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  連載 「一炊の夢」


南見和華

「春を待つ」

 

 「春を待つ」は、冬の季語だそうだが、時期的にはいつ頃だろうか。南北に長い日本では地域によってだいぶ差がありそうだ。東京周辺では、正月松の内を過ぎて大寒を迎える頃から二月にかけての頃合いだろうか。地球温暖化の影響か、最近では、厳しい寒さを感じることが少ないようにも思うが、冷たい北風に吹かれて歩いていたり、部屋で暖房器具をつけなければならないような時に、早く暖かくなって欲しい、と思うのは自然な感情だろう。

 インドネシアに四年ほど駐在した。年間を通じて平均気温は三十度前後だ。雨季と乾季の区別はあるが、冬はない。よって、インドネシアでは、春を待つということはない。美しい四季があるというのが日本の美点の一つだと言う。同僚の駐在員には、日本の四季を懐かしがる者もいた。そうかもしれない。だが、開放的な南洋の気候が好きな私は、さして苦にも思わなかった。「春を待つ」という気持ちとは無縁の、常夏の環境を楽しんだ。「冬」がなければ、「春を待つ」必要もないのだ。

 四月下旬にシカゴに赴任した。住居を決めるまでは、当時郊外にあったオフィスの同じ敷地にあるホテル住まいだ。初出社の朝、ホテルからオフィスに歩いて向かう。ほんの数分の距離だ。すると、パラパラと空から何か降って来た。細かい白い粒だ。何だ、これは?と思って見ると、雹だ。日本では見たことのない小さい粒で、身体に当たっても痛くはない。感覚としては雪と似ているが、風に乗って空から落ちてきて足元の道路でぴょんぴょんと跳ね返る。
平年のシカゴの初雪は十月で、遅雪は四月だそうだ。シカゴの冬は厳しく長い。

 今年の冬、米国を記録的な大寒波が襲った。シカゴでは、肌を露出させていると数分で凍傷になるというマイナス三十度を記録した。そこまでではないが、私も駐在期間にマイナス二十度を経験した。ある日曜の午後のこと、テレビの気象情報では、危険なので外出しないように、と警鐘を鳴らしていた。だが、こんな寒さを経験したことのない私は、街に出てみようと思った。ズボンの下にはタイツを履き、厚手のセーターを着込んだ上に、購入したばかりの日本では不要なほど分厚いカシミアのコート、毛糸の帽子をかぶり、首周りにマフラーを巻く。ダウンタウンに借りたアパートを出るとほんの数分でシカゴ一番の目抜き通りに出る。だが、車が走っていない。歩行者もいない。閑散としている。コンビニから出てきてすれ違った二人組はスキー用のゴーグルまでして全身を覆っていた。怪しい輩ではないかと少し不安になる。街には何もない。ただ寒いだけだ。目の周りの露出した肌が寒さを通り越して痛い。適当なところでUターンし、家に戻ることにする。だが、すぐに身体が妙に重くなってきた。頭痛もする。寒気が着ているものを貫く。これはまずい。家は近いが、危険を感じた。すぐ脇にあった紳士洋品店に入る。暖房の効いた店内に入ると、身体に生気が甦った。助かった。店内にいるのは手持無沙汰にしている店員と私だけだ。五分ほど商品を見るふりをしていると、身体が温まり体調が戻ってきた。これで、家まで戻れる。生き返らせてくれたお礼に、ロングソックスを一足購入した。

 シカゴ川にも氷が張る。普段であれば波が打ち寄せる海のようなミシガン湖も凍る。少し寒さが緩んだ日に、と言っても、気温は零下のままだが、湖岸の遊歩道を散歩してみる。かなり湖面より高い位置にある岸壁の上の歩道だが、打ち上げられた湖水がびっしりと凍りついている。氷の表面がでこぼこで一様ではないので、足元が覚束ない。さすがに、しばらく歩いても誰にも会わない。怖くなるくらいの静謐だ。と、思ったら、周りに音を出すものは何もないはずなのに、ぎしっ、ぎしっ、と何か小さな音が聞こえてきた。これは一体何だ?空耳か?と耳をすませ、辺りを見回す。すると、流氷のようになっている氷が、波でゆったりと揺らされ擦れる音だった。

 一日の最高気温が零下であると、降った雪が地上で凍らない。強い風が吹くと猛烈な勢いで巻き上がり飛んで行く。極地でしか見ることが出来ないと思っていたブリザードだ。強い寒波が襲う時は、車での移動も危険なため、オフィスも早めに閉まり帰宅が促される。高層ビルが林立する大都市が、ひっそりと寒波と雪に閉ざされてしまう。建物は密閉性が強く、中は暖房がしっかりしているので快適に過ごせる。だが、窓の近くに寄れば、寒気がガラスを徹してしんしんと伝わって来る。冬が厳しく長い地域に住む人の、春を待ち侘びる気持ちが理解できる。と言うより、自分がその一人になっているのに気が付く。

 ダウンタウンのアパートから、郊外のオフィスまで車で通勤した。高速道路を使えば三十分足らずの距離だが、朝夕はラッシュで一時間かかる。渋滞を避け一般道を走ってもおおよそ一時間だ。信号待ちがあったり、曲がり角も多く、運転が面倒だが、五月中旬くらいからしばらくは一般道を使う。アパートを出てミシガン湖岸の道路をさわやかな風に吹かれて北上する。ほどなく湖岸を離れ、住宅街に入る。郊外の住宅街は緑が多いが、中でも道路の両側に植栽が施され、緑のトンネルのようになっている長い一角がある。芽吹いたばかりの、この季節にしか見られない新緑の緑が若々しい。ところどころ、名前も知れない黄色や白や赤い色の花が咲き乱れている。穏やかで、平和だ。長く厳しかった冬を耐えてこその美しさがそこにある。

 人生には辛く厳しい時代もある。その時代に耐え、いつか報われる日が来るのを待つのも、「春を待つ」と言う。誰しも多少の経験があるに違いない。社内で恵まれないポジションで不遇をかこっていた時に、中島みゆきの「時代」を口ずさんだ。その歌詞のように、本当に、「あんな時代もあった、と笑って話せる日が来る」のだろうか、と思った。自分が不遇だと思ったその時代は何年もの間続いた。だが、一日一日を一生懸命生きていると、転機はある日やって来た。

 四季であれば、巡り巡って春が訪れる。だが、人生の冬には、必ず春がやって来るという保証はない。春が訪れないまま、ということも世の中には数限りない。
逮捕、拘禁され獄中で亡くなった反体制派の人々、原因が不明で治療方法もない難病に冒されて身体の自由を奪われてしまった人々。絶対に助からない状況に置かれてしまう人は世の中に沢山いる。どのような気持ちでその時を耐え忍ぶのだろう。人は、全くの絶望の中では生きることができない、と言う。決して訪れないとわかっていても、その訪れることない「春」を待つことで、苦境に耐えているのではないだろうか。

 私も、決して訪れることのない「春」を待っている。