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フジコ・ヘミング
コンサート&インタビュー

• フジコ・ヘミングさんによるピアノ・ソロ・コンサートが3月28日、シャンバーグにあるパフォーミング・アーツ・センターで開催された。これはシカゴ日米協会の創立85周年を祝う行事の一環で、日本人が多く住むノースウェスト地域で開催された。フジコ・ヘミングのコンサートは今回3回目で、過去の2回はエヴァンストンで開かれた。

• シカゴ日米協会の共同プレジデントの子安陽氏は、世界的に知られるフジコ・ヘミングさんの寛大な思いやりでシカゴ公演が実現したと謝意を表し、1930年のシカゴ日米協会創立以来人々の献身と貢献によって、良い時も苦しい時代も日米友好が支えられて来たことを誇りに思うと挨拶した。また、同公園のスポンサーとなった団体や個人に謝意を述べた。

• 同協会名誉会長の岩藤俊幸在シカゴ総領事は「ヘミングさんが我々の芸術性を触発してくれる。今日の夕べをいつも思い出すことだろう」と述べると共に、シカゴと日本の友好を活発に進めているシカゴ日米協会のメンバーを称えた。

• コンサートはシューベルトのアンプロンプチュ作品90-3で始まった。ラヴェルの「亡き王女のためのパバーヌ」、ドビュッシーの「雨の庭」、ラクマニノフの「プレリュード32-5」、モーツアルトの「トルコ行進曲付」と続き、最後はもっとも難しい練習曲と言われるラ・カンパネラで演奏終えた。少し調子が悪いように見えたフジコさんは拍手に応えながら「古いピアノで、とても弾きにくかった」と話した。しかし、香り立つようなピアノの音色は素晴らしかった。
• フジコさんは4月1日、日本の国連加盟60周年記念の一環として国連本部で演奏し、各国の外交官からの大きな拍手に包まれた。

フジコ・ヘミング、インタビュー

• Q:今回の演奏曲の選択は?
• フジコ:去年からウクライナなどで演奏して大成功している曲です。ラ・カンパネラはいつもやっています。
• ラ・カンパネラは(鍵盤が)こっちからこの辺まで飛ぶんですよ。これをとばしちゃう可能性があるけど、今は殆ど一回もどばしたことなくなった。目をつぶって弾いていてもちゃんと行くから。

• Q:公演のためにどれ位練習を?
• フジコ:シカゴに着いてから25日も今日も(26日)もやりました。3時間から4時間はやらなくちゃ。毎日それが続いてるからね、それでクタクタになっちゃう。

• Q:その日によって調子の善し悪しがありますか?
• フジコ:あります。それからピアノがボロだったり。特にロシアの方に行くと、とんでもないピアノが置いてあって困っちゃうことありますよ。それはリヒターも言ってた。(ハンス・リヒター・ハーザー、ドイツのピアニスト)

• Q:そういう時はどうされるんですか?
• フジコ:仕方が無いからそれなりに。

• Q:ブラボーって言ってくれた方がいいですか?静かな方が?
• フジコ:日本のお客様はシンとしてる人が多くて、みんなが全員立つという事はないからね。国民性がね・・・。だけどこちらの人は、先日のロサンジェルスでもスタンディングオベーションやるからね。
• でもね、静かでも好きですね。私が、自分が一番良く知ってるから。できがいいか悪いか。だからそれはどうでもいい。(笑)

• ユーゴスラビアから東の方に行くとトルコに近いからトルコ人の血が入っている人がいっぱいいるみたいで、モーツアルトのトルコ行進曲を弾いたら、一楽章が終わったらもうスタンディングオベーションになるんですよ。まだ二楽章、三楽章あるのに、ブラボーなんてやって。モーツアルトが人種差別してないから。あの頃ベートーベンもトルコ行進曲作って、トルコに感激していたみたいね。

• Q:フジコさんの演奏は独創的だと言われますね。
• フジコ:昔、母から音が揃っていないって怒鳴られました。今の私の演奏では機械みたいに揃っている必要は全然ないのよ。それよりももっと魂が湧き出てね。絵だってそうでしょう。色にむらがあるからいい絵になるんだけどね。

• Q:フジコさんは83歳で、今年の半年間で38のコンサートをこなされますね。
• フジコ:余りにも多くて。知らないうちに勝手に入れちゃうような人がいてね、私は契約書もなしにって凄く怒って。だけど今頃嫌だって言っても、もう切符は売り出したとかね。きついもきついも、いいとこですよ。今やっと、ちょっとのんびりアメリカに逃げてきたからいいけれど、日本ではもう大変。
• 私はこの10年間いろんな変な人間にいっぱい会って、もうひどい目に遭って、裁判があったりしてね。どんどん弁護士からお金を取られて、私は本当に人間不信になって。(笑い)

