フェニックス・ガーデン、花見客に物語る130年の歴史

 170本の桜の植樹が植樹され、シカゴ市の公式な花見の場所となっているフェニックス・ガーデンで4月22日、花見イベントが開催された。フェニックス・ガーデンはシカゴ市南部のジャクソンパーク内にあり、産業科学博物館の南側に位置する。また、池を挟んでフェニックス・ガーデンの西側にはオバマ大統領博物館・オバマセンターが建設されている。

 同花見イベントはジャパニーズ・アーツ基金の主催、日本文化会館、シカゴ市パーク・ディストリクト、JCCC、在シカゴ日本国総領事館、フェニックス・ガーデン基金、秀舞会、司太鼓の協力で開催されている。

 当日はヒョウが降り続けるがあいにくの天気となったが、手がかじかむ寒さの中でも訪れる人々は絶えず、秀舞会の踊りの舞台には人垣ができていた。また、オノ・ヨーコ氏の創作作品SKYLANDINGの前では司太鼓によるオープニングの和太鼓演奏が行われた。

 オープニングにはシカゴ・パーク・ディストリクト局長&CEOのローザ・エスカリーノ氏;同じくアート・イニシアティブス・マネージャーのマイケル・ディミトロフ氏;同じく運営サポートマネージャーのカレン・ジーカー氏;田島浩志在シカゴ総領事;ジャパニーズ・アーツ・ファウンデーション・エグゼクティブ・ディレクターのセイラ・チャンバーズ氏、ジャパニーズ・カルチャー・センター・ディレクターのステファン・豊田氏らが出席した。

  フェニックス・ガーデン内では折り紙や俳句などのブースが設置され、日本文化の紹介も行われた。

田島浩志総領事(日本文化会館提供)

 挨拶に立った田島浩志在シカゴ総領事は「1893年に日本館として建てられた鳳凰殿は、世界遺産となっている宇治の平等院鳳凰堂を模したもので、フェニックス・ガーデンにその名が反映されている。コロンビアン博から130年を迎えた今年、このガーデンが日本とシカゴだけでなく日米の友情のシンボルとなっていること、そして日本の美しさを楽しむ場所になっている事は非常に喜ばしい」と語った。

 また、桜は春の到来を告げる象徴的な花として開花を喜び、家族や友人と束の間の花見を楽しむ日本の伝統について話し、束の間の開花であるがゆえに天候に左右されることがあり、「今日のように満開の桜は見る事はできませんでしたが、来年はもっと良い花見になるように期待しましょう。ぜひ来年も花見に来て下さい」と来訪者に呼び掛けた。


フェニックス・ガーデンと桜

シカゴと日本の約束

 フェニックス・ガーデンはちょうど130年前の1893年に開催されたコロンビアン万国博覧会に由来する。日本政府はその時に建設した鳳凰殿(フェニックス・パビリオン)を日米友好と日本文化を学び経験する場所としてシカゴ市に寄贈、シカゴ市は鳳凰殿の維持と保存を約束した。

 フェニックス・ガーデンは、まさに鳳凰殿が1946年に放火により焼失するまで存在していた場所で、130年の長い歴史の中で日米関係の浮き沈みを反映して来た。鳳凰殿一帯は時には忘れ去られ野鳥の住みかと化した時もあった。

  しかし、歴史研究家やシカゴ・パーク・ディストリクトや日本政府が協力し、1970年代から再開発に着手し、時には中断しながらもフェニックス・ガーデンとして蘇って来た。

 2016年にはオノ・ヨーコ氏によるアート作品SKYLANDINGが鳳凰殿の焼け跡に設置された。これは北米唯一の永久的なアート作品で、鳳凰殿の焼け跡から現れた12枚の花びらを持つ蓮の花をイメージしており、来訪者を蓮の花びらの中にいざない、世界平和は各々の内側から始まるということに気付かせるというオノ氏のヴィジョンを表している。

  フェニックス・ガーデンから科学産業博物館南側一帯にある170本の桜の植樹は、1893年のコロンビアン万博におけるシカゴと日本との友好関係の始まりから120周年を記念し、シカゴ・パーク・ディストリクトがフェニックス・ガーデン基金とシカゴ日本商工会議所(JCCC)の協力のもと、2012年から2013年にかけて実施した。

 そのうちの50本の桜はJCCCが創立50周年を記念して植樹したもので、更に2026年のJCCC創立60周年を記念し、2024年から26年までの3年間に毎年20本ずつ、合計60本の桜を植樹する。これは日本ビジネス・コミュニティのシカゴへの深い関わりを表すものだという。

  今やフェニックス・ガーデンはシカゴ・パークディストリクトによりメインテナンスが継続され、シカゴ市の桜の名所となり、歴史を学ぶ場所として、また憩いの場所として人々に知られるようになった。

オノ・ヨーコ氏によるアート作品「SKYLANDING」。鳳凰伝の焼け跡から現れた蓮の花びらをイメージし、世界の平和は各々の心の内側から湧き上がるものだとして、花びらの内側に来訪者を誘っている。SKYLANDINGの向こうには、建設中のオバマ大統領博物館・オバマセンターが見える。

