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唐獅子がシカゴ沖縄県人会に
贈呈される
多くの人々の支援で実現


2年後に50周年を迎えるシカゴ沖縄県人会に唐獅子・舞用一対が寄贈された。シカゴと沖縄県の民間大使を務めるニコルス郁子さんはこの唐獅子を「沖縄の魂」「愛の魂」と呼ぶ。
• シーサーと呼ばれる唐獅子は守護神として、沖縄の家の玄関や屋根の上によく置かれている。シカゴ沖縄県人会の50周年を控え、唐獅子を同県人会のシンボルにしたいと考えたニコルスさんは、昨年12月に沖縄県国際交流課に助成金を申請した。助成金が降りれば、今年の日本祭りやミツワの盆踊り大会で唐獅子を披露したいと考えていた。

• 助成金は4月2日に承認され、日本祭り終了後の6月13日にニコルスさんの元に承認通知が届いた。喜んだニコルスさんは助成金で唐獅子を買おうとしたが、高額すぎて買えない事が分かった。
• そこで助け舟を出してくれたのがダンス指導者の与那覇慶子さんだった。2011年から今年5月の帰郷までシカゴ沖縄県人会に在籍した人で、沖縄県読谷高校在職中には「全日本高校・大学ダンス大会」の創作ダンスで文部大臣賞を3年連続で受賞させた人だった。
• 与那覇さんは手作りで唐獅子を作ればよいと引き受けてくれ、ニコルスさんは当座の材料費として手持ちの24万円を支払った。

• 一方、助成金には規則があり、1ヶ月以内に実施報告書を出さなければならなかった。しかし、唐獅子の購入先探しから与那覇さんが引き受けてくれるまで、1ヶ月では時間が足りなかった。ニコルスさんは事情を説明し報告書期限を延期して欲しいと沖縄県国際交流課に頼んだが、規則は規則として助成金は却下となった。

• 困ったニコルスさんは与那覇さんに経緯を話すと、与那覇さんは「24万円で良いから」と唐獅子作りを進めてくれた。後から分かったことだが、唐獅子1対の製作に125万円の費用がかかっていた。

• 与那覇さんは3ヶ月の短期で唐獅子を仕上げてくれ、10月4日に沖縄のうるま市民芸術劇場で唐獅子の贈呈式を兼ねたチャリティ・コンサートを主催してくれた。
• しかし、沖縄では10月にイベントが多く、チケットの売れ行きが心配された。シカゴにいるニコルスさんはシカゴ沖縄県人会の人々の親戚や知人に手紙を書き、コンサートに来てくれるように頼んだ。与那覇さんの出身地の読谷村の村長にも手紙を送り、協力を依頼した。国際交流課の人々にも出席依頼の手紙を書いた。また、シカゴでも協力者を求めて奔走した。すると、県人会関係のマサコさんが「自由に使ってください」と1,000ドルを寄付してくれた。また、航空会社に勤めていた本庄美佐子さんが沖縄のコンサートに同行してくれ、唐獅子を持ち帰る手はずを整えてくれた。

• コンサート当日は台風だった。しかし、ふたを開けてみると約450人がコンサートに訪れた。ニコルスさんが手紙を書いた人々はみんな来てくれた。どうしても来られない人は2,000円のチケット代にお土産を添えて会場に預けてあった。読谷村の村長からは立派な花が届けられ、会場を飾ってくれた。国際交流課の人々もみんなで来てくれた。
• コンサートでは民謡やフルートとピアノのデュオ、沖縄の方言を護る子ども達の劇、エイサーの踊りなどが披露され、大成功となった。

• チャリティ・コンサートは成功したが、それでもまだ唐獅子費用は17万円不足していた。ニコルスさんが不足分の支払いを申し出ている時に、ニコルスさんが大学院生時代に勤めた精神病院の先生が100万円を持って来てくれた。精神病院と言えばまだ隔離という時代に、渡米して臨床心理学で博士号を取得した先生だった。ニコルスさんはその100万円から17万円を支払い、残りは先生に返した。

• 一対の唐獅子は何の損傷もなくシカゴに届いた。また、与那覇さんが唐獅子の踊りの振り付けも約束してくれた。
• ニコルスさんは「すべてのことが支援され、祝福されて唐獅子がシカゴに来ました。困っている時に助けてくれた人様の有り難味、協力と深い愛情が初めて分かりました。唐獅子の中に入って踊りたいという若い人もいます。唐獅子はシカゴ沖縄県人会のシンボルと言うだけでなく、若い世代のために使って行きたいと思います」と語った。


シカゴ沖縄県人会に贈呈されたシーサーと呼ばれる唐獅子一対


唐獅子の顔

民間大使を務めるニコルス郁子さん


チャリティ・コンサートで挨拶するニコルス郁子さん(左)と
与那覇慶子さん