日本語メインに戻る
「私は男の子、女の子の体を持っているだけ」
トランスジェンダーの子どもと向き合うアイズミ氏


• トランスジェンダーの子どもを持つマーシャ・アイズミ氏の講演会が3月31日、ノースイースタン大学で開催された。トランスジェンダーとは、性と心の性の不一致から、反対の性で生きようとする人を言う。

• アイズミ氏は1988年、生後3ヶ月の日本の女の子、アッシュリーを養子にした。タッド・アイズミ氏と結婚後16年目のことだった。
• アッシュリーは成長するにつれピンクや人形を嫌い、男の子のオモチャやスポーツを好んだ。ハローウィンにはファンシーなドレスよりも、バットマンやスーパーマンなどのスーパー・ヒーローのコスチュームを好んだ。やがて弟が生まれると、兄のように弟をサポートしていた。小学校の時には「もしも私が男の子だったら」という内容の作文を書いていた。

• 中学になるとロッカールームが男女で分かれる。スポーツも男子と女子で分かれる。アッシュリーはどちらにも当てはまらず、男子のほうに行くと男子から嫌われた。
• アイズミ氏は「中学生は難しい年頃でもあるし、そのうちに良くなるだろう」と思っていたが、高校になると事態は更に悪化した。

• アッシュリーさんはがっしりとした身体つきになり、筋肉も発達していた。15歳の時にレスビアンとなり、学校では毎日イジメにあうようになった。殴られると戦おうとするアッシュリーさんは、野球のバットで仕返しにあったこともある。目を殴られ医者に見せたこともある。教会からも拒否された。こうした中でアッシュリーさんはうつ状態となり、自分で自分の身体を切り始めた。アイズミ氏が理由を訊くと、「内側のほうはもっと痛い」と答えたという。セラピーに行くと広場恐怖症と診断された。この様な状態で自殺する人が多いという。

• アッシュリーさんにとってゴルフが唯一の救いだった。非常に成績が良く、4年連続でMVPを勝ち取っている。

• しかし、アッシュリーさんは高校の最高学年になると、学校に行かないと宣言した。教育者であり、ドロップアウトを助ける仕事についていたアイズミさんには困ったことだった。幸いなことに学校側は、家で学習することで卒業証書を出してくれた。広場恐怖症になっているアッシュリーさんは、プロムにも卒業式にも出なかった。

• 21歳になる6ヶ月前、アッシュリーさんは自分はレスビアンではなく、トランスジェンダーだと宣言した。女性の身体であるだけであり、自分の気持ちに合わせるために性を変えると決意を語った。その時アイズミ氏は、本当の意味が分からなかったという。
• アッシュリーさんは21歳の誕生日にアイデンと名前を変えた。筋肉を増やす治療を受け、胸部も削除した。

• 21歳の誕生日を機に、アイデンさんは笑顔を取り戻した。そして活動的になった。トランスジェンダーは隠すことではなく、人間としての一部だと話し、ワシントンDCで行われた平等婚を訴えるデモ行進にも参加した。アイズミ氏はそこに誇りに満ちた息子の姿を見たという。その時アイデンさんは「世界を変えるために献身したい。それはLGTB(lesbian, gay, bisexual and transgender)だけではなく、違いに悩む人達のためだ」と話した。

• 現在アイデンさんは大学4年生でもうすぐ卒業する。将来は先生かソーシャルウォーカーとして社会に貢献したいという。在学中にも多くの活動を続け、2012年にはホワイトハウスで行われたLGBTレセプションに招待された。オバマ大統領に会う15人の一人に選ばれたという。また、2013年11月にはスクール・サイコロジストのメアリーと結婚した。

• アイズミ氏は違いを持つ子どもが感じるのは罪の意識、怒り、悲しみ、恐れ、一方親が感じるのは、仕事で忙しすぎたのではないかという罪の意識、兆候に気付いてやれなかったという罪の意識、教会から拒否された恥ずかしさや、母親として失格ではなかったかとの自責の念だと語った。
• また、家族としては娘として過ごしてきた過去が消えてしまうという悲しみがあった。また娘と過ごす将来のイメージも諦めなければならなず、失ったという気持ちをから脱却するには時間がかかった。
• 娘が息子となるまでには、心配事がずいぶん多かった。子どもは安全だろうか、自分の場所を見つけられるだろうか、良い仕事に就けるだろうか、家族にどんな影響があるのだろうか、出来ることをすべてしてあげているだろうかなどと、いつも心配していた。

• しかし、子どもへの愛情は無条件だった。どんなことが起きようと、子どもへの愛情が変わることはなかった。そして、子どもへのコミットメントを持ち続け、自分自身の教育に打ち込み続けた。そうすることで同じ悩みを持つ他の親達も助けることができると信じていた。
• 母親の愛情とは責任を果たすこと、上手く行かなければ他の手を考えること。いつも対話に心を開き、子どもが何かしてくれれば「ありがとう」ということを忘れないことだと話した。


生後3ヶ月の日本の赤ちゃんを養子にしたアイズミさん


男性として生きる決意をした21歳の誕生日


アイデンという名前に変え、LGTBの活動に参加し始めたアイデンさん

The above photos are borrowed from Marsha's presentation.


マーシャ・アイズミ氏