賑わい戻る4年ぶりの銀座ホリデー、日本の技職人も迎えて
赤・橙・黄色・青・青紫、色とりどりの提灯や出店が並ぶお寺の境内、日本情緒たっぷりに、ふるさとの夏祭りを彷彿させる中西部仏教会の第65回「銀座ホリデー」が8月11日から13日まで開催された。
コロナ禍で自粛を余儀なくされた銀座ホリデーは4年ぶりに日本の技職人を迎え、骨とう品や瀬戸物、ジュエリーや小物、アートTシャツや着物などの出店が立ち並び、大勢の人々で賑わった。
バックタウンと呼ばれるシカゴ市ノースサイドの小路に入ると、秘伝のタレでグリルされた照り焼きチキンの香ばしい匂いに食欲を誘われる。会場ではその他、照り焼きベジ・バーガーや冷やしうどん、焼きトウモロコシや枝豆、ハワイアンかき氷や金時アイス、冷たいビールや日本酒が来場者を楽しませた。
舞台では法悦太鼓による和太鼓演奏、朝陽館による剣道実演、シカゴ箏グループによる箏演奏、ナ・カプナによるウクレレ演奏、MBT太鼓グループによる和太鼓演奏、シカゴ合気会による合気道実演、MBT民謡グループによる踊りが終日行われ、日本伝統芸能や武道を紹介した。椅子が焼けるような炎天下にも拘わらず、多くの来場者が見守った。
今年の日本の技職人は、二十数年間銀座ホリデーに来ている陶芸家の木下英二さん、東京・浅草の仲見世にある染絵てぬぐい「ふじ屋」の三代目・川上正洋さん、市松人形の藤村光環師のたった二人の弟子のうちの一人の山崎明咲(めいしょう)さん、そして書の史穂呼さん。
日本の伝統技術を受け継ぐこれらの技職人と対話し、その作品をシカゴで直接買えるのが銀座ホリデーの魅力の一つとなっている。
訪れる人々
セルゲイ・ケルムコフさんとガブリエラ夫妻は、昨年の簡略版で行われた銀座ホリデー・ライトにも来ていた銀座ホリデーファン。今年は賑わっていて最高だと話す。
ケルムコフ夫妻は、同僚の日系人女性から聞いて銀座ホリデーを知ったという。その女性は残念ながら仕事のシフトがあり、先に帰宅したという。
セルゲイさんは北斎の絵をプリントしたTシャツを着ていた。日本で買ったものだという。
セルゲイさんは6年前に日本へ行き、東京、京都、奈良、日光を回り、富士山にも登った。「困った事?全然無かった。今までの最高の旅行の一つだったし、とても楽しかった。そうそう、8月から9月にかけて行ったから、ちょうど今頃の季節だったね」とセルゲイさんは懐かしそうに語った。
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ケルムコフさんと一緒に来ていたのは、エイシャ・ポーグさん。
ポーグさんはボタニック・ガーデンの日本庭園で、2014年から特に樹木の世話をしているのだという。
ポーグさんはホーティカルチャーで修士学位を収め、庭園の仕事が大好きなのだという。日本庭園内には1本の桜の木があり、その周辺には数本の桜があるという。
2012年にワシントンの桜植樹100周年祝賀の一環として、ボタニック・ガーデンに20本の桜が寄贈されたとシカゴ新報は報じている。これは駐米日本大使館と日本企業が100年の日米友好を祝って率先したもので、当時の岡村善文総領事夫妻により同年3月25日に、日本庭園近くの大滝のある土手に最初の1本が植えられた。後日、同じ場所に4本の桜が植樹される予定で、残りの15本はスパイダー・アイランドに植樹されることになっていた。
ポーグさんはジャクソンパーク内のフェニックス・ガーデンやロックフォードのアンダーソン日本庭園などもよく見て回っている。
今年の桜の開花は例年よりも早く、フェニックス・ガーデンの花見イベント開催時には既に散っていた。ポーグさんは「イリノイ大学シャンペーン校にある日本館の桜も早かった。今年はとても良い花見ではなかったけども、桜の開花時期は誰にも分からない」とほほ笑んだ。
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デイビッド・イシカワさんとヒナ・レンマン夫妻は、初めて銀座ホリデーにやって来た。イシカワさんの父は100%の日系アメリカ人。父側の祖父母は日本から移民として米国に渡り、父の両親、つまりイシカワさんの祖父母はカリフォルニアで生まれた。第二次世界大戦後にイシカワさんの祖父母はシカゴに来たが、やがてカリフォルニアに戻って行った。
イシカワさんの父はシカゴ郊外で家庭を持ち、イシカワさんはアーリントンハイツで生まれ育った。イシカワさんの父方から見ると、イシカワさんは日系四世となるが、イシカワさんは全く日系社会の外で育ち、銀座ホリデーの事は知らなかったのだという。
家族でどこに行こうかとオンライン上で検索し、たまたま見つけたのが銀座ホリデーだった。「日本の伝統文化やいろいろなことを経験できるし学べるから、特に娘のためにいいんじゃないかと思って来てみました」とイシカワさんは語る。
これまで日本との繋がりは皆無だった。「日本との繋がりはありませんし、行ったこともありませんが、今日本は私達の『行って見たい所』のリストに載せてますよ。早く行けるといいですよね」と語った。
日本の技職人インタビュー
陶芸家・木下英二さん
Q:4年ぶりですが、どうしていらっしゃいました?
