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Takisawa, Inc.
テクニカル・センター完成
マシンの精度と即納で売り上げ倍増を狙う

• マシン・ツール・メーカーTakisawa, Inc.のアメリカ本社とテクニカル・センターの新社屋がシャンバーグに完成し、5月28日にグランド・オープニング・セレモニーが行われた。
• セレモニーに先立ち、4台の大型マシンが設置されたショールームではレセプションが行われ、挨拶に立った近藤安正社長はオフィス、ショールーム、ウェアハウスの3つの機能を持つ新社屋でビジネス拡大を図り、売り上げ倍増を目指したいと述べた。
• ショールームには常時4台から5台のマシンを展示し、実際にお客様に触ってもらうことができるようにしている。ウェアハウスにはパーツやマシン数台の在庫を置き、即納できる態勢を作って行く。
• 完成した新社屋は1750 N. Plum Grove Rd.にあり、敷地3,000坪、建屋380坪、オフィス120坪、ショールーム100坪。

• 新社屋紹介後はルネッサンス・ホテルに会場を移し、オープニング・セレモニーが行われた。
• 岡山に本社を持つTakisawa Machine Tool Co. Ltd.の原田一八社長は「3つの機能を持つテクニカル・センターの完成で、技術者のトレーニングや即納など多くのサービスを提供することができる」と述べ、「3,000万ドルの売り上げを近々達成したい」と具体目標を掲げた。

• 岩藤俊幸在シカゴ総領事は「Takisawaの90年を超える歴史に新しい章が加わった。革新的であり続ける御社の製品は中西部のみならず全米にベネフィットをもたらし、グローバル企業として地元に貢献されるだろう」と祝辞を述べた。

• アル・ラーソン・シャンバーグ市長はハイテク雇用を創出してくれるとTakisawaを歓迎し、シャンバーグはイリノイ州のどの都市よりも日系企業が多く進出しており、コンベンションセンターやホテルの設備も整っているとシャンバーグの良さをアピールした。

• Takisawa, Inc.のディストリビューターYamazen, Inc.のケビン・岸田社長は、Takisawaが米国に進出して以来、新社屋の完成は向こう10年を見据える新たな節目となると述べた。また「社屋を建てれば神様がやって来る。社屋を建てれば注文書もやって来る」と話し、ショールームに多くの顧客を招待し販売拡大に努めたいと語った。


近藤安正社長インタビュー
これからの10年を考える


• Takisawaは1922年創業、1944年に設立された。米国に進出したのは1979年。1985年に海外営業部米国担当となった近藤氏は、出張ベースで日米を往来していた。
• 1989年にはバーノンヒルズにテクニカル・センターを建設、近藤氏もその建設に関わったが、当時は経営陣ではなかった。

• 景気に一番左右されると言われる工作機械業界は、バブルの崩壊で大きな痛手を受けた。Takisawaもその煽りを受け、1995年にはバーノンヒルズのテクニカルセンター・ビルを売却することになった。売却後は借りオフィスで米国での営業を続けた。

• 近藤氏は1997年から米国に駐在したが、2001年3月に本社社長に昇格した。景気低迷が長引く日本で、近藤氏は再建に乗り出した。涙ながらのリストラもやらなければならなかった。「最初の3年間はきつかった。不眠症になったこともあった。4年目からは何とか、いいように立ち上がった」と語る。

• 2012年に若手の原田氏に社長職をバトンタッチするまでの11年間に、近藤氏は4つの目標をやり遂げた。一つは無借金経営への再建、二つ目は中国への工場進出、三つ目は本社の第四工場建設、そして四つ目は海外拠点の集中と選択だった。イギリスのテクニカルセンターを売却する一方、タイとインドネシアに現地法人を設立した。

• 2011年末までにやりたいことをやり終えた近藤氏は「そこですることがなくなった。これからの5年、10年、何をしようかと考えた」と語る。
• シカゴは第二の故郷とも言える思いで深い場所だった。米国の売り上げを見てみるとリーマンショックもあり、近藤氏の駐在時よりも落ちていた。日本工作機械工業会の統計を見ても米国への輸出比率は小さい。そこで「アメリカでもう一度やりたい」という闘志がフツフツと沸き上がった。

• 近藤氏は早々に原田氏を社長に指名し役員会の承認を得て行動を起こした。いつまでも借り社屋ではいけないと、シャンバーグにテクニカル・センターの建設に着手した。近藤氏は「社員にプライドを持ってもらいたい。だからこういう器を作った。あとは
• どの様に魂を入れて行くか、それがこれからの課題」だと語る。
• 当初の売り上げ目標は3,000万ドル。近藤氏は5,000万ドルから6,000万ドルを予測し、それだけの人員に必要なオフィスのスペース取りもしている。

• 連結会社を入れれば700人をかかえるTakisawa、本社だけでも300人を雇用している。その社長を自ら辞してアメリカに来るのは異例かも知れない。しかし近藤氏は「ここは十数人ぐらいしかいないから、末端まで自分の方針を理解してくれる」と微笑む。
• 本社社長時代には自分の意志が末端まで伝わらないというジレンマがあった。これを解決するために一般社員を9グループに分け、年に2回、夕方から毎日3週間を費やして一般社員との懇談会を続けてきた。「そういう意味ではここは楽しい。主任や係長まで自分でしないといけないが、昔に戻ったなぁと言う気がしている」と語る。

• 近藤氏は11年間の社長職を通して人材の素晴らしさを体で感じた。苦しい時代の再建についても「ブレインの人達が良くやってくれた。今思うと私が何をしたのか分からない」と話す。
• アメリカでの成功はTakisawaマシンの精度とアフターサービスを武器に、部下の仕事を支援し仕事を任せること。「価格や納期で部下が苦労していれば本社と交渉し、仕事がやりやすくなるようにする。それが私の仕事」だと近藤氏は語る。
• 同じ利益を出すのだったら、経費を使ってたくさん売るというのが近藤氏の考え方。「たくさん売ることによってTakisawaブランドが広がる。売ったら他のお客さんが買ってくれるかも知れない。ともかく出さないといけない。よく売っているところは利益が出ている」と語った。

 


Opening ceremony


Yasumasa Kondo, President and CEO of Takisawa, Inc.,
North America’s headquarters and technical center



Takisawa's showroom in Schaumburg