、その縁で寺の内部を見せてもらうことができた。地元の小さな寺だったが、観光地になっている大きな社寺仏閣とは異なる趣があったという。また来年も、日本旅行に行きたいと語った。

• ナンシーさんの夫のアラン・エンドウさんは電話設置やデータ・ネットワーキングの会社、エンドウ・コミュニケーションズのオーナー。チェイスさんとは幼なじみで、一緒にシカゴ仏教会の日本語教室に通っていた。ナンシーさんとは高校時代の良い友達だったという。
• アランさんはシカゴ生まれ。祖父は伝道師でアジアを布教して回る人だった。父のハリーさんはシカゴ生まれ。
• 日本人だったナンシーさんの祖父は敬虔なクリスチャンで、チャーチ・オブ・クライストを創立したメンバーの一人だった。第二次世界大戦中にはカナダへ避難し、カナダ人女性と結婚したのだという。戦後にシカゴに定住した。

• アランさんとナンシーさんは仏教とキリスト教という環境で育ったが、夫妻で中西部仏教会のボランティアを続けている。アランさんは銀座ホリデーのチェアマンを10 年間務め、中西部仏教会の理事も務めていた。銀座ホリデーでの担当は、焼き上がったチキンを切り分けること。この道40 年だと語った。

アラン・エンドウさん(左)と夫人のナンシーさん














ゲイル・イノウエ・チェイスさん(右)