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吉田雅治総領事インタビュー

シカゴの歴史探索が楽しみ、機会があれば
シカゴマラソンも

 1月25日にシカゴに着任した吉田雅治在シカゴ日本国総領事に2月6日、お話を伺った。吉田総領事は身長180センチ、趣味は読書とジョギング、夫人は美保さん。特に中国に造詣が深く、米国とは特にプリンストン大学留学時代、沖縄県事務吏員時代、フィリピン大使館時代などを通して親近感を持つ。

 吉田雅治総領事は1955年7月22日、岡山県生まれ。1978年に東京大学教養学部教養学科を卒業後、同年4月に外務省に入省した。東京大学では国際関係論を専攻、国際政治、国際法、国際経済などを学び外務省の外交関係に興味があった。
 1972年に日中国交正常化が行われ、折しも中国との関係が重視される中、入省した吉田氏は中国語を専門言語に選んだ。外交官にとって言語の習得は最重要分野の一つ。かくして吉田氏は1979年から80年まで北京大学で、80年から81年まで香港の中文大学で語学研修を受け、更に81年から82年までニュージャージーにあるプリンストン大学のイースト・エイジアン・スタディで研究員として学んだ。

 吉田氏は北米局日米安全保障条約課企画官(1994年10月)、沖縄県事務吏員(同年11月)を経て、1997年に外務事務官 経済協力局調査計画課長に就任し、国際協力事業の仕事に就いた。

経済協力局調査計画課長として

Q:国際協力事業は日本が国際社会の一員として責務を果たす重要な仕事ですが、具体的にはどの様な仕事を?

吉田総領事:外務省の中で経済協力局の仕事は比較的長いです。その前に無償資金協力課という所に4年弱いた事があります。
 私が担当したのは人道的な基礎生活分野で、発展途上国に学校や病院を作ったりしました。経済発展している中国も、かつては相当なODAを供与しました。大きなプロジェクトでは友好病院を作りました。孤児院を作ったこともあります。
 ネパールやアフリカへのODAも担当しました。アフリカではポリオワクチンの接種計画、マラリアを防ぐために殺虫剤を塗った蚊帳(かや)の供与、場合によっては食糧援助なども行いました。

国連行政課長として

Q:1999年から2001年まで国連行政課長を務められました。この間はどんなお仕事を?

吉田総領事:現在は課の名称が変わっていますが,当時は国連行政課というのがありました。一番大きな仕事は、日本として妥当な基準の分担金をどの様に設定するかということです。国連の予算全体について無駄がないように厳しく注文を付け、行政改革をやってもらわなければなりません。一方、日本の分担金は日本政府の予算ですから国会の承認が必要です。ですから関係の国会議員の先生方に説明し理解を得るというのが一番大事な役割でした。

 また、日本が提唱して国連に人間の安全保障基金を作ったのですが、これの立ち上げに携わりました。これは健康、社会生活、家族といった面で個人の安全を考えようと言うものです。例えばタイの貧しい地域で孤立しているコミュニティがありました。ここに小さな橋を架けて、そのコミュニティが自力で発展できるように支援したり、ボスニアでは民族融和のために各民族が集まることができる作業場のようなものを作りました。

Q:国連で日本人の職員は多いのですか?

吉田総領事:当時から負担金の率に応じて日本人の国連職員を増やすというのは、日本の一つの大きな主張でした。アメリカに留学している日本人が国連職員に応募するのであれば、当然支援します。
 インターンシップ・プログラムがあり、日本政府からある程度の資金的な支援を受けながら2年から3年の固定期間を働いて、上手く行けば採用して貰うことができます。これには応募ポストに応じた専門的知識や言語能力が必要です。本採用まで時間がかかりますから動機の維持も大変です。日本人には余り得意でない自己主張が必須な世界でもあります。日本の留学生の積極的な応募により日本の職員が増えると言うことは、日本にとって大事なことだと思います。

在中国日本大使館公使として

Q:2004年から2006年まで、在中国日本大使館の公使として中国に赴任されました。どの様な活動をされていたのですか?

吉田総領事:90年から92年まで在中国日本大使館にいたことがありますから、2004年の赴任は2回目です。
 2004年からは総務公使として、館の運営など官房的な部分を担当しました。当時、日中関係は上向きでしたが、隣国ですから問題がない訳ではありません。2005年には大規模な反日デモが起きました。

Q:中国各地に拡大する大規模デモでしたが、大使館ではどの様な対応を?

