シカゴマラソン:細谷選手2時間7分台で6位、車椅子の鈴木選手3位

女子マラソン世界新記録、安井選手のスポーツマンシップも

2024年バンク・オブ・アメリカ・シカゴマラソンの1シーンに、日本人招待選手の姿が見える。左より、安井雄一選手、丸山竜也選手、定方俊樹選手。また、世界新記録を出したルース・チェプゲティチ選手の姿も見える(前列右2)
(写真提供:© Bank of America Chicago Marathon/Kevin Morris)

 世界6大メジャー大会の一つ、第46回バンク・オブ・アメリカ・シカゴ・マラソンが10月13日、秋晴れの下で開催された。今年のレースは52,150人が完走し、昨年の48,472人の記録を塗り替えた。

 夜が明けたばかりのグラント・パークにあるスタートラインでは、7:20 amに男子車椅子マラソンがスタート、7:21 amに女子車椅子レースがスタートを切った。

 そして、7:30 amに男女招待選手によるマラソンレースが火ぶたを切った。その前にはスタートラインで、昨年のシカゴマラソンで2:00:35という世界記録を出したケルヴィン・キプトゥム選手(ケニア)の死を悼み、黙祷が行われた。また、約5万人の出場者に、ビブに貼るメモリアル・スティッカーが配布された。キプトゥム選手は今年2月に自動車事故で死亡、同氏の記録はまだ破られていない。同国出身のアモス・キプルト選手は、キプトゥム選手に敬意を表して出場した。

 男子マラソン 結果

02:02:44でゴーするジョン・コリル選手
(Credit: © Bank of America Chicago Marathon/Kevin Morris)

 男子マラソンの結果は、ジョン・コリル選手(ケニア)が02:02:44で優勝。2位は02:04:39でフセイディン・モハメド・Esa選手(エチオピア)、3位は02:04:50でアモス・キプルト選手(ケニア)が入った。同選手は、2022年3月の東京マラソンで出した自己記録2:03:13には及ばなかった。

 日本招待選手 結果

 1位から5位までをケニアとエチオピア勢が占める中、細谷恭平選手(黒崎播磨)が2:07:20でゴールし、6位に入った。自己記録 02:06:35には届かなかったが、2022年シカゴマラソンの記録2:08:05を45秒更新し、今年の東京マラソンでは2:06:55秒をマークしていた。

 その他4人の日本人招待選手は、定方俊樹選手(三菱重工)が02:08:22で8位。安井雄一選手(トヨタ自動車)が2:10:11で11位、丸山竜也選手(トヨタ自動車)が02:11:07で16位、吉岡智輝(九電工)が02:14:04で21位となった。

世界新記録の02:09:56でゴールするルース・チェプゲティチ選手。後ろの走者はペースメーカー。
(Credit: © Bank of America Chicago Marathon/Kevin Morris)

女子マラソン 結果 

 女子マラソンでは、ルース・チェプゲティチ選手(ケニア)が02:09:56でフィニッシュラインを越え、世界記録を更新した。それまでの世界記録はティグスト・アセファ選手(エチオピア)の02:11:53で、約2分を縮める歴史的な世界記録となった。2位はセテュメ・アセファ・カビーデ選手(エチオピア)で02:17:32、3位はアイリーン・チェプタイ選手(ケニア)で02:17:51だった。

 後の記者会見でチェプゲティチ選手は「自分を誇りに思う。これは私の夢でした。世界記録を念頭に、多くを闘って来ました」と語った。

 

車椅子マラソン 結果

 車椅子マラソンでは、近年の定番通りマルセル・フグ選手(スイス)が01:25:54

で優勝した。2位は01:25:58でダニエル・ロマンチェク選手(USA)、3位に鈴木朋樹選手(トヨタ自動車)が01:26:05で入った。

他の日本勢は、渡辺勝選手(凸版印刷)が01:33:09で6位、洞ノ上浩太選手(ヤフー)が01:33:12で7位、トップ・アスリートの一人西田宗城選手(ホンダ)は不慮の事故に遭遇し01:39:35で18位だった。