 かつて鳳凰殿は、フランク・ロイド・ライトを魅了し、ライト独自の建築スタイルを触発させた。ライトが設計した旧帝国ホテルは安藤忠雄を建築家への道へ駆り立て、安藤忠雄の建築スタイルは米国の建築家クラパット・ヤントラサストを触発した。鳳凰殿のインパクトは130年の時を経ても人々の創造性を触発し続けている。

 鳳凰殿とこれらの人々の詳細は、ロバート・W・カーJr.氏執筆の「Okakura, Wright, Ono and the importance of the Garden of the Phoenix, Jackson Park」で読むことができる。リンクは

https://www.gardenofthephoenix.org/news/okakura-wright-ono-in-the-garden-of-the-phoenix-jackson-park

大型インタビュー

フェニックス・ガーデンを慈しみ次世代に繋ぐ

シカゴ公園局運営サポート・マネーシャーに訊く

シカゴ・パーク・ディストリクト(シカゴ公園局)の運営サポート・マネージャー、カレン・ジーカー氏

 「公園は人々の愛情がなければ、公園に感謝の気持ちがなければ繁栄しない。いつしか他の公園に取って代わられてしまう」と、フェニックス・ガーデンを慈しみ護って来たシカゴ・パーク・ディストリクト(シカゴ公園局)の運営サポート・マネージャーのカレン・ジーカー氏は語る。

 1893年のシカゴコロンビアン万国博覧会後、日本政府から鳳凰殿を寄贈されたシカゴ市は、日米関係の浮き沈みの中で、鳳凰殿は放火によって焼失したものの、その敷地と日本庭園を今日まで維持し、鳳凰殿を維持保存するという日本政府との約束を果たして来た。

 この役割を四半世紀にわたって担って来たのがカレン・ジーカー氏だ。そのジーカー氏にお話を伺った。

Q:フェニックス・ガーデン内の日本庭園を維持管理することになったのは?

ジーカー:当時、自営のランドスケープ・ビジネスをやっており、日本庭園の筋向いの公園の世話をしていました。これもコロンビアン万博から続くものでしたが、もう存在していません。

 (シカゴ-大阪姉妹都市提携20周年を記念して1993年に日本庭園は大阪ガーデンと命名された。)その大阪ガーデンでは1988年から2003年まで、大阪ガーデンフェスティバルが行われていて、そこに幼い息子を連れて行っていました。

 そこでフェスティバルを主導していたロバート(ボブ)・カー氏に出会いました。フランク・ロイド・ライトの研究やシカゴ大阪姉妹都市とコネクションを持っている人でした。

 その頃、シカゴ公園局は日本庭園の管理に助けを必要としており、私が引き受けることになりました。それでシカゴ公園局の職員になりました。

 当時は日本庭園の事は良く知りませんでした。

Q:日本庭園に深くかかわることになったのは?

ジーカー:当時、この日本庭園について多くの知識を持ち支援する人達の小さなグループがありました。彼らには人脈があり、この庭園に人々の注目を集める助けをしてくれました。

 彼らの中心にいたのがボブ・カーさんで、この庭園が持つコロンビアン博からの歴史、オオサト・ファミリーとの繋がり、フランク・ロイド・ライトとの関係、日系人強制収容まで、いろいろな事を話してくれました。話を聞くにつれ、私の日本庭園への情熱が掻き立てられて行ったんです。

 ボブさんは、鳳凰殿の焼け跡に建てるオノ・ヨーコさんの彫刻SKYLANDINGに深くかかわっていました。公開式典の時には多くのダンサー達がやって来ました。その人達が戦前まで鳳凰殿とこの庭園を管理していたオオサト夫妻の娘のソノさんと繋がっていたことは、本当に奇跡のような事でした。(ソノさんはバレエの才能を認められ、ミュージカル界やダンス界で活躍する著名人となり、多くの人々の尊敬を集めた女性。)

 ボブさんを通じて北米日本庭園協会と関係を持ったことも、私の知識を次のステージに引き上げる、重要な事でした。

 こうした歴史や世代に亘る人々の繋がりを肌で感じるにつれ、私はこの庭園を次世代に繋げる責任を感じています。

Q:日本庭園修復の必要性に公園局の行政部の人々の関心を向けるのは簡単ではなかったのでは?

 ジーカー:シカゴ公園局は多くの歴史的な場所を管理しており、その場所の遺産に敬意を払うためにコミュニティ・グループと共に仕事をしています。資金手当ての機会がある時には、公園局はミュニティの人々にプロジェクト開発や実施についての意見を出してもらうようにお願いしています。

 その様な時には公園局の行政部の人達にも直接現場に来て見てもらいます。この日本庭園にも来てもらい、ここの美しさに目覚めてもらいました。彼らはこの庭園が持つ自然との繋がりを感じ、この庭園に感謝の念を持ってくれました。

 以後、時間はかかりましたが、他の公園とは違う世話が必要であることを理解してくれました。

Q:この庭園は25年前と比べて、とても洗練されました。この間、幾多の苦労があったのでは?