吉田総領事:一番大事なことは、在留邦人に損害・被害が及ばないようにすることです。事態が起きれば各地の在留邦人、日本人学校、留学生などに連絡します。
 一方では中国側に対して、在留邦人の安全確保に万全を尽くしてもらうように、政府や公安当局に要請します。総領事館や大使館がある地域は少ないわけですから、それ以外の地域には直接電話をして状況を聞きます。場合によっては直接警察に電話をすることもあります。

Q:中国の人々は日本をどの様に見ているのでしょうか?

吉田総領事:在勤中はいろいろな形での交流イベントがありました。
 ジャパンデー開催の時には日本の女将さんの組合の人達がボランティアで来てくれて、お茶、お花、きものの着付けなどのデモンストレーションをしてくれました。非常に沢山の人々が集まって、着付けには1時間ぐらい並んで待っている人達がいました。日の丸の付いたハッピを着て写真を撮りたいという人達もいました。
 その他にも日本酒や日本米、商工会の餅つきなどのイベントを開催すると大勢の人達がやって来ます。日本文化に関心を持つ中国の方々は非常に多いと私は感じています。また、日本の製品についても、一般には信頼されています。
 中国の人達に修学旅行で日本に行ってもらうと、非常に良い印象を持って帰る人が多いですね。日本の方々も中国を旅行されると、また違った印象を持たれるかも知れませんね。

 中国ではデモなどの動きが広まるにしてもネット社会が影響しています。極端な議論が飛び交い破壊行為も起きていますが、それが最大公約数で集約された多数意見かというと、それは分かりません。だから、中国の人々が全員そう思っていると言うのは早計かも知れません。「そういう人達だけが中国人だと思わないで欲しい」という声もあります。
 話は変わりますが、東日本大震災の時に中国の人達も救援に来てくれました。日本人の落ち着いた行動を見て、中国の人達も「すごいね」と言ってくれました。コンビニで買い物をした中国の人達が「助けに来てくれたんだからお金はいりません」と言われて感動したという話も聞いています。人間の気持ちというのは、伝わる時には伝わるという気がします。

Q:今後の日中関係の眺望を伺えますか?

吉田総領事:主張すべき事は当然主張すべきですが、長期的には問題を話し合いで解決しなければいけないでしょう。
 長期的に双方が互いを必要としていると思いますから、粘り強く話し合っていくことと、地味ですが日本と中国の方々の交流を続けていくのが一番大事なことと思います。引っ越すことができない隣人ですから、お互いに冷静に考えていくことで長期的に上手く行くことを願っていますし、また、そうしなければいけないと思います。

在広州日本国総領事として

Q:2006年から2009年まで在広州総領事を務められました。その時のご活動は?

吉田総領事:広州市は中国でビジネスを展開している日系企業の拠点の一つです。トヨタ、ニッサン、ホンダの工場があり、化学メーカー、鉄鋼メーカー、器機メーカーや関係サプライヤーも進出しています。
 中国では労働法、雇用保険や労働組合の問題が整備されつつあり、そこに日本企業が関わっていくという時代でした。そういう中で日本のビジネスの方々の意見を聞きながら、地方政府と交渉するなど、非常に興味深い仕事でした。管轄区域は広東省だけでも本州位の広さですから、インフラが整っていない所で頑張っている日本企業の人達もいます。そんな方々からも話を聞いたりしていました。タクシーが掴まらないという問題があれば市の政府と話をしたり、道路の渋滞解消のために立体交差建設の話などもしました。いささかなりともビジネス支援ができたと思います。

Q:人民元は日本に持ち帰れないと聞いていますが本当ですか?

吉田総領事:中国は徐々に国際化しています。株式配当を日本に送金するのは問題ありません。また、中国の銀行に元口座を持っていると、キャッシュカードで日本のコンビニや郵便局、銀行のATMで円を引き出すことができます。中国で発行されたクレジットカードも日本で歓迎されていますし、香港で人民元の口座を作る日本人も多くなっています。また、投資信託で中国株の投資も流行っています。昔とはずいぶん変わりました。

衆議院惨事 国際部長として

Q:2009年から在シカゴ総領事になられるまで、衆議院惨事として国際部長を務められていました。どの様な仕事をされていたのですか?