 

日本人招待選手インタビュー

細谷恭平選手

細谷恭平選手

 細谷恭平選手は大学時代に駅伝で活躍し、黒崎播磨入社後の2度目のマラソンとして出場した2021年びわ湖マラソンで自己ベスト02:06:35をマークした。その後2021年福岡国際で2位の02:08:16、2022年シカゴで6位の02:08:05、2023年東京で02:08:10と安定した走りを見せていた。

 パリ五輪への出場を決めるMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)の出場権を獲得していた細谷選手は2023年10月15日に行われたMGCに出場するも、レース中の接触の事故により途中棄権となった。MGCファイナルチャレンジとしても設定されている2024東京マラソンでは2:06:55で日本人3位と健闘したが、MGC出場枠の3人には入れなかった。2度目となる今回のシカゴマラソンは2:07:20と2022年の記録を更新した。

Q:今日のレースは?

細谷:スタートラインに立つまでは、状態はかなり仕上がっている感じがあったので、自信を持って先頭集団で行こうと決めて走りました。前回は後ろの集団で進めたんですが、それだとタイムの頭打ちがありますし、これからは先頭の方で走らなきゃだめだと思っていたので。結果としては前回と同じ6番で、タイムも思った所まで伸びなかったですけど、前回とは全く違う難しいレース展開で、ある程度進展があったと思います。

 また、もっと海外のレースで走って行かないと、日本国内のレースばかり走っていたら戦えないかなぁと思っています。海外の路面は日本ほど整備されていませんし、ペースメーカも日本ほどきっちりしている訳ではない、そういう中で戦って行かなきゃならないのだと思います。

Q:今後については?

細谷:来年東京で開催される世界陸上競技選手権大会を視野に入れながら、年明けにトライします。狙う大会は大阪や東京マラソンもありますし、ワールドメジャーを視野に入れながらやって行きます。やはり世界レベルで戦って行かなきゃだめ、ワールドメジャーは選択しないといけないです。

Q:ありがとうございました

定方俊樹選手 (Credit: © Bank of America Chicago Marathon/Kevin Morris)

定方俊樹選手 

 8位、02:08:22でゴールした定方俊樹選手は、自己ベスト02:07:05を持つ。

 MGCには出場せず、2023年10月に中国・杭州で開催された第19回アジア大会に日本代表として出場した。最終日の5日に行われたマラソンで、中国選手らが猛スパートをかける一方、5位に浮上した定方選手は前方を走るLECHE選手(バーレーン)を猛追し、02:13:51の同タイムだが胸の差で4位を獲得した。

 パリ五輪出場をかけた2024年東京マラソンでは後半の強さを見せたが、2:09:15で日本人で8位、全体で20位となった。

Q:シカゴマラソンはいかがでした?

定方:初めてのシカゴマラソンでしたが、日本と違って(沿道の)皆さんが楽しみながら応援してくれているのが伝わって来て、苦しい場面もたくさんあったんですが元気にもなる楽しい大会でした。

Q:レースで走る選手達も日本とは違っていて、違和感などは?

定方:走っている他の選手については、結構自分のことに集中して走っているので。沿道の人達がたまに日本の国旗を持っていたり、外国人の人でも日本語でガンバレ、ガンバレと声を掛けたりしてくれたので、元気になりましたね。ちょっと手を上げたりしながら走りました。

Q:今日の調子はどうでした?

定方:自信を持って戦える準備をしてシカゴに入って来たので、調子は良かったです。タイムはちょっと期待していた所には届かなかったんですが、初めての海外でしっかりと戦え、いい経験になりました。

Q:時差もありますね。

定方:時差も初めての経験で、9日にシカゴ入りしたので時差はまだ抜けないままでしたけども、海外選手は日本に来る時にこういう経験をしながら結果を出してるんだというのも分りました。世界大会を意識するとこういう経験も必要なので、いい経験になりました。

Q:今後については?

