第7回継承日本語弁論大会
出場者20人が夢や興味、経験を発表
第7回継承日本語弁論大会が1月29日、在シカゴ総領事館広報文化センターで3年ぶりの対面で開催され、イリノイ、ミネソタ、ウィスコンシンの各州から出場した20人の生徒達が堂々と日本語でスピーチした。スピーチは「か空の動物たちと私の夢」、「永久機関で地球を救う」、「動物のボランティア活動に挑戦したい」など自分の興味ある世界や夢を語る一方、「本当の友達を見つける旅」、「日本語でつながるために」、「フォーリナー」など、現地校で学びながら日本の文化や言語を継承する生徒たちの思いが込められていた。
継承日本語弁論大会は日本語を継承する子ども達や学生達の発表の場として2017年に創設されたもので、在シカゴ総領事館、シカゴ日本商工会議所、シカゴ日米協会、シカゴ姉妹都市インターナショナル大阪委員会が共催している。
継承弁論大会は小・中学生を対象にした第一カテゴリーと、高校・大学生を対象にした第二カテゴリーに分けて行われる。各々のスピーチの後には審査委員長から日本語で質問があり、その答えも評価の対象となる。
小学2年生から高校2年生まで20人の出場者を歓迎した田島浩志在シカゴ総領事は、同弁論大会が益々盛んになり、中西部の日本語を継承する生徒達にとってその技能を磨く機会となる事を望んでいると話した。
そして、「日本語継承者は2つの言語を学ぶだけでなく、それらの言語の背景にある文化と共に成長するという比類ない機会に恵まれている。この弁論大会の結果に拘わらず、今日の出場者は今後も日本語学習を続け、日米間の末永い架け橋となって欲しい」と出場者を励ました。
また田島総領事は、出場する生徒のために常に時間やエネルギーを注いでくれた先生達や、子供達を勇気付け支えて来た保護者や家族の労をねぎらい、感謝の気持ちを表した。同時に、共同開催者やスポンサー、審査員を務めた教育関係者の協力に礼を述べた。
登壇した出場者は、緊張しながらも堂々とスピーチし、札谷新吾審査員長の質問にも日本語で答えた。
弁論大会終了後には、軽食や公邸シェフ伊藤聡氏によるスィーツやが提供され、出場者は家族や友人と歓談しながら緊張をほぐした。
その間に審査員による受賞者の決定が行われた。受賞結果は柴田勉領事/広報文化センター長から発表された。
グランド賞スピーチ
グランド賞を受賞したヨウダイ・カワサキさん(シカゴ双葉会補習校)のスピーチは「空想の世界」。
カワサキさんは「人はなぜ小説を面白いと思うのでしょうか?」と聴衆に問いかけた。
人が不可解な最期を遂げたり宇宙人が攻めて来る話しを読んでも実学的に得られるものはないが、そんな作り話の小説を人々は買って読んでいる。
小説、特にミステリーが好きなカワサキさんは、なぜ小説に「こんなにも心惹かれるんだろう」と考えてみた。そして「現実ではない空想の世界へと連れて行ってくれるからだ」という答えに行き着いた。
小説はカワサキさんが空想の世界に入るための「鍵」であり、空想の世界の利点は現実の世界から逃れ、空想の世界を満喫できる事だという。
しかし、確実に現実から逃避し空想の世界を楽しむためには、現実と空想の世界の間に適当な高さの壁を置くこと。つまり、空想の世界は非現実だが、それでいてあり得るかも知れない非現実の世界という、現実と空想の間に程良い距離感が必要だと話す。
カワサキさんは「このほどよい距離が僕にとって丁度良く、魅力的に思えたのでしょう」と話す。
小説を読むのは現実からの逃避を正当化するのではなく、息抜きであり、自分が経験したことのない事を疑似体験させてくれるものであり、ストレスから開放される必要不可欠な鍵だという。
「これからも(読み過ぎにならないように)読書の加減を見極めつつ、空想の世界へと繋がる様々なドアを開いていきたい」とスピーチを結んだ。
