山田和樹氏シカゴ交響楽団デビュー、日本的感性で指揮を執る

シカゴ・シンフォニー・オーケストラによるフランク作「交響曲ニ短調」を指揮し、聴衆の拍手に応える山田和樹氏 - 2024年5月16日。(Photo credit: Todd Rosenberg Photography)

公演前に日本文化紹介イベントも

 指揮者の山田和樹氏がシカゴ・シンフォニー・オーケストラ(CSO)に招聘され、5月16日、17日、18日、21日の4公演で指揮を執り、CSOデビューを飾った。また、最終日の21日にはシカゴ文化会館の主催によりシンフォニー・センター内で墨絵と書道の実演や池坊生花の展示が行われた。

 

 山田氏は、2009年第51回ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝して以来、日本国内だけでなく、海外においても目覚ましい活躍を続けている。山田氏は2023年春からバーミンガム市交響楽団(CBSO)の首席指揮者(音楽監督)とアーティスチック・アドバイザーに就任し、2016/17シーズンからモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団(OPMC)芸術監督兼音楽監督も務めている。

 

 CSOの公演で山田氏は、西洋音楽と日本の伝統音楽をいち早く統合し世界で名声を高めた作曲家・武満徹の「How slow the Wind」、2曲目は19世紀後半の交響曲として高く評価されている叙情的な美しさの中に陰鬱な激しさを併せ持つセザール・フランクの「交響曲ニ短調」を指揮した。インターミッション後はソロイスト、マルティン・ヘルムヒェン氏を迎え、ベートーベンのピアノ・コンチェルト「No. 1 in C Major, Op. 15」を指揮し、山田氏とヘルムヒェン氏はスタンディングオベーションを浴びた。

 山田氏の指揮は素晴らしかった。指揮を執る動きは流れるようにエレガントで美しく、演奏家達の芸術性を引き出すように誘いをかける。音楽家達を指揮者の力で引っ張るのではなく、心で引っ張っているように感じられた。

 

 CSOのハンドブックによると、山田氏が小澤征爾氏の厳しい指導のもとで過ごした時間は、山田氏がクラシック音楽に対する「日本的感性」と呼ぶものの重要性を明確にするものだったという。日本人であれば「日本的感性」は言葉がなくとも「心」で分かる。だが、視覚的な体験は日本的感性の理解を助けてくれる。

 その意味でも、公演前に行われた日本文化の紹介は良いタイミングだった。会場では、パトリシア・ラーキン・グリーン氏が、枝に咲く桜の花を無駄のない筆運びで墨絵に表した。また、小田碧雲氏は大きな筆に墨を吸わせ、「響」という字を描いた。同会場では、池坊のチャールズ・ハリス氏による池坊生花の展示が行われた。

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指揮者・山田和樹氏

 山田和樹氏は、1979年神奈川県生まれ。東京芸術大学音楽学部指揮科で学び、小林研一郎氏と松尾葉子氏に師事した。その間、モーツァルトとロシア・ロマン派のレパートリーに魅せられた。

 2009年にブザンソン国際若手指揮者コンクールで優勝した山田氏は、国際的な注目を集め、以後ヨーロッパを中心に顕著な活躍を見せている。

 

 現在もNHK交響楽団や読売日本交響楽団など、毎シーズン日本で演奏活動を行っている。バーミンガム着任直後の2023年夏にはバーミンガム市交響楽団(CBSO)を率いて日本各地の巡回コンサートを行い、2024年夏にはモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団(OPMC)を率いて日本ツアーを行う。

 山田氏はバーミンガムとモナコの関係構築に尽力し、CBSO合唱団とOPMCとの合同パフォーマンスを実現している。2019年にはメンデルスゾーンの「エリヤブ」を、2023年にはオルフの「カルミナ・ブラーナ」を、今シーズンはヴェルディの「レクイエム」とマーラーの「交響曲第2番」をバーミンガムとモナコの両都市で公演している。

 

シカゴ・シンフォニー・オーケストラでデビューし、フランク作の「交響曲ニ短調」の指揮を執る山田和樹氏 - 2024年5月16日。(Photo credit: Todd Rosenberg Photography)

