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明治の国際人 
浅田栄次氏を偲ぶ
出身地の徳山で没100周年シンポジウム

シカゴ大学発足以来、浅田栄次氏が博士号の第一号取得者であることは良く知られているが、帰国後の浅田氏の業績についてはシカゴでは余り知られていない。

浅田氏の出身地である山口県徳山(現・周南市)では、徳山市が周南市に変わる前日の2003年4月20日に「徳山英学会」が発足。浅田氏とその門下生の研究・広報・保存を主とする活動が続けられている。
徳山英学会の発足時から世話人を務める河口昭氏(元高校教師・71歳)から、浅田栄次氏に関する資料がシカゴ新報に送付されて来た。その内容を読者の皆さんと分かち合いたい。

徳山英学会は浅田栄次没100周年を記念し、「浅田栄次の伝えるもの」をテーマに2014年11月1日、シンポジウムを開いた。

浅田氏は1865年(慶応元年)5月22日、徳山藩士・浅田平作の長男として生まれた。1888年3月、帝国大学理科大学の学生だった浅田氏は、クリスチャンとしての信仰の高まりと共に数学研究に物足りなさを感じ同大学を退学、同年9月にノースウェスタン大学内にあるガレット神学校に入った。
1891年にガレット神学校を卒業した浅田氏は更に旧約聖書を極めようと、その研究に不可欠なセム系語学を学ぶためにニューヨークのコロンビア大学院博言科に入学。同時にユニオン神学校に入学しセミティック語学を専修した。
1892年10月、更に浅田氏はシカゴ大学院博言科に入学、翌年の1893年6月22日にSemitic Languages and Literaturesでシカゴ大学第一号となる博士号を取得した。
この時、浅田氏は28歳。シカゴではコロンビア万博が開催されていた。
浅田氏は同年7月に帰国し、青山学院大学神学部教授となった。

1989年に開催された「明治の国際人・浅田栄次資料展」の小冊子に掲載された「浅田栄次プロフィール」によると、青山学院神学部の教授となった浅田氏は、当時の学界に根をおろすには学問が進みすぎていたという。
折りしも条約改正、日清戦争の結果、日本の国際的立場が高まり本格的な外国語教育の必要性が叫ばれ、1899年4月に東京外国語学校が高等商業学校付属外国語学校から独立した。独立の2年前から前身の外国語学校の教授を務めていた浅田氏は、東京外国語学校の独立と共に同校英語科の主任教授となった。
浅田氏は主任教授として、世界に立てる人材、日本の英語教育を担える人材の育成に邁進した。また、文部省の英語教授方法調査委員・視学委員などを歴任し、英語教育の改善に努め、その科学的基礎を築いた。
浅田氏は日本初の英語の教科書「English Readers」や「Asada’s Practical readers」などを出版し生徒の英語教育に当たっただけでなく、英語を教える教師のための「小学校用文部省英語読本巻一教授書」の発行や「How to teach English in Japanese schools」などの講演も行っている。
門下生には、日本初の英語辞書を書いた岩崎民平などがおり、英文学・英語学を代表する多くの人材を輩出している。

浅田氏は日本の英語教育の先覚者の一人と言われるだけでなく、国際補助語エスペラントの普及にも寄与した。エスペラントの最高機関・言語評議会の委員に選ばれた浅田氏は、世界エスペラントの重鎮でもあった。

浅田栄次氏は1914年11月9日に東京外国語学校図書館に行き「ここは静かでよろしいから少し勉強しましょう」と図書係に声を掛けて書庫に消えた。浅田氏はそこで倒れ、翌10日早朝に死亡した。享年49歳6ヶ月だった。

浅田栄次没100周年記念シンポジウムでは、パネリストとして河口昭氏が「揺籃期の浅田栄次」について発表した他、「旧約聖書学と浅田栄次」、「東京外国語学校と浅田栄次」、「英語教育と浅田栄次」について発表が行われた。
河口氏は浅田氏の業績が忘れ去られることがないように地元から認識を広げたいと、浅田氏の母校である徳山小学校を7月に訪問し、先生たちに浅田氏の業績を説明した。同校では秋に浅田氏の資料を集めたコーナーを同校内に設置した。また、100周年記念シンポジウムと共に、周南市中央図書館では浅田氏に関する資料の展示会が開催された。
河口氏によると、浅田氏生誕150年となる2015年には記念講演などを企画しているという。

浅田氏は、シカゴ大学日本同窓会を創立している。浅田氏が博士号を取得した6月26日に合わせ、現在のシカゴ大学日本同窓会長のニール・ファウスト氏と有志が集まり、東京多磨霊園にある浅田栄次氏の墓に没100周年を記念して墓参した。

1988年には、既に故人となっていた浅田氏の二男・斐彦氏宅から700点を超える浅田栄次氏の原資料が発見された。翌年の1989年にはその中から194点を抽出して、徳山市立中央図書館で資料展が開催されている。これは徳山市教育委員会の主催で行われた。
その時の小冊子によると、文法訳読一辺倒だった明治期英語教育において、発見された浅田氏の資料は、現今に通じる音声第一主義のガイドラインを示すものだったという。また資料は、浅田氏の多岐に亘る言語研究の足跡を示すと共に、神学の世界を極めようとした浅田氏の孤高な生涯を浮き彫りにするものだったという。この時の式典にはシカゴ大学図書館日本部門の司書で、浅田氏の研究もしていた故・奥泉栄三郎氏が出席していた。


浅田栄次博士