定方:来年は東京で2年に一度の世界陸上競技選手権大会が開催されます。その参加標準記録の2時間6分30秒を今回突破するのを目標にしていましたが、そこには届かずに悔しいんですけど、また冬のマラソンでそういうところを突破して、世界陸上の日本代表になれるように頑張りたいと思います。

Q:ありがとうございました。

安井雄一選手 (Credit: Bank of America Chicago Marathon)

安井雄一選手

 安井雄一選手は高校時代から陸上競技で頭角を現し、全国高校総体1500mで8位に入賞した。大学時代には駅伝で活躍し、マラソン出場も2回の経験を持つ。トヨタ自動車入社後も2時間10分台前半の安定した走りを見せていた。2019年のベルリンマラソンでは11位、02:10:26で好走している。

 2023年2月の別府大分マラソンで自己ベストの02:08:48を記録し、同年5月のプラハでも02:10:33と好走し、ワイルドカードでMGC出場権を得た。同年10月15日のMGCは2:12:11で19位、パリ五輪出場はならなかったが、今年2月の別府大分では02:09:30で5位と好走した。初出場のシカゴマラソンでは2:07:00 台を狙ったが、2:10:11で11位となった。また、ゴール手前で稀少な場面にも遭遇した。

Q:今日の走りはどうでした?

安井:ハーフまでペースメーカーの1:03:30という所について行って、30キロ以降にペースメーカーがいなくなってからずっと一人になってしまったので、結構風を受けてきついなあと思ったんですけど、やはり沿道の応援が凄くて、本当に元気をもらいながら走りました。

Q:コースの最後の上り坂はどうでした?

安井:やあ、あれはきつかったですね。あの坂がきついかきつくないかで、余裕度が分かります。

実はあの坂の所で、女子マラソンのルース・チェプゲティチ選手が走っているのに気付いて、ヤバイと思いました。ゴールまでの残りの距離をスパートしたいけど、チェプゲティチ選手は歴史的な記録を目前にしていたので、このままスパートして一緒にゴールしたらテレビの歴史的シーンに大写しになってしまう。どうしよう!と思いました。

 本当は良くないんですけど最後はちょっと遠慮して、ちょっとペースを落としました。あの場面の判断は難しくて、チェプゲティチ選手の前でテープを切る事はできなかったですね。

Q:一秒を争うマラソン界だと思いますが、日本人の素晴らしいスポーツマンシップを示されたと思います。次回は厚かましさも?

安井:またシカゴマラソンにチャレンジできる機会があれば、ぜひ。

 こうやってシカゴを一回経験すると、次はもっと自信を持ってできると思います。本当に走り易いと思ったので、(目標に届かず)本当に今回は悔しいです。

Q:ハーフを過ぎて丸山選手よりも出て行ったのは、エネルギーに余裕があったのですか?

安井:35キロぐらいまでは結構身体が動いていて、結構いけるかと思ったんですが、やはり残りの5キロは向い風もあって、自分もちょっときつくなったのとで、ちょっと減速してしまったので。そこは一つの反省点です。

Q:今後は?

安井:自己ベスト2:08:40の更新、2時間7分台を一つの目標として出場しました。やはり世界の大会にチャレンジして結果を出す事が自信になって、日本に帰った時により自信を持ってレースできるかと思って出場しました。

 シカゴマラソンに向けてずっと丸山さんと二人で同じ練習を2、3か月やって来たので、自己ベストに近い記録を出して行こうと話し合っていたんですけど、今回ちょっと、二人とも悔しい走りになってしまいました。でも、自分の力は出し切れたと思っています。