木下:コロナ禍でデパートでの個展も全部キャンセルになりましたが、やっと(銀座ホリデーに)帰って来れて嬉しいです。
この4年間、銀座ホリデーの常連のお客さんも待っていてくれて、一抱えもある大きな作品を2つ持って来たんですが、初日に2つとも売れてしまいました。
Q:今年の新作ですか?
木下:これが私の展覧会に出す新作です。(ずっと上の写真参照)
初日で全部売れてしまいました。私の作品を集めて下さっているお客さんも多いので。
Q:良かったですね。一般のお客さんもいっぱいですね。
木下:賑わいが戻ったみたいですね。地元のアメリカの人の方々がいっぱい。
私の窯がある大分も、湯布院や別府など外国人の方で一杯ですよ。やっぱり観光地は外国の方が来ないと大変ですよ。
Q:ちょうど台風6号が九州の西側を通りましたが、大丈夫でしたか?
木下:台風は通り過ぎても豪雨が続き、九州発の飛行機は全部キャンセルになりました。バスや鉄道では私の作品は手荷物として運べませんので、東京へ車で行って、東京発の飛行機に乗るしかありません。ですから大分から「書」の史穂呼先生を乗せて、17時間車を運転して東京にたどり着きました。東京発の便に乗れて良かったです。
しかし、コロナ禍が明けて、飛行機料金が2倍になりました。手荷物料金も2倍です。でも、銀座に来て皆さんに会えて良かったです。
Q:ありがとうございました。
書家の史穂呼さん
史穂呼さんは書の展示の他に、「夢」などの字を書いたうちわの裏にアメリカ人の名前を漢字で書いてあげるサービスを提供していた。
史穂呼さんは大学を卒業後、大阪府の歴史の教員となった。現在は大分で書の教室を開いている。
Q:書道は小さい頃から?
史穂呼:6歳ぐらいからですね。少しずつやって、本気でやり出したのは大学に入ってからです。何をやりたいかっていう事を考える歳になってから頑張るようになりました。京都の大学に行っている時に森田子龍という前衛書道の書家に出会って、その先生の本も読んでから本気になって書道に打ち込むようになりました。その時を二番目の出発点とすると、それから50年ですね。
Q:歴史の先生もされていたので、漢字の歴史も研究も?
史穂呼:ただ字を書くだけでなく、字の背景を学ばなければ本当の楽しさもないから、自分が一生懸命に書に打ち込むことができたのも、勉強したからだと思いますね。
Q:今は教室をやられているのですか?
史穂呼:はい。今日本は少子化で小学生が減っているんですよね。老人ばかりになっているんで、高齢者の方にも筆を持っていただけたらなぁとは思いますね。何かふっと日本の静けさや漢字文化の良さを感じてもらえるから、これからはいろいろな世代の方と一緒に筆を持ちたいですね。
今日もああやって、お客さんがうちわを持って歩いて下さっているから嬉しいです。
Q:うちわに漢字で名前を書いてあげるのはいいアイディアですね。
史穂呼:(漢字で名前を)作る方も面白いです。いろんな漢字に当てはめて、アルファベットは音しかないから、こちらも頭を絞って漢字に入れて、オンリーワンの名前を作って差し上げたら、お互いに嬉しいです。
Q:字を書くのは難しいですね。封筒の宛名などにきれいに書こうとすると、よけいに変な字になってしまいます。どうしたら思い通りに書けますか?
史穂呼:やはりプラクティス、練習あるのみです。百万回練習したら、自分の思う通りの線がその場でパッとかけるようになるから、やはり3年、5年、10年と長い間一つの事を一生懸命にやる、まぁ他の事と一緒ですよね。やはり突き詰めて行かないと、練習しないでいいものを書こうと願いだけがあっても叶えられないから。いつも地に足を付けて、筆を持って練習、それがいいと思います。
Q:シカゴはどうですか?