 ジーカー:長い年月の間、この庭園に多くの人が注目する時、途絶える時、そしてまた注目を集める時がありました。私はこのサイクルに困惑しました。

 そして気が付いたことは、そこら中に多くの庭園がありますが、その庭園が繁栄し続けるには人々に愛されることが必要です。今は誰もがこの庭園にやって来て芝生や植物に水をやってくれ、雑草を抜いたりしてくれます。ですが、愛情を持って長く庭園との関係を維持してくれることが大切なんです。

 そのような人々がこの日本庭園を、そして私を助けてくれました。この仕事は、私の人生を形作るものでもありました。

Q:日本庭園が人生にどの様な影響を与えたのですか?

ジーカー:大阪ガーデンフェスティバルに幼い息子を良く連れてきましたので、息子はすっかり日本の事に興味を持って、この庭園が彼の心の特別な場所になりました。それから高校、大学と日本語や文化を勉強して、日本語を流暢に話します。キズナ・プロジェクトで日本にも行きました。今はもう27歳です。小さな息子がここのフェスティバルのテーブルに座って、絵を描いて色を塗っていたのを思い出します。

 だけど、息子は歴史的な日本、将軍や大名などの侍時代の日本に魅了されていましたので、アメリカ化された日本を見てがっかりしたようです。だけども日本への愛情や人々との繋がりは消えることはありませんから、いつか息子の心に日本の事が戻ってくると思います。

 Q:ジーカーさんも日本との繋がりをお持ちですか?

 ジーカー:私は日本に行ったことはありませんが、私の父は米空軍にいて、かなり長く日本に住んでいました。私は米国で生まれましたが、兄は日本で生まれました。アメリカに帰ってからも、ご飯好きだった父は兄の事を「ゴハン」と呼んでいました。母は電話に出る時は「もしもし」と言っていました。もっと日本に繋がる話がたくさんあります。

Q:先ほど、この日本庭園を次世代に繋げる責任を感じると言われていましたね。

ジーカー:私はそのうち引退することを考えるのですが、次世代に人と人との繋がりや庭園への感謝の気持ちを持ち続けることを確かに伝える強い必要性を感じています。この庭園をただ立ち去るわけには行きません。

 この庭園を世話してくれる公園局との契約者も大切です。姉妹都市提携20周年記念として和風庭門が寄贈された時には契約者が助けに来てくれました。また、2002年の庭園湖岸の修復や滝口の拡張にはシアトルから内山貞文氏が来て仕事を先導してくれました。これらの人々は日本庭園と強いつながりを持つ人々です。

 日本庭園に愛情を持ち強い関心を持つ人達がいることも伝えなければなりません。これらの人々から庭園の正しいメンテのやり方を学ぶだけでなく、自然への深い愛情と感謝の気持ちを持ちながら人間と関わる人達と繋がることで、大きな違いが生まれるのです。

  それからここに来る次世代の子供達のことです。踊りや音楽など日本の文化を知らないアメリカの子供達が大勢来ます。ここに座って子供達が日本のパフォーマンスを見る、それを助けてくれるのがこの日本庭園なのです。

 この庭園が造られた最初の目的は、まさに素晴らしい日本の美や建築物を分かち合い、理解を深める事でした。この庭園は歴史の真実を伝え続けなければなりません。

 私は歴史的な写真を見るのが好きです。鳳凰殿の写真を見ると、ここにあったという存在感を感じます。そして、この庭園が特別な場所であることに圧倒されます。庭園内に写っている人々や、その変わりゆく姿、そして50年以上もここに建っていた鳳凰殿を思う時、(この庭園を持続させる)より深い責任感を感じるのです。

 日本には歴史があり、それが日本の人々の振舞い、芸術、庭園、人への接し方、仕事の仕方などに繋がっています。ここは小さな庭園ですが、深奥な日本文化を持つ場所ですから、本当の日本の経験を維持できるように保護されなければなりません。池の向こうにオバマセンターが来ます。もっと大勢の人々が庭園を訪れるようになって、この庭園が特別な場所としての価値を失わないように保護しなければなりません。荒れてしまえば人々の愛情や感謝の気持ちが薄れ、この庭園は他の公園になってしまう事でしょう。

Q:ローズガーデンも世話をされているそうですね。

ジーカー:バラは殺虫などとても手入れが大変で、慈しむ心と愛情がなければ保存できません。ローズガーデンを保持したければ、正しい手入れの仕方を学び、それを他の人に伝えながら、正しいやり方で世話を続ける事です。

 日本庭園も同じです。知識人と繋がり、手入れの教えを請い、そして学んだことを人と分かち合う事です。

 それが理解できなければ、また庭園への感謝の気持ちがなければ、庭園は他のガーデンになってしまうでしょう。半端な気持ちではできません。100%のコミットメントが必要なんです。

 ばかげていると思うかも知れませんが、人に対するのと同じように庭園に愛情を注げば、庭園は応えてくれるのです。

Q:ありがとうございました。

(尚、カレン・ジーカー氏のインタビューは2022年9月に行われた。)

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