シカゴ沖縄県人会2023年スプリング・パーティ
練習を重ねた沖縄芸能を披露、2人の新民間大使の誕生も
シカゴ沖縄県人会の2023年スプリング・パーティーが4月1日、シカゴ市北部にあるセント・ポール・ルーセラン・チャーチで開催され、特別ゲスト上江州安秀氏によるパフォーマンスが行われた他、同県人会メンバーが継承する沖縄伝統音楽や踊り、空手のパフォーマンスが披露された。
また、同県人会のハイライトの一つであるメンバー手作りの沖縄郷土料理がテーブルいっぱいに並べられ、来賓や他州のウィスコンシン、インディアナ、ジョージア、ハワイの沖縄県人会から出席した来客をもてなした。
シカゴ沖縄県人会プレジデントのリンダ・安里氏は出席者を歓迎し、昨年沖縄で開催された第7回世界のウチナーンチュ・フェスティバルについて報告した。シカゴ沖縄県人会から30人以上が4日間に亘る同フェスティバルに参加し、パレードやイベントに合流して素晴らしい時を過ごした。
ウチナーンチュ・フェスティバルは5年毎に開催される。安里氏は次回のフェスティバルに参加できるように今から準備をしておこうと県人会メンバーに呼び掛けた。
新民間大使の紹介
昨年11月にシカゴ沖縄県人会から新しく2人が沖縄県知事より民間大使に指名された。2人は同県人会で財務を担当するミチコ・イシカワ氏と、志道館沖縄小林流空手道アーリントンハイツのディレクター宇座ユウジロウ氏。
イシカワ氏は「長生きできる沖縄のヘルシー・イーティングを広めたい」と抱負を語った。
また、宇座氏は「シカゴの人々に護身のための沖縄空手の技をお見せしたい。今日の実演を見て楽しんで下さい」と語った。
民間大使、郁子・ニコルス氏
郁子・ニコルス氏は民間大使を12年間務め、30年以上に亘ってシカゴ沖縄県人会の役員や世話役として同会を盛り立てて来た。また、沖縄文化の象徴の一つである一対の獅子をシカゴにもたらしたのもニコルス氏だった。
ニコルス氏は2人の若い民間大使に沖縄文化の広報活動を託し、自らは辞任した。ニコルス氏の貢献を称え、デニー・タマキ沖縄県知事からメダルが、シカゴ沖縄県人会からはサービス・アワードが贈られた。
ニコルス氏は「シカゴ生まれでシカゴ育ちの男性と結婚し、日本から直通でシカゴに参りました。右も左も分からない時に先輩たちからシカゴ沖縄県人会を紹介され、その場で入会しました」と、故郷に繋がる安堵の気持ちを語った。
今や同県人会は三世、四世に繋げられ、若い会員も増えている。ニコルス氏は「2人のウチナーンチュ民間大使が承認され、新しい活動が生まれてくると思いますので、今後ともよろしくお願い致します」とメンバーのサポートを呼び掛けた。
田島浩志総領事挨拶
沖縄のシャツ「かりゆし」を着て出席した来賓の田島浩志在シカゴ総領事は、沖縄から特別ゲストとして来訪した上江洲氏を歓迎し、郁子・ニコルス氏の長年の貢献を称賛した。また、盛大なスプリング・パーティを準備した県人会メンバーの懸命な働きを称えた。
田島総領事は昨年の沖縄返還50周年に触れ、沖縄の歴史に思いをめぐらせ、先人から学び、沖縄の人々の人柄や自然、文化など沖縄の魅力とその価値を再確認する重要な節目だったと話した。
また田島総領事は、50周年記念式典において岸田文雄首相が、沖縄の復興に献身した沖縄県人への敬意を表し、アジアのゲイトウェイとしての位置にある沖縄の、国際交流のハブとなる重要な可能性について語ったことに触れた。
昨年10月に開催された「沖縄芸能チムドン!エキスポ2022」をオンラインで見たという田島総領事は「今後も文化行事の際には皆さんのご協力と共にやって行きたい」と述べ、「在シカゴ総領事館はシカゴ沖縄県人会の必要に応じて、喜んでサポートを提供して行きたい。2023年は皆さんの努力が沖縄、日本、そして米国の人々との理解を更に深める良い年になりますように」と挨拶を結んだ。
継承される沖縄芸能
舞台では沖縄の踊り「かぎやで風」や「かいのはとま」、三線グループの演奏「あさどや ゆんた」や「しまんちゅーのたから」、ウクレレのグループ演奏「なだそうそう」や「Take Me Home Country Roads」、宇座氏と生徒による空手パフォーマンスや板割りなどが披露された。
そして特別ゲストの上江州安秀氏とシカゴのチムドンドン・エイサー・チームによる、目の覚めるようなエイサーの踊りが繰り広げられた。上江州氏の素早い動きや目を見張るような跳躍力に歓声が上がる一方、チムドンドンの子供達の息を揃えた踊りや、その顔に浮かぶ「踊る事への誇り」が印象的だった。
上江州安秀氏
上江洲安秀氏は沖縄の創作エイサーチーム「龍神伝説」の総長を務める。龍神伝説は伝統的な琉球舞踊をベースに獅子舞や太鼓、旗踊りなどの新しい琉球芸能を取り入れ、勇壮なエイサーの踊りを創作している。
龍神伝説は海外にも活躍の場を広げており、シカゴ沖縄県人会の沖縄芸能パフォーマンスも指導している。今までに数回シカゴを訪れ、同会の結伝公演や日本祭りでのパフォーマンスを演出している。
上江洲氏インタビュー
Q:上江洲さんのジャンプの高さや動きの素早さに圧倒されましたが、どれ程訓練されているのですか?
上江洲:エイサーを21年間ずっとやって来ました。現在32歳ですので、人生の半分はエイサーをやっていました。
沖縄の子供達にもずっと指導させてもらっていて、いつかは自分と同じような子供達が増えて、世界の子供達と沖縄の文化でたくさん交流できたらいいなと思って、前に立ち続けています。
Q:今日のエイサーは上江洲さんが振り付けを?
上江洲:私が初めてシカゴの子供達と出会った時に、先にヤマキさんが振り付けしていたものをもう少し沖縄のエイサーの方に寄せて、少しリメイクしようという事で、ブラッシュアップした踊りです。
Q:太鼓を打ちながら難しい動きも多かったのに、動きや静止のタイミングも良く揃っていましたね。
上江洲:まず心を合わせるというところから始めました。子供達とのコミュニケーションを良く取るようにして、例えば休憩時間に一緒に遊んだり、車での移動中でもたくさん会話して、子供達がどういう風な事を考えているのかというのを常に意識しながら踊りの指導をしていました。一緒に踊る時にはメリハリをつけてビシッと決めるというところを常に共有していました。
Q:子供達が本当に真剣に踊っていて、彼らの表情には誇りが溢れていましたね。
上江洲:子供達の指導に呼んでもらって、時々シカゴに来ています。日本祭りにも参加しました。
コロナのパンデミックであったり、たくさんの苦難がありましたが、またこうしてシカゴ沖縄県人会の皆さんと沖縄文化を共有することができて、本当に嬉しく思います。
Q:ありがとうございました。