Q:ありがとうございました。

左より、丸山竜也選手、定方俊樹選手、吉岡智輝選手

丸山竜也選手

 丸山竜也選手は学生時代から長距離や駅伝で活躍した。社会人となってからは市民ランナーとして2019年京都マラソンに出場し、02:16:27の大会新記録で優勝した。また、2020年大阪ハーフマラソンでは01:01:58の大会新記録で優勝し、同年12月の防府読売マラソンでは、02:09:36で優勝した。2022年9月のベルリンマラソンでは自己ベストとなる02:07:50を記録し、8位に入った。これによりMGC出場権を獲得した。

 2023年、丸山選手はケガに悩まされたが、2024年香川丸亀国際ハーフマラソンで自己記録を45秒縮め、続く大阪マラソンでは02:07:52で6位に入った。そして丸山選手は二度目となる世界メジャー大会シカゴマラソンに臨み、自己ベスト更新は成らなかったが02:11:07で16位となった。

Q:シカゴの走りはどうでした?

丸山:シカゴという大都市を走れたことは、本当に光栄だと思います。こんなにいい所を走れる機会はなかったので、凄くいいレースだったなぁと思います。

Q:ハーフの所まで、安井選手と一緒に走っていましたね。

丸山:安井の後ろが走り易かったので、その後ろに付いてずっと走ってました。

事前の練習で、余りいい形で練習を積めていなかったので、不安要素もあったんですけど、やはりやるべき練習をちゃんとこなせなかったのが、今日の結果に繋がったという風に思っています。

Q:ベルリンや大阪では7分台を出してますね。今日は道路状況など走りにくさがあったのですか?

丸山:事前に去年のレースなどを見てイメージは作っていたんですけど、実際に走ったのは今日が初めてです。

 道路の荒れはそれ程感じず、走り易いなぁとは思いました。今日は余裕がなく、着いて行くのに精いっぱいだったので、沿道の様子は…。

Q:安井選手と丸山選手は同じトヨタで、一緒に練習されていましたね。

丸山:やはり後半の方は、僕より安井のほうがいい練習ができていたので、練習通りの結果だと思っています。

Q:今後のご予定は?

丸山:今のところレースの予定はないので、一度身体を休めます。でもチームとしては駅伝もあるので、そのメンバーに絡まなくてもチームの底上げができるように、チームのために貢献できるような走りをしたいと思います。

Q:ありがとうございました。

 

車椅子マラソン選手インタビュー

 マルセル・フグ選手

マルセル・フグ選手

 マルセル・フグ選手は1986年生まれ。脊椎骨に生涯を持って生まれ、車椅子の生活となった。

 10歳で車椅子陸上競技を始め、2004年にアテネパラ五輪にスイス代表として初出場し、800mと1500mで銅メダルを獲得した。以後、2012年ロンドンパラ五輪から陸上競技と車椅子マラソンに出場し双方とも銀メダル、2016年リオパラ五輪では金メダル、2021年東京パラ五輪で金メダル、2024年パリパラ五輪も金メダルを獲得した。

 またこの十数年に亘り、世界メジャー大会の殆どで優勝している。2021年の大分国際車椅子マラソンでは01:17:47という世界記録を打ち立てた。

Q:この十年来、殆ど負け知らずですが、強い精神をどう保持されていますか?

フグ:練習に励み続けるためにいつも良いモティベーションを持ち、明日に向けて確固たる自信を持つことですね。

 しかし、今日のレースは後続者との距離が非常に近く、みんな全速力でゴールしました。とても接戦でしたが、これからも彼らと戦い続けたいと思います。

Q:フグさんは他の選手達に、フグ選手の記録を破りたいというモティベーションを与えていると思いますよ。渡辺勝選手がよく「我々も何とかして勝ちたい」と言われています。

フグ:私も皆さんが勝ちたい!ポーディアムに立ちたい!というモティベーションを持っている事を望んでいます。彼らはぜったいに(勝つことを)諦めませんよ。彼らは2位でも3位でもゴールして来て、将来が彼らに勝利をもたらすと思います。

