公式の花見の場、フェニックス・ガーデンで初の花見イベント
129年の歴史を持つフェニックス・ガーデンがシカゴ市の公式な花見の場所となり、5月1日に初めての花見祭りが行われた。
フェニックス・ガーデンはシカゴ市南部のジャクソンパーク内にあり、科学産業博物館のすぐ南側に位置する。桜は10年前から植樹が始まり、現在は170本を超える桜が同博物館の南側からフェニックス・ガーデンにかけて大きく枝を広げている。満開時にはこの一帯に数万人が訪れた。
フェニックス・ガーデン内の日本庭園では藤間流日本舞踊の秀舞会による踊りや司太鼓による和太鼓演奏が行われ、花見祭りには6,000人以上が訪れた。
フェニックス・ガーデンの対岸にはオバマ大統領センターの建設が進んでおり、これからこの一帯はより多くの訪問客で賑わうと予想されている。
花見祭りはジャパニーズ・アーツ基金の主催、日本文化会館、シカゴ市パーク・ディストリクト、シカゴ日本商工会議所(JCCC)、在シカゴ日本国総領事館、フェニックス・ガーデン基金、秀舞会、司太鼓の協力で開催された。
今年、桜の開花は4月末に始まり、5月初めの週末に満開となった。ジャクソン・パーク諮問委員会プレジデントのロイス・マクカリー氏は170本を超える桜について「シカゴ市と日本との友好関係や、世界の国々と人々の平和に対するシカゴ市の深い関与の広がりを示すもの」だと熱意を込めて語る。
桜の植樹は2012年から2013年にかけて、シカゴ・パーク・ディストリクトがフェニックス・ガーデン基金とJCCCの協力のもとに実施したもので、1893年のコロンビアン万博時の日本政府とシカゴ市の約束にさかのぼる。日本政府はその時に建設した鳳凰殿を日本文化を学び経験する場所としてシカゴ市に寄贈、シカゴ市は鳳凰殿の維持と保存を約束した。
大半の桜はコロンビアン万博におけるシカゴと日本との友好関係の始まりから120周年を記念して2013年に植樹された。また、50本の桜はJCCCが創立50周年を記念して植樹した。JCCCに近い情報筋によると、日本ビジネス・コミュニティのシカゴへの深い関与として、さらに60本の桜を近未来に植樹するという。
過去10年で桜の木が大きく育つにつれ、フェニックス・ガーデンも日米関係の歴史を反映する重要な場所としてその存在感を現した。フェニックス・ガーデンとは、終戦翌年の1946年に放火により焼失した鳳凰殿や日本庭園を含む一帯を指し、鳳凰殿跡地にはオノ・ヨーコ氏のアート作品SKYLANDINGがある。
花見祭りで挨拶に立った田島浩志在シカゴ総領事は「1893年に日本館として建てられた鳳凰殿は、世界遺産となっている宇治の平等院鳳凰堂を模したもので、フェニックス・ガーデンにその名が反映されている。およそ130年後の今日、このガーデンが日米の友情のシンボルとなっていることは喜ばしい」と語った。
2016年に設置されたオノ・ヨーコ氏のSKYLANDINGは北米唯一の永久的なアート作品で、鳳凰殿の焼け跡から現れた12枚の花びらを持つ蓮の花をイメージしている。SKYLANDINGは来訪者を蓮の花びらの中にいざない、世界平和は各々の内側から始まるということに気付かせるというオノ氏のヴィジョンを表している。
フェニックス・ガーデンを訪れる人々
サム・カスコウィッチ氏は5年間ハイド・パークに住み、ジャクソン・パークや日本庭園をしばしば訪れていた。「ジャクソン・パークをいつもジョギングして、日本庭園を歩くんですよ。ここは穏やかでとても気に入っています」と話す。
カスコウィッチ氏はシカゴ大学医学部を卒業するところで、すぐにコロラドに移り緊急治療室の医師となる。両親がジャーナリストだったカスコウィッチ氏は歴史への関心も高く、半年ほど前に1893年のコロンビアン万博についての本を読んだ。巨大な建築物が立ち並んでいた万博の様子に驚いたという。
「この4年間、ずっと走りながら周りを見ていましたが、この一帯の歴史がどれほど古いのか、何がここにあったのか、全く知りませんでした。(130年前の跡地を)今日のように良くメンテしているなんて、とても素晴らしいですね」とカスコウィッチ氏は語った。
シンデレラのようなドレスを着て日本庭園に来ていたのはダヤ・ジャパタさんとその家族。付き添っていたマリセラ・ジャパタさんによると、メキシコではキンセアニョスと言って、15歳になるとステキなドレスを着て、子どもから若い女性になる事を祝うのだという。
ダヤさんは大事なキンセアニョスを祝う場所に日本庭園を選んだことについて「ここはたくさんの花があってとてもきれい。美しい庭園、とても好きです」と語った。
ランディ・ションクワイラー氏はフェニックス・ガーデンまで歩いて約20分の所に住んでおり、毎週1、2回は日本庭園やこの一帯にやって来る。バード・ウォッチングや蝶を見るのが目的だという。
ションクワイラー氏によると、Wooded Islandには300種以上の鳥がやって来る。通過して行く鳥もいれば、巣を作る鳥もあり、5月は一番多くの渡り鳥がやって来る月なのだという。
「この日本庭園には小さな魚の群れも泳いでいて、水の流れも穏やかだ。鳥たちが滝の所で水浴びをするのを見たことがありますよ。とてもいい所です」と語った。
ジョンソン一家は昨年逝去した父親に敬意を表して日本庭園にやって来た。「ここはとてもいい所で、安らぎや静けさをもたらしてくれる。静寂がどういうものか知っています。だからここに来たんですよ」と家族の一人が話してくれた。
ウィリアム・セイヨウ・シェン氏は3日から5日おきにフェニックス・ガーデンを訪れる。日本の72シーズンの移ろいを観察し、記録に留めているのだという。
シェン氏は浄土真宗の僧侶で、明府真影流手裏剣術も修行しており、自然とのつながりが深い。「興味深いですね、冬にはみんな枯れています。それがみんな息吹いて来て変わって行くんです。桜が咲いて散って、今はドッグウッドが花盛りです。これからツツジが咲いて…というふうに一つ一つが変わって行って、すぐに散って行きます。その移ろいが72シーズン。私はその変化を写真に収め、時には俳句に詠い、本という形にまとめようとしているんです」と話す。
シェン氏は花見祭りや子供の日にブースを出し、俳句の作り方を教えていた。
高橋真実氏は野外ステージの足元にある石のひび割れに何かを施していた。これは、アーツ基金、シカゴ・パーク・ディストリクトと高橋氏の企画により、パブリック・アート活動として実施しているもので、近年のパンデミックやロシアのウクライナ侵攻などで心を痛める人々に癒しを提供するものだという。
高橋氏が使っているのは金継ぎという日本の伝統技術で、本来は割れた磁器や陶磁器をつなぎ合わせて修復する時に使われる。金継ぎには漆が使われるが、屋外のアートにはエポキシ樹脂を使っている。高橋氏はこの樹脂に金の粉を混ぜ合わせ、石の割れ目に樹脂を流し込んでいる。金は能舞台でも使われることから、日本庭園の舞台にも良いだろうと高橋氏は語る。
高橋氏は金継ぎのワークショップを開いており、いろいろな地域に住む人達の作品を集めて、この秋には作品展を開く予定だと語った。