母・父・恋・友
赤裸々な人生の軌跡

• Q:フジコさんのストーリーはテレビでも紹介されて有名ですが、もう少し話して頂けますか?
• フジコ:子どもの頃、父が白人だっていうだけで強制送還で、母は外人と結婚した変わった女というだけで年中秘密警察がうちに来て。そんなことが続いていましたよ。
• 食べるものが何もなくて、とんでもなかったなぁあの時は。お味噌だけあって、お味噌汁の中に入れるものがないから昨日飲んだお茶がらを入れてね。少しビタミンが出てくるって言ってね。
• それから祖母の実家がある岡山に疎開しました。小学校にピアノがあったからそこで毎日勉強できたのね。そこに兵隊が駐屯していて、素晴らしい合唱が聞こえてきたの。兵隊さん達がオー・ソレ・ミオを合唱しながら行進していて、凄く感激しました。
• 空豆の炒ったのを食べながら歩いていると、兵隊さんが2人立ってて、お腹が空いてるから豆をくれって。一人はね宝塚のダンスの凄い偉い先生なんだって言ってた。
• いろんな人が私のピアノを聴いて褒めてくれて、その中の一人がいつも私にお砂糖とかバターを持って来てね。私が食べるのを嬉しそうに見てた。

• 東京に戻ってから、うちの母は全然家にいなかったんですよ。アメリカ人の子ども達に毎日ピアノを教えに行って、夜にならないと戻ってこなかった。学校の勉強は全然しなかった。青山学院、クリスチャンの学校だったからいい人達が多かったけど、帰り道に子ども達が待ち伏せしていて、異人って石をぶつけるんですよ。

• 10歳の頃、フランスに憧れていました。行きたいと思っても国籍がなかったから。後にドイツの大使が助けてくれて、避難民としてドイツにピアノの勉強に行くことになりました。
• その頃、東京で一番大きな中国料理のレストランで毎晩ピアノを弾いていました。アメリカ人の将校達が家族連れで来て、私のピアノに感激してくれた。私のピアノを聴きに来る人がいっぱいいて、アメリカに来るんだったらすぐに世話をしてやるって言ってくれた人が多かったけど、ドイツの方から奨学金が出ちゃったから。そっち行っちゃって、フランスは凄く高かったから。

• Q:お父さんのヨスタ・ゲオルギー・ヘミングさんはどんな方でした?

• フジコ:うちの父は全く無神論だって言ってね、女たらしで嘘つきで、とんでもないヤツだったらしいけど。母がドイツに行って、とんでもない男に引っかかって。
• 彼は蝶々夫人のピンカートンみたいなつもりで、しばらくは母と結婚して日本で暮らしてみたら楽しいだろうって言うぐらいの、そういう無責任な人だったらしいのね。
• 私が子どもの時に、もう他の日本人の女の人と同棲してた。私が覚えているのは、うちの母がいつもわめいて、父と掴み合いの喧嘩をしてるの。だから初めっから分かっていたらそんな男と結婚する方がおかしいじゃない。
• 私はそれでもやっぱり父だから・・・。父は絵が上手い人でした。この間、皇居の前にある東京国立近代美術館にうちの父の絵が飾ってあって凄く感激しました。昔、日本郵船から頼まれたポスターなんです。大正から昭和初めの絵がいっぱい掛かってて、うちの父が地獄で喜んでるだろうと思って。
• 私も少なからず父からもね、血を受けてるんだなぁと思いましたね。人間はいいところも悪いところもあるから。

• Q:耳が聞こえなくなって、ウィーンのリサイタルが不運に終わった後、スウェーデンに行ってお父さんと再会されましたね。その時、どうでしたか?
• フジコ:ちょっとがっかりしました。私は若い時の素敵な写真ばかり見てたから。
• 父の奥さんというのは、素敵な人だったけど意地の悪そうな・・・。私が来たのが嫌だって、台所でおいおい泣いてたって言うからさ。財産目当てで行ったわけじゃないし、何一つもらわなかったし。私の父が描いた絵かなんか一枚あるかって言ったら、「そんなものは私達は持ってない」って言われちゃって、がっかりだったけどね、もの凄くかわいい妹がいましたね、その時。