Q:ありがとうございました。

 

鈴木 朋樹選手

 鈴木朋樹選手は生後8か月の時に交通事故で脊髄を損傷し、小学校1年の時に両親の勧めで車いす陸上を始めた。専門分野は中距離とマラソンの二刀流。

 2015年から東京車椅子マラソンに出場し2位、2016年ジャパンパラ陸上競技大会と関東選手権の800mで優勝、同年大分国際車椅子マラソンで2位、2017年東京車椅子マラソンで3位、同年世界パラ陸上競技選手権大会の800mで5位、1500mで7位、2019年ロンドンマラソン(兼世界選手権)で3位、2020年東京車椅子マラソンで大会記録1:21:52を出して優勝した。

 2021年東京パラリンピックに出場し、400メートルユニバーサルリレーで銅メダルを獲得、東京パラ五輪のマラソンは7位だった。

 今年は東京車椅子マラソンで優勝し、パリ・パラリンピック車椅子マラソンで銅メダルを獲得した。

Q:素晴らし実績をお持ちですね。シカゴは初めてですか?

鈴木:コロナのパンデミックになってから来ていませんが、シカゴは3回目です。パリのパラリンピックが終わったタイミングだったので、久しぶりにシカゴに来ました。

Q:3位、良かったですね。

鈴木:パリに出ていた選手が余り多くない状態だったので、その中でどういうレース展開ができるかという事にこだわってレースをしたと思います。

Q:ハーフまで1位、2位と同じタイムでしたね。シカゴのコースはいかがですか?

鈴木:健常者でも世界記録が出ているように、車椅子としても記録が出やすいコースなのかなぁと思っていますし、パリのパラリンピックのコースに比べたらシカゴは路面がきれいなので、風向きにもよりますけどもタイムは出やすいコースだと思っています。

Q:スピードがあり、接触したら弾き飛ばされそうに見えますが、気を付けている事は?

鈴木:それは特にないですね。お互いに接触はしたくないので、なるべく安全な所を走っていますし、やはりコーナーコーナーで日本に比べるとアメリカは路面が悪い所があるので、そういった所だけは気を付けています。

Q:生後8か月で障害者になられ、小さい頃からスポーツを?

鈴木:そうですね。4、5歳の頃から陸上だけでなく、バスケットやテニスにトライさせてもらって来ました。

Q:車椅子マラソンはいつ頃から?

鈴木:本格的に始めたのは小学校5年生ぐらいから。小学校高学年になってから真剣に陸上に取り組むようになったと思います。

Q:とても長いキャリアですね?

鈴木:そうですね。800mや1500mなどのトラックの種目も出ているので、マラソンに比べたら短い距離も走ってます。

Q:東京パラリンピックでは400mリレーで銅メダルを、パリの車椅子マラソンでは銅メダルを取られていますね。今後については?

鈴木:今年30歳になります。この車椅子陸上界のレジェンドというと50代の選手も多いので、まだまだ自分も30代からだなぁと思っています。

Q:近年いつも1位を独占されているマルセル・フグ選手の強さは何でしょうか?

鈴木:六角形のバロメーターで言うと、全体的に数値が凄く高いというのが彼の強さの秘訣でもあります。やはり、どのコースでも1時間20分前半で行ける力を持っているというのが、本来彼の真の強さかなぁと思っています。

左より、鈴木朋樹選手、渡辺勝選手、西田宗城選手

Q:ありがとうございました。

渡辺勝選手

 渡辺勝選手は1991年生まれ。中高時代に野球部で活躍、19歳の時に交通事故に遭い車いす生活となる。病院でリハビリ中に洞ノ上浩太選手に触発され、車いすレースを始めた。僅か2年で日本代表に選出され、世界選手権で銀メダルを獲得した。2023年、2024年の東京マラソンでは3位を獲得した。自己ベスト01:24:00を持つ。

Q:今日の走りはいかがでした?

