日本語を忘れたくない、補習校の価値に気づき成長した日々
シカゴ双葉会日本語学校補習校卒業式
大雪の予報が好転し春らしい日差しに包まれた3月4日、シカゴ双葉会日本語学校補習校の卒業式が3年ぶりに対面で行われ、小学部50人、中学部34人、高等部6人が卒業した。
卒業式会場となった同校体育館には卒業生の家族がブリーチャーいっぱいに座り、入場して来る卒業生を拍手で迎えた。
厳粛な雰囲気の中で岡本哲哉校長から一人一人に卒業証書が授与され、生徒の表情は達成感に輝いていた。
卒業証書授与後、一日も休まずに通い続けた小学部の大橋璃久さん、徳田百花さん、中学部の岡﨑那奈さんに皆勤賞が贈られた。
また、幼稚部から高等部まで13年間補習校に通い続けたベネガス・レナルドさんと百﨑野乃子さんに双葉賞が贈られた。
岡本哲哉校長は式辞で、コロナ禍の中でリモート授業や様々な感染対策などを乗り切って来た卒業生の努力をねぎらった。
これから次のステップを踏み出す卒業生に、岡本校長は2つの話を贈った。
一つは誰もが知っているドラえもんのポケット。自分の進む道を今目指さないと未来が大きく変わってしまう事を知ったのび太君に、ドラえもんが出してくれたのはコースチェッカーという道具。
それを使って楽な道ばかりを選ぼうとするのび太君に、ドラえもんは「自分の進む道を選ぶという事は、必ずしも歩きやすい安全な道を選ぶってことじゃないんだぞ」と叱る一方、「君はこれから何度もつまづく。でも君はつまづくたびに立ち直る強さを持っているんだよ」と勇気づける。
もう一つの話は、人のためになる道を歩きたいと小学校の時から言い続けていた岡本校長の娘さん。看護師となり、国内外の災害で被災した人々を助けたいという志を持った娘さんは、イギリスに留学して国際看護を学んだ。
昨年ウクライナにロシアが侵攻し戦争が始まると隣国のモルドバに行き、仮設診療所で避難民への医療支援を約一か月続けた。
今年2月にトルコで大地震が発生すると被災地にいち早く駆け付け、2月末まで被災者への医療支援を実施した。
こういった過酷な環境の被災地で活動を続けるのは精神的にも身体的にも辛い事が多いが、娘さんは被災者の心に寄り添う、生きる希望となるような看護師として遣り甲斐のある活動をして行きたいと話しているという。
岡本校長は「皆さんが補習校で学んだことを糧として、国際人として日本とアメリカの懸け橋となる活躍をしてくれることを願っています。ドラえもんが言うように、何度も失敗し何度も立ち直っては未来に向かって行く、そんな皆さんであって欲しい」と卒業生を励ました。
また岡本校長は現地校と補習校に通う困難を乗り越えた卒業生が、日米文化の違いを知り、互いの文化の良さに気付き、互いを認め尊敬していくことの大切さを学んで来たのは「これまで支えて頂いた保護者の皆様のお陰」とお礼の言葉を述べた。
来賓の田島浩志在シカゴ総領事は、卒業と言う晴れの日を迎えるまでに補習校と現地校の2つの学校に通い、言葉も内容も異なる授業と多くの課題に取り組み続けるのは人一倍の根気強い頑張りが必要だったと思うと話し、卒業生の努力を称賛した。
また、田島総領事は「共に学んだ仲間や先生と支え合った日々を力にして、中学、高校、大学と次なるステージでしなやかに、そして着実に前進して頂きたいと心から願っています」と卒業生に語り掛け、くじけそうになった時に思い出して欲しいとリンカーン大統領の「私は歩くのはゆっくりでも、決して後戻りはしない」という言葉を贈った。
最後に田島総領事は、ブリーチャーに座って卒業生を見守る保護者に向かい「コロナ禍の中、生活のサポートをはじめ皆様が日々お子様方に愛情を注がれて来て、本日ご卒業という大きな節目を迎えられた事に心から敬意を表します」と述べた。また、学校関係者やシカゴ日本商工会議所の双葉会運営委員会をはじめ「すべての関係者の皆様のご尽力に心から感謝申し上げます」と述べ、祝辞を結んだ。
来賓として田島総領事他、星野元宏領事、山本真理双葉会会長、田村穣全日校校長、河野英之補習校PTA会長、同PTA副会長の皆さん、シカゴ新報の浦山美子が出席した。
送辞で中学部2年の佐藤希香さんは「私も先輩方のような他の学年のことをしっかりとサポートできるような人になりたいと強く思いました」と、先輩たちと会える唯一の時間だった生徒会での思い出を語った。
また、佐藤さんは「これからも補習校の経験を生かし、それぞれの夢に向かって大きく羽ばたかれますようお祈り申し上げます」と次のステップへ踏み出す卒業生を幸運を祈り、「私たち在校生は卒業生の皆さんが作り上げた補習校の良き伝統と校風を受け継いでいくことを誓います」と送辞を結んだ。
答辞で補習校に13年間通い続けて来たベネガス・レナルドさんは中学生の頃、現地校が忙しくなって補習校を止めて行く仲間達や帰国する生徒を見るにつけ寂しさを覚えた。また、補習校に通う事が本当に自分のためになっているのかという疑問も生じた。
レナルドさんは毎週土曜日の現地校の活動に参加するために、補習校を休むようになった。しかし、しばらくすると母との会話で慣れ親しんだ日本語の表現力が取り上げられたような気持になった。
補習校に戻ったレナルドさんは補習校の環境の価値に気付き、「日本語を忘れたくないと強く心から思うようになった」と話す。
高校生になり全寮制の高校に入ったレナルドさんは初めて家を離れ、母との日本語の会話やマンガを見る時間を失い「唯一の日本語が頭から取り上げられた気持ち」だった。
日本語を忘れたくないと思ったレナルドさんは、両親のサポートを得て補習校に通う事ができた。先生たちは数学の面白さや生活の事、世間の話も聞かせてくれ、人として成長することができたとレナルドさんは話す。
「人とは経験の結晶。13年間を補習校で過ごし、今5人の仲間たちと共に補習校を去ることを誇りに思います」と述べ、「これから私たち卒業生はそれぞれの道を歩み出します。この経験を生かして私達はこれからも精一杯学習に努力をし、学ぶ楽しみを忘れずに進んで行きます」と力強く語った。