史穂呼:来れて良かったなぁと思ってます。皆さん親切ですね。
このお祭りも独特で素晴らしい。みんなが協力して作り上げている立派なお祭りなので、いいなって、素晴らしいなって思います。今はアニメの人も来て、本当にね。可愛い、可愛い。
Q:どうもありがとうございました。
市松人形の山崎明咲さん
山崎明咲さんは元々、怪獣やポケモンなどのフィギュアを作るプロで、伝統的な市松人形師として知られる藤村光環師と出会ったことから市松人形に魅了され、同師の元で修業した後に市松人形師として独立した。
山崎さんは2014年に藤村師に代わって初めて銀座ホリデーにデビューし、今回は4回目の訪問となった。
Q:コロナ禍の間は、どの様に過ごされていました?
山崎:コロナの時も恒例の百貨店での個展も開催出来て、意外とコロナの影響は少なかったと思います。
また、ゆっくりした時間があると想像力や創作意欲が湧いてきて、コロナが明けたらこういう人形を作ろうという、逆にパワーに繋がった事もありました。
Q:9月には個展を開くそうですね?
山崎:9月の第3週に京王百貨店で個展が始まります。そのダイレクトメールの写真用に作ったお人形がこれです。
Q:綺麗な人形で、明咲さんに似ていますね。
山崎:この人形は天狗なんですよ。天狗の女王様みたいなイメージです。
天狗は飛べるので、着物の袖の部分が羽になっています。
Q:どの様にイメージを作って行かれたのですか?
山崎:私の天狗のイメージは、森の守り神です。森の生態系の中で土や木、昆虫など総てのバランスを監視するという役割です。
天狗は過去に何体か作っていますが、もう一度天狗を作りたいと思っていました。しかし、最後に作った天狗が私にとってはパーフェクトな天狗だったので、次に作る自信がずっとなかったんです。自分の中で、前の作品を越えないといけないと思って、ずっと悶々と考えていました。今までの天狗は男の子でしたので、まずは女の子にしよう、そうであれば女王様みたいにしないといけないと考えて、いろいろと想像を膨らませました。
人形は衣装が重要なので、まず羽が付いて飛べるような感じの袖をつくりました。それから全体の衣装を作って人形に着せて、最後に髪型をイメージして決めました。
Q:素晴らしいですね。でも、それだけエネルギーを注いで作った天狗の女王様の人形が売れてしまうのは寂しくないですか?
山崎:そうですね…、寂しくはない、やはり嬉しいです。
Q:お客様はどの様な方々ですか?
山崎:殆どが人形のコレクターの方ですね。人形が好きで、ご自身で集められている方。
結婚祝いや出産祝いにするのは、未だにありますけど、どんどん少なくなっていますね。
Q:ありがとうございました。新宿京王百貨店の個展は9月15日から21日までですね。ご成功をお祈りしています。
染絵てぬぐいの川上正洋さん
川上正洋さんは、てぬぐいの一点一点を手染めで仕上げるという染絵手ぬぐい「ふじ屋」の三代目。近年は二代目の川上千尋さんに代わって、銀座ホリデーをカラフルなてぬぐいで飾ってくれる。
Q:染絵てぬぐいのふじ屋さんは、浅草の仲見世通りにありますね。
川上:コロナ禍中はお客さんが全くゼロになって仲見世が見通せる、あんなのは初めてでしたね。
Q:その間はどうされていたのですか?
川上:ウェブサイトhttps://tenugui-fujiya.jp/ を立ち上げて、通販サイトをオープンしました。
Q:今は解禁になって、浅草の賑わいは凄いですね。
川上:はい、そうです。
海外の方も増えて来ていますし、踊りやお祭りもスタートして来たので、そういうご注文に追われて、店に出す手ぬぐいが追いつかない感じです。
Q:良かったですね。でも忙しくて大変みたいですね。
川上:僕は今デザインをしてるので、分業制でやっています。
Q:今年の新柄は?
川上:初めて持って来たものが売れてしまったんですが、富士山や鏡獅子など、より日本的なものをお持ちしようと思って来ました。喜んで頂いていると思います。
Q:4年ぶりのシカゴはいかがですか?
川上:久しぶりで懐かしくて、顔ぶれも変わらず、皆さんお元気でそうで、昨日チキンも頂いたんですけど、相変わらず美味しくて、何か帰って来た感じがします。
Q:ありがとうございました。