渡辺:先頭の10人にどこまで喰らい付けるかというとこがポイントだったんですけど、残念ながら最後の5キロがもたずに切れてしまいました。鈴木選手も含めて強い選手が揃っていたので、もうちょっと喰らい付きたかったなぁっていう感じですね。

Q:今年の東京マラソンも3位で、好成績でしたね。

渡辺:東京は海外勢が少ないんで。こういう強い海外選手が集まるような大会で、もうちょっと上に入りたい。基本的にメジャー大会はどんなに悪くてもトップ5というのを目標にしているんですけど、難しいですね。

Q:今回は先頭集団に喰らい付いて行ったんですね。最後の坂がきつかったのでは?

渡辺:そうですね。でも、僕は登りが嫌いなタイプではないので、上り坂が有利に、いい方に転んでいる可能性もあります。

Q:今後は?

渡辺:今年はメジャー大会6本全部出ています。まだニューヨークが残ってますけど。

Q:では最後の5キロを乗り切るためにもっと鍛えて、次回に備えて下さい。

渡辺:頑張ります!シカゴは好きなので毎年来ています。来年も頑張ります!

Q:ありがとうございました。

 

西田宗城選手

 西田宗城(にしだ・ひろき)選手は1984年生まれの大阪出身。20歳の時に交通事故で下半身不随となり、小学校から大学まで野球一筋だった西田選手のショックは大きかった。だが、リハビリ中の医師の「できない事を考えてはダメ。今できる事を考えろ」という言葉に鼓舞され、生き方を考えた。

 大学卒業後は運転免許証を取り、地元の市役所に勤めた。22歳の時に車椅子スポーツに出会い、その魅力に惹き込まれた。見る見るうちに力を付けた西田選手は2013年にプロに転向した。

 その結果はすぐに表れた。2014年、2015年の大阪車椅子マラソンで追従を許さない独走で優勝した。タイムはそれぞれ1時間29分、1時間27分。2016年の世界ランキングは4位、日本では3位と躍進し、自己ベスト01:25:16を持つ。2018年のパリ車椅子マラソンでは日本人初の優勝を決めた。

 2016年のリオデジャネイロ五輪を目指したが、僅か3秒差で代表入りを逃した。惜敗を晴らすべく東京五輪を目指すも、2021年のChallenge Tokyo Para in 立川で 4位と僅かに代表入りに届かなかった。

 だが、2021年第40回記念大分国際車いすマラソン 3位、ベルリンマラソン 7位、2022年の東京マラソン20213位、ボストンマラソン 9位、北海道マラソン 優勝、2023年大阪マラソン 2位、東京マラソン 9位、第42回大分国際車いすマラソン 10位と鍛え抜いた身体で粘り強い力を見せている。

Q:今日のレースは何があったのですか?まさかの18位でしたね。

西田:スタートから1キロ位の所で、ボコッと道路が浮いている所があって、そこにタイヤが引っかかってしまって転倒してしまいました。そこから集団から離れて、最後まで何とか完走しただけです。

Q:昨年洞ノ上さんが転倒された所じゃないですか?

西田:同じ所らしいです。気を付けなあかんと思ったんですけど、集団でスピードも出てたんで、なかなかそこまで気を配れなかったですね。

Q:ケガはありませんでしたか?

西田:擦り傷はあるんですけど、今のところは大丈夫そうです。今はレース後でテンションも上がっているので、明日になったら(傷みが分かるかも知れませんね。)

 僕は元々野球をやってたんですけど、事故をしてからこの車椅子マラソンのスピード感に惹かれまして。交通事故でへそから下が感覚がなく動かないです。もう今年40歳ですからね。ちょっとしんどくなって来ました。

Q:今は70、80歳代でも壮年期。今日はアクシデントでアンラッキーでしたけど、これからも頑張って下さい。応援しています!

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