  山田は国際的に多忙なスケジュールをこなしている。2023年シーズンは、2023年夏のBBCプロムスでのCBSOとの再共演に始まり、タングルウッド音楽祭でのボストン交響楽団デビューと続いた。2023年秋にはCBSOを率いてドイツとスイスへのツアーを行い、2024年春にはヨーロッパでの追加コンサートを行った。ローマのサンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団、トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団、フランス国立管弦楽団への定期的な客演を続けている。また、ベルリン・ドイツ交響楽団、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団、マドリッドのスペイン国立管弦楽団でもデビューを飾った。

   山田氏はまた、ピアニストのマルティン・ヘルムヒェン氏を含む多くのソロイストと共演している。

 

 山田氏は、教育者としての役割を重視しており、スイス・ジュネーブにあるthe Seiji Ozawa International AcademyやCBSOのアウトリーチ・プログラムに毎年ゲストアーティストとして指導している。日本での生活を経て、現在はベルリン在住。(以上、CSOのハンドブックを参考)

 

 山田氏は、2025年6月12日、13日、14日の3日間、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団でデビューする予定。

 公演内容予定は:

・レスピーギ:交響詩「ローマの噴水」

・武満徹:ウォーター・ドリーミング (フルート:エマニュエル・パユ)

・サン=サーンス:交響曲第3番 ハ短調 Op.78 「オルガン付」

(指揮者・山田和樹氏の情報は「https://kazukiyamada.com」で。

作曲家・武満徹

 武満徹(1930-1996)は、いち早く西洋音楽と日本の伝統音楽を融合させ、交響曲を創作した事により世界に名を馳せた作曲家。

 肺炎の療養中にラジオから流れる音楽を聴いていた武満徹は、16歳で作曲家を志した。そして、楽譜を勉強し始め、独学でピアノを弾き始めた。

 

 18歳になった武満は、清瀬保二を作曲の師として探し求めた。しばらくの間は断続的に清瀬に師事することもあったが、武満は殆ど独学で作曲を学んだ。(後日武満は、自らの主な教育源について「この日々の生活。音楽と自然のすべてを含む日常生活である」と語っている)。武満の作曲への取り組みで重要な点は、最初に学んだのは邦楽ではなく西洋音楽だったということだ。(武満は「戦争中、西洋音楽に飢えていた」と語っている。)

 

 武満が自国の音楽を意識するようになるまでに、さらに10年を必要とした。武満は究極的に、自らの作品に独特の感性を与える方法により、西洋の革新と日本の伝統の両方を同時に探求した。武満は、東洋と西洋の音楽世界の架け橋となった最初の重要な作曲家の一人となった。

 武満は、東洋と西洋の複雑な関係、言わば類似点と相違点からインスピレーションを得た。東西2つの音楽の統合は必ずしも容易ではなかった。(例えば、武満はかつて、日本の作曲家が(テンポの)速い音楽を書くのはとても難しいと発言している)。

 

 武満は外国人としてヨーロッパの音楽を学び、まず西洋音楽を知る者として自国の音楽を研究したため、他の作曲家よりも幅広い音楽理解を持っていた。彼はまた、インドネシアの山々を歩き、村々に立ち寄って彼らの音楽に耳を傾けた。

 

 武光は日本人として初めてオーストラリアの小さな離島を訪れ、そこで数日間、ブッシュマン達と過ごしたことがある。そして、彼らの音楽は武満が知っている音楽とは似ても似つかないことが分かった。アボリジニの歌と踊りは人間の経験と切り離す事はできず、何が音楽で何が生活なのか区別するのが難しいことに気づいた。ブッシュマン達には音楽という言葉さえなかった。

 

 1967年、武満はニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団からの委嘱で、初めて交響楽団と邦楽器のための作曲を試みた。その作品「ノヴェンバー・ステップス」は、「言葉では言い表せないほど深い違い」を受け入れることを余儀なくされたと武満は言う。これらの伝統と文化の融合において、武満は我々の未来を予見していた。「私は、やがて多様な民族から生まれた多様な文化が一つの統合体に融合し、人類が巨大で地球規模の一つの文化を持つようになると信じている」と武満は述べている。

 