カワサキさんにはANAより5万マイルのマイレッジが贈られた。
第1カテゴリー、第1位のスピーチ「大人になったら」
第1カテゴリーで第1位に選ばれたレナ・オオシロさん(シカゴ双葉会補習校)のスピーチは「大人になったら」。
4つ年上の兄がアメリカの大学に行くことに決めたというオオシロさんは「私が日本の大学に進学すれば、兄とは長い間会えなくなるかも知れない」と寂しく思う。4つ下の妹はどちらにするか、まだ決めていない。両親は日本で老後を過ごしたいと、笑い混じりに話している。
オオシロさんはこれから大人になるにつれ、家族がばらばらになってしまうのかと考えるようになった。「ずっと日本に住んでいたら、家族でずっと一緒に住めたのにと思ってしまう」と話す。
一方、オオシロさんはアメリカも大好き。「イリノイ州に来たから出会えた友達が、今日この場にたくさんいる」と話す。
オオシロさんはアメリカ生まれだが、4歳の時に日本へ引っ越し、6歳でアメリカに戻った。その時はもう日本語しか話せなくなっていた。「先生、友達、そして家族がたくさんサポートしてくれて、今では英語を普通に話せるようになった」という。
オオシロさんはこの春から補習校の高等部に進学し、日本語の勉強を続けて行く。日本もアメリカも大好きなオオシロさんは、いずれどちらかを選ぶことになるが「今はできません。これからもっといろいろなことを経験して、もう少し大きくなった未来の私に(選択を)任せたいと思います」とスピーチを結んだ。
第2カテゴリー、第1位のスピーチ「フォーリナー」
第2カテゴリーで1位となったスミ・パンディリさん(ニュー・トリア高校)のスピーチは「フォーリナー」。
パンディリさんが通うニュー・トリア高校では、日本語クラスを取っている生徒が少なく、日本人を両親に持ち流暢な日本語を話す生徒から、アニメに惹かれて日本語学習を始めた生徒まで、いろいろなレベルの生徒が一緒にクラスを取っている。
そのクラスを纏めるだけでも大変な先生は、母国語でない英語で日本語を教えるという大変な仕事を成し遂げている。だが先生は、自分の至らない所を責めて生徒の前で謝った。
パンディリさんは先生が謝る姿を見て驚き、先生の苦労を思い、涙が止まらなくなった。一方、他の生徒は先生の苦労に感謝するのではなく、謝る先生を否定せずに受け入れた。
「こんなに受け止め方にギャップがあるなんて・・・」。パンディリさんは涙を拭いて、なぜ自分がそんなに感情的になったのか考えてみた。「それは母の経験と先生が重なったからだと思います」と話す。
パンディリさんの母はアメリカの大学で学ぶために日本から渡米した。母の辞書を見ると殆どの言葉に調べた跡があり、アメリカの生徒に追いつくために懸命に努力したのが良く分かる。だが、30年以上アメリカにいる母は、今でも外人のように受け取られることがあるという。
パンディリさんは社会の授業で習った「フォーエヴァー・フォーリナー」という言葉を思い出す。これはアジア系アメリカ人がどんなに頑張っても100%のアメリカ人とは認められないと言うことだ。「それなのにアジア系アメリカ人は学校や職場で、よりアメリカ人のようになるために努力するのです。これがまさに私の母なのだと感じました」とパンディリさんは話す。
パンディリさん自身は日本人の母とインド人の父の間に生まれた、インド系日系アメリカ人だ。「アメリカではお弁当に持って行くものが違うことから、典型的なアメリカ人とは見なされない」とパンディリさんはいう。
また、インドではアメリカのアクセントで話すためにインド人とは思われず、完璧な日本語を話せないために日本人とは思われない。「インド、アメリカ、日本にとって私はフォーリナーなのです」と語る。