• Q:スウェーデンに6年いて、それから恋人に請われてドイツに行かれたと聞いていますが。
• フジコ:どっちにも(悪い男が)いましたよ。
• ストックホルムでも、コーヒーを飲んでたらある男が話しかけて来て、こっちはすっかり丸め込まれて。彼の家に行って、彼が買い物に行っている間に戸棚を開けてみたら赤ちゃんや女の人の服が入っていて、結婚しているヤツだなと思ってぞーっとした。
• 後はひどい目に遭って苦しんだけど、あんなヤツは苦しむ価値もないですよ。クリスマスの頃に彼を見かけたけども逃げた。もう二度と話もしたくないと思って。そんなのの繰り返しですよ。

• Q:ドイツの音楽家の人は?
• フジコ:彼は私の父よりももっと悪いですよ。彼はゲイだったから女性に興味はないのに、世界中の女を騙して歩いてた。相手の女性が悩んでいるのを見るのが嬉しくてしょうがないのよ。とんでもないヤツですよ。だから今全然人気ないですよ。
• この間パリで偶然にその彼を見たら、絶世の美男子だって言われてた人がもうお化けのようになってた。ああ、あれがあの時の男かと思って。
• ドイツには他の恋人もできて、15年間ピアノを教えてました。でも結婚の相手にはならなくて、あー、何でこんな所に居着いちゃっなぁと思ったけど。フランスにも近いからよく遊びに行きました。
• ゲイは悪いヤツかと思ってたら、とんでもない。今一番パリで私に親切にしてくれるのは、フランス人と日本人のゲイのカップルなんですよ。去年結婚式をして、私が間に入ってサインをして、お客さんがたくさん来て、凄い盛会でしたよ。そのカップルが私のパリの家の猫の世話をしてくれているんです。

• Q:今結婚したい人は?
• フジコ:いやぁ、いるけど、あたしの方から恥ずかしいと思う。
• この間共演したヨーロッパの人、指揮者で、凄くいい人で、
• みんなで一緒に喋っている時に、「私がもし死ぬ時には」ってやったら、彼が私に、こうやったのよ(肩に手を回す仕草)。そういうふうに始まったからね、彼も猫をいっぱい飼って女の人はいなくて、そんなに若くもない。
• だから私はこんどブタペストで共演するしね、日本でもN響とやりますけどね、恥ずかしいだけじゃなくて、迷惑掛けるんじゃないかって思うのね。私の周りには結婚に飽き飽きしている人がいっぱいいて「3ヶ月だけ一緒にいなさいよ」とパリで言われた。まだ心残りがあるのに出かけて、別れたらもっといいですね。辛いけど、どっちにしても私はあちこち行かなくちゃならないから。

絵と友だち

• Q:京都の青蓮院での演奏が収録されているDVD、ご自分の絵だそうですね。
• フジコ:絵はたくさん描いてます。あれはストックホルムの友だちのために、絵葉書に書いた絵。
• その頃私はドイツに住んでいたんだけど、ストックホルムで放送があったから、そこに行くといつも泊めてもらっていたお家。彼は何かおかしくなっちゃって、家中にお札やコインが置いてあった。私の名前なんかはちゃんと覚えてるんだけどね。
• そこの台所に座ってたら、新聞が重ねてあって、そこに私の絵葉書がはさんであった。これは捨てられるなと思ったから持って帰ったものですよ。私達の関係はただの友達だったけどね。1970年代の終わりの頃。
• こないだも行ってみたら、名前は出てるんですけど誰も出てこないし、電話を掛けてもその電話は通じないって言うからね、凄い悲しいです。

• あのDVDにほ日本の曲が入ってますよ。助川氏のラクリモーサ「小さい命のために」。芸大の時の友だちで、猫が死んで悲しんでいる時に彼がレクイエムを作ってくれたんです。

• Q:動物をとても大事にされていますね。
• フジコ:東京の家には50匹買っています。フランスやドイツの家にもね。サンタモニカにも家があります。
• 私のひいお爺さんはスウェーデンで動物病院の院長だった。腹違いの妹も猫を可愛がっていて動物好きで、そういう血を引いてますから。
• 津波で飼い主を失った犬や猫を助けるためにずいぶんお金を出しました。感謝されて凄い嬉しいです。世田谷の私の家の近くでは野良猫はいないって。それは凄く嬉しいことで。
• アフリカの水が全然無いところに、誰か有名な人が私のお金で井戸を掘ることができたって言って。ちゃんとお金が行っている所もあるけど、何か分からない、ごまかされているところもいっぱいあるからね。だけど、やらない訳にいかないから、まぁ、やってます。
• 私は結婚してないから、子どももいませんし後継ぎもいないから、まぁ心配は無いけど。

• Q:フジコさん、何でも話して下さってありがとうございました。


フジコ・ヘミングさん、シカゴ・ユニオンリーグ・クラブにて