 武満がこの国で初めて注目されたのは、1963年のラヴィニア音楽祭で小澤征爾がCSOを率いて武満作曲の「弦楽オーケストラのためのレクイエム」を米国で初演した時だった。イーゴリ・ストラヴィンスキーは、その2年前に日本を旅行した際、偶然にもラジオ局のエンジニアがこの曲をかけてくれたのを聴いたことがあった。かけ間違いに気づいたストラヴィンスキーは、武満の作品を最後まで聴くことを求めた。そして聴き終わるとすぐに、これはマスターピースだと述べた。武満はすでに10年以上作曲を続けていたが、これは彼にとって初めての大規模な楽譜だった。親友であり師であった日本の映画作曲家、早坂文雄を偲んで書かれたもので、武満の晩年の作品の繊細で緻密な印象派的音世界を先取りするものだった。

 

 1967年2月、猛吹雪でオヘア空港が閉鎖され、武満は1週間近くシカゴに足止めされた。武満は時間をかけてシカゴ美術館を訪れ、そこでオディロン・ルドンの作品に惹かれた。

 それから約20年後、武満がCSO創立100周年を記念する曲の作曲を依頼された時、彼が最初に思い浮かべたのはルドンの2つのイメージ「ミスティア」と「閉ざされた眼」だった。その結果生まれたオーケストラ・スコア「ヴィジョン」は、1990年3月8日、ダニエル・バレンボイム(当時のCSO音楽監督)の指揮のもと、シカゴ・シンフォニー・センターで初演された。

 

シカゴ・シンフォニー・オーケストラでデビューし、武満徹作「How slow the Wind」を指揮する山田和樹氏 - 2024年5月16日。(Photo credit: Todd Rosenberg Photography)

 今回のコンサートで演奏された絶妙なニュアンスを持つ作品「How slow the Wind」は、武満の「ヴィジョン」に続く1991年の管弦楽曲であり、文学、自然と木々、星座、庭園、雨などをテーマとした彼の多くの作品の一つである。同じ年に作曲された「夢の引用」と同様、この曲はエミリー・ディキンソンの詩の一節を出発点としている。以下は、そのディキンソンの詩の全文は:

How slow the Wind-

How slow the sea-

How late their Feathers be!

 

 「この作品では、抑制された色彩の微妙なニュアンスの変化によって、音の遠近感を作り出すことが試みられている」と武満は書いている。7つのトーンからなるモチーフは、メロディになる前の原素材のようなもので、波や風のように繰り返し循環して動く。そして、そのサイクルが繰り返されるたびに、情景はわずかに波打ち、微妙な変化を遂げる。(CSOハンドブックより)

 

ピアニスト、マルティン・ヘルムヒェン

 最も注目されるピアニストの一人であるマルティン・ヘルムヒェン氏は、数十年にわたり世界の最も重要な舞台で演奏している。印象的な音色の感性と技巧を駆使した独創的で力強い解釈は、彼を音楽家として際立たせている。

 2020年には、アンドリュー・マンゼ指揮ベルリン・ドイツ交響楽団とのベートーヴェンのピアノ協奏曲の録音(アルファ・クラシックス発売)により、名誉あるグラモフォン音楽賞を受賞。2022年には国際クラシック音楽賞を受賞した。

 

ソロイスト・マルティン・ヘルムヒェン氏を迎え、ベートーベンのピアノ・コンチェルト「No. 1 in C Major, Op. 15」を指揮する山田和樹氏 - 2024年5月16日。(Photo credit: Todd Rosenberg Photography)

 2023-2024年シーズンは、待望のBBCプロムスでのデビューで幕を開け、サカリ・オラモ指揮VVC交響楽団とブラームスのピアノ協奏曲第2番を共演した。その後、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、NHK交響楽団、ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団、フィルハーモニア・オーケストラ・ロンドン、ベルリン放送交響楽団、フィルハーモニア・チューリッヒ、ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団、ポツダム室内管弦楽団、ブレーメン・ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団(ベルギー公演を含む)などで演奏。2024年2月には、妻でチェリストのマリー-エリザベート・ヘッカー、ヴァイオリニストのアウグスティン・ハーデリヒとのピアノ・トリオ・ツアーに出発。今後は、フランクフルト放送交響楽団などとの共演が予定されている。

 また、マルティン・ヘルムヒェン氏はソロイストとして、CSOを始め多くのオーケストラや、山田和樹氏を含む多くの指揮者と共演している。(CSOハンドブックより)

 同氏の詳細は、https://www.martin-helmchen.de(日本語あり)

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