先人達に敬意を払い、柳総領事モントローズ墓地を訪問
柳淳在シカゴ総領事と典花夫人が9月29日、2,000人を超える日本人・日系人が眠るモントローズ墓地を表敬訪問し、納骨堂前で献花した。
シカゴ市北部にあるモントローズ墓地は、人種差別が厳しく「日本人は死んでも行き場がない」と言われていた1900年代前期に、唯一日本人の埋葬を受け入れてくれた墓地として語り継がれている。
柳総領事夫妻の表敬訪問には、シカゴ共済会エグゼクティブ・ディレクターのカレン・カネモト氏をはじめ、同共済会理事会メンバーのゲイリー・シモムラ氏(プレジデント)、ブライアン・フナイ氏(セクレタリー)、メアリー・サムソン氏(トレジャラー)、ニール・カネモト氏(ディレクター)、グウェン・カトー氏(ディレクター)、パム・モロオカ氏(ディレクター)、退役軍人の会シカゴ二世ポスト1183部隊のコマンダー ロバート・ハシモト氏、総領事館からは菅野早苗領事が出席した。
モントローズ墓地にはチェリー・トライアングル、チェリー・トライアングル・アネックス、オークヒル・アネックスなどのジャパニーズ・セクションがあり、納骨堂や祖国アメリカのために戦った二世兵士の記念碑がある。
納骨堂には埋葬準備ができるまで遺骨を一時保管したり、身寄りのない人の遺骨も保管されている。二世兵士の記念碑は、最も多くの勲章を授与されている第100歩兵大隊や第442連隊戦闘団に献身した二世兵士に敬意を払って建設された。
シカゴ日系百年史を読んだことがある人は、その中に出て来る多くの日系人の名前をモントローズ墓地に見ることができるだろう。
モントローズの日系人墓地を長年に亘って世話して来たカレン・カネモト氏に説明を受けた柳総領事は「モントローズ日系人・日本人共同墓地を訪問し献花を致しました。米国の中で、いろいろな困難に直面しながらも立派に活躍してこられた多くの日系人の方々の御苦労に想いを馳せ、深甚なる敬意を捧げる静かな時間でした。その後のシカゴ日系人共済会関係者との懇親の場では、お一人お一人のストーリーをお聞かせ頂き、多くの気付きと学びを得る大変貴重な機会を頂きました」と語った。
モントローズ墓地と日系人の歴史
少数の日本人がシカゴに住み始めたのは1893のコロンビアン万博後だった。その後日本人数は徐々に増え、1933年のシカゴ万博開催の頃には約300人に増えていた。これらの日本人は殆どがレストランで働く人、アメリカ人家庭で家事奉公する人、ギフトショップや美術品修理店のオーナー達だった。
コックや皿洗いなどの下働きに従事する人々は殆どが独身者で、この様な人達が増えるにつけ、身寄りもお金もなく死亡する人が出てきた。この様な人達を見捨てることはできず、1934年12月にシカゴの日本人コミュニティのリーダー達が集まり、死者を埋葬するための公式な基金設立に着手した。
この時までの約15年間に50人の日本人が死亡し、そのうちの約40人は身寄りもなく埋葬費用もない人達で、埋葬の援助が必要だった。埋められた人々の集団墓地はシカゴ市内の至る所に散らばっており、人名記録もないケースもあった。
シカゴ日本人コミュニティのリーダー達はこの現実を真摯に受け止め、コミュニティ・メンバー全員が会費を払う組織としてシカゴ共済会を発足することを決議した。
こうしてシカゴ共済会は1935年1月に発足し、理事会メンバーを公式に選出し、モントローズ墓地に4区画の墓地を購入した。1936年には寄付により納骨堂建設が始まり、1937に完成、1938年のメモリアルデーに披露された。この披露式典がメモリアルデー・サービスの始まりとなり、今日まで共済会によって継続されている。
第二次世界大戦後期から戦後にかけて、全米10カ所に強制収容されていた日系人約2万人がシカゴに移住して来た。共済会ではシカゴに移住して来る日系人の短期宿泊所としてホステルを運営し、移住者の定住を助けた。日系人の人口が増えるに従い共済会の会員数も増加する一方、より多くの墓地が必要となった。
1949年、共済会理事会では3,500ドルを目標にファンドレイジング実施した。実施に当たっては誤用・悪用を防ぐために共済会から送付する寄付への嘆願書は1回限りとし、個人による寄付嘆願は皆無とした。1度だけの嘆願書にも拘わらず、日系コミュニティからの寄付は5,416ドルにのぼった。このコミュニティの結束力は、モントローズ墓地の職員達を感動させたという。この寄付により、共済会はモントローズ墓地に350区画の墓地を購入することができた。
シカゴ共済会についての情報は、https://jmaschicago.org。
モントローズ墓地
モントローズ墓地は1902年に、アンドリュー・カーチャー氏によって創設された。今日でもモントローズ墓地は創設者の子孫によって運営されている。
モントローズ墓地のウェブサイトによると、カーチャー氏はドイツ系であったかも知れないが、同氏は広範囲に及ぶ多様な人々を「誰でも歓迎する」というポリシーを一貫してやり抜く人物だった。
今日もその信念は実践されており、墓地全体でその信念を見ることができる。モントローズ墓地は宗派や民族に拘わらない墓地であり、日本人、ドイツ人、アッシリア人、セルビア人、韓国人、ロシア人、ヒスパニック系、イスラム教徒などの多様な文化が反映されている。
モントローズ墓地のウエブサイトは、https://www.montrosecemetery.com。