アジア人に対して使われるフォーエヴァー・フォーリナーは否定的に使われる言葉だが、パンディリさんは「私はどうしてもそう思うことができません」と話す。「アメリカ、インド、日本のバックグラウンドから来る3つの視点が私のアイデンティティであり、私の人生を豊かにし、いつも正しく道案内をしてくれます」とパンディリさんは肯定的に捉える。
3つの視点で物事を深く理解することができるからこそ、日本語の先生が自分の足りないところを認めて謝るという素晴らしさを、パンディリさんだけが理解することができた。「それは私自身がフォーエヴァー・フォリナーだからです」とスピーチを結んだ。
パンディリさんとオオシロさんには米州住友商事より100ドルのギフトカードと、北米パナソニックコネクトよりワイヤレス・ステレオ・イヤフォーンが贈呈された。
先輩より贈る言葉:日本語学習を高める事で開けるチャンス
By Dr. マリオン・フリバス・フラマン
マリオン・フリバス・フラマン氏(ネイパービル学校区203言語習得サービス部門ディレクター)は、同弁論大会終了後に自らの経験を出場者に話し、日本語学習を続けることで、今は想像もできないような、将来に向けて開けるチャンスについて語った。
マリオンさんは日本人の母を持ち、幼い頃は日本に住んでいた。6歳の時にアメリカに戻ったマリオンさんは「皆さんと同じように、私も家では母と日本語で話すヘリテッジ・スピーカーでしたよ」と出場者に語りかけた。
当時のシカゴに補習校はなく、日本語を教える公式な学校はなかった。マリオンさんが正式に日本語を学習したのは大学に入ってからだった。学士号、修士号、博士号取得と勉学に励んだマリオンさんは、漢字も書ける日本語のより高いレベルまで勉強を続けた。
母と日本語で話すのには困らない。「だけど学校や仕事など、家の外で話す日本語は家で話す日本語とは違うでしょう」とマリオンさんは出場者に話しかける。
マリオンさんの夢の一つはJET先生のように、日本の高校で英語を教えることだった。しかし、高いレベルの日本語を修得していたことで、日本の国立大学で英語を教える事ができた。
その後シカゴに戻ったマリオンさんは、教育者としての仕事を探していると、すぐに公立校の日本語教師の仕事に就く機会を得た。これも高いレベルの日本語を修得したからこそ掴めたチャンスだった。その後もリーダーシップを執る仕事就く機会が次々に訪れた。
高いレベルの日本語を修得した恩恵は、仕事だけに留まらなかった。ある機会に在シカゴ総領事に会い、日系アメリカ人のリーダー達が日本を訪問する派遣団長に選ばれ訪日した。そして日本の首相に挨拶する機会を得、高円宮妃とお茶を飲む機会も得た。
マリオンさんは「この様な経験ができるとは思ってもみなかったことです。しかし、チャンスが次々にドアを開けてくれました。これも高いレベルのバイリンガルの能力を身につけたお蔭です。そして今日皆さんとここで話せたのもそのお蔭です」と語った。
また、マリオンさんは2つの言語を持つが故に思いもよらぬチャンスが訪れることについて「皆さんは世界を見るにつけ、問題解決に立ち向かうにつけ、複数の視点を持っています。これも皆さんが2つの言語を持つが故です。皆さん、日本語と英語で自分のジャーニーを続けて下さい。私はいつもバイリンガルのための勉強を続けていますよ」と出場者を励ました。
2位以下の受賞者
2位:
レンタロウ・リダー
タイヘイ・ロクモト
3位:
ミア・シマズ
ケイト・ジェスキー
4th Pirze:
ナナミ・タムラ
エイミースノー
JASC 賞:
リナ・ハスヌマ、ミア・ベターズ
JIC 賞:
ユミ・チネン、リュウジ・マツダ、レイナ・タナカ、メイサ・ハセガワ、レナ・オオタ、カイ・センザキ、レミー・ウォーカー、ヴィヴィアン・アヤカ・ジャン