吉田総領事:議員外交の仕事です。横路孝弘前衆議院議長や河野洋平元衆議院議長も議員外交に熱心でした。私もG8の議長会議で昨年の9月にワシントンDCに行きました。
 議員外交は米国はもちろん、中国、韓国、ロシア、EUなど、多くの国々との間で行われています。
 私は特に中国、南アフリカ、シンガポール、トルコなど、日本にとってこれから重要になるところの議員交流のお手伝いをしていました。議会は立法府ですから政府と違う意見も当然あって、率直な意見交換するのが国際部の役目です。
 外国から来客がある場合には、京都の他、広島か長崎に行って頂くという方針でやっていました。東日本大震災後は、セルビア、タンザニア、フランスなどの議員団を東北地方へ案内し、復興の状況を見てもらいました。

沖縄やフィリピンから見たアメリカ

Q: 2001年から2004年まで在フィリピン日本国大使館に勤務されました。また、1994年から97年まで沖縄県庁で米軍との連絡関連の仕事に就かれていました。どちらの土地でもアメリカを身近に感じられたそうですね。

吉田総領事:私がフィリピンに在勤したのはアロヨ大統領の時代でした。フィリピンの人々はアメリカに対して友好的です。また、多くのフィリピン人がアメリカに住み、親近感を持っています。地元のスーパーに行くと、アメリカのクッキーなどいろいろなものが売られています。アメリカで出版された本も販売されるなど、密接な関係があります。自主独立と、テロとの戦いなどでアメリカに支援してもらうことなど、非常に緊密な関係があります。

 沖縄では基地負担の問題がありますが、これは日本政府と沖縄県外の人々が良く考えて負担を減らすのは当然だと思います。
 基地問題が大きく報道されていますが、私の感じでは、沖縄の方々はアメリカが好きだと思います。タコライス、私も大好きですが、アメリカを上手く取り入れている典型ですよね。
 沖縄の人々はアメリカを理解して受け入れ、自分の中に取り込んでいると思います。ブルーシール・アイスクリームは沖縄にあるアメリカのような気がします。ランチョンミート(スパム)もオニギリなどに上手く取り入れられています。外の文化を鷹揚に受け入れるのは、沖縄の人達の素晴らしいところだと思います。
 ハワイ、アトランタ、ワシントンDCの沖縄県人会には出席したことがあります。シカゴの沖縄県人会にもぜひ呼んで頂きたいですね。

そして、シカゴ

Q:シカゴに着任されていかがですか?

吉田総領事:西海岸・東海岸では日本文化の交流が深いと聞いていましたが、シカゴでも想像以上に日本文化が溶け込んでいますね。裏千家の点初(たてぞめ)に出席しましたが、現地の人がきものを着て、お茶の作法を教えてくれました。生花もきものの着付け教室もある。シカゴで日本文化が広まっている事実が、むしろ日本で知られていないのかも知れません。
 5日にはノースウェスタン大学のケロッグ・スクールで講演しました。日本のレストラン産業、ゲーム産業など、ビジネスの観点で学生達の関心が強いと感じました。
 それに、シカゴは除雪のシステムが整っていることに感心しました。最近東京では大雪に見舞われ、膝上まで積もった雪をかき分けながら帰宅したことがあります。

Q:シカゴでの抱負をお聞かせ下さい。

吉田総領事:シカゴと中西部の方々に、震災の復興への取り組みを含めて日本について理解して頂くことです。
 日本へもっと観光に行って頂く、日本製品をもっと使って頂く、そして日本に進出もして頂きたいですね。そして、日本の企業が現地の人々をたくさん雇用していること、地域で皆さんが交流しておられることを、もっと日本に知ってもらう。このようなことをやっていきたいですね。
 個人的には1人でも多くのシカゴや中西部の方々とお知り合いになりたいと思っています。また、日系人の方々がこれまで積み重ねて来られた土台は大きい。そう言う方々のお知恵やお力を拝借して、また、こちらでお役に立てることがあればお力になって、やっていきたいと思います。
 趣味のジョギングを生かして、機会があればシカゴマラソンにも参加してみたいと思います。また、歴史物の読書が好きですが、シカゴにも興味深い歴史があると聞いています。これからの探索が楽しみです。

Q:お忙しい中、どうもありがとうございました。