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ノースショア・バプティスト・チャーチ日本語グループ
60周年を祝う
創立の1954年、かつて差別した人物が差別否定の裁決を

• ノースショア・バプティスト教会の日本語グループが60周年を迎え、9月28日に祝賀会が行われた。
• 第二次世界大戦後にシカゴに定住した一世達が礼拝する場所を探し求め、ノースショア・バプティスト教会が寛大に受け入れてくれた。こうして同教会内に日本語を話す人々のグループが1954年9月26日に設立された。
• その後、シカゴに来た留学生やビジネス人などが加わった。礼拝後には一世達が日本料理をふるまってくれ、故郷を思う大切な場所となった。
• ノースショア・バプティスト教会の日本語グループの60年の歴史の中で、1959年から2007年まで48年に亘って牧師を務めた南部勝牧師が良く知られている。現在も東海岸でご健在だが、諸事情で60周年記念祝賀会には出席できなかった。現在は4年前からスクロギンズ・由紀牧師が牧師を務めている。

• スクロギンズ牧師は60周年に寄せて、米国の顕著な史実と日系人との関わりについて語った。
• スクロギンズ牧師によると、1954年は連邦最高裁が公立校における人種差別を禁じる判決を下した歴史的な年となった。これはカンザス州の溶接工で牧師だったアフリカ系のオリバー・ブラウン氏が、バスに乗って遠くの学校に通っている娘が近くの学校に通えるべきだと訴えたケースで「ブラウン・ケース」として知られている。
• 1954年5月17日、連邦最高裁はこの件に対し全員一致で、公立校に於ける人種差別は違憲だと裁定した。この裁決はその後の市民権運動の出発点となった。この時の裁判長はアール・ウォーレン氏であった。
• ところが皮肉なことに、ウォーレン氏は日本帝国軍の真珠湾攻撃後、12万人の日系人を強制収容所に送る原動力となった人物だった。

• スクロギンズ牧師はまた、「歴史の奇妙なねじれの中で、市民権運動は日系人の強制収容と繋がっていました。これは私にとって非常に興味深いことで、歴史の中で神の存在と定めを尊重することへの助けになります」と語った。

• 会場には日本語グループによって昼食が用意され、同教会のメンバーも多く出席した。昼食中には日本語グループの歴史がパワーポイントで紹介された。
• 昼食後には風錦(ふうきん)グループによる尺八と箏の演奏が行われ、日本の懐かしいメロディがこの世を去って久しい一世達を慰めた。

• フルストーリーはシカゴ新報10月24日号でお読


近年のメンバー

一世在りし頃のノースショア・バプティスト教会の日本語グループ

60周年記念祝賀会の様子