豊秋本命名お披露目、豊秋宇女紫、豊秋千東勢、豊秋東穂

東京にある豊秋本の当主・豊秋豊子氏より命名を受けたタウラ・キク氏(左)、青木希音氏(中)、青木美弓氏。(Photo Credit: AIRMW)

 豊秋三味線の「豊秋本命名お披露目の会が4月21日、シカゴ市ノースサイドにあるAsian Improv aRts Midwestの新道場で行われ、日本・日系コミュニティの人々が出席した。

 この度命名を受けたのは、豊秋三味線を学ぶタウラ・キク氏、青木希音氏、青木美弓氏の3人で、タウラ氏は「豊秋宇女紫(とよあき・うめし)」、青木希音氏は「豊秋千東勢(とよあき・ちとせ)」、青木美弓氏は「豊秋東穂(とよあき・とうほ)」と豊秋本の当主・豊秋豊子氏から命名された。

 豊秋本は江戸時代中期から続いた置屋で、東京四谷にあった4軒の置屋の一つ。置屋とは住み込みの芸者さん達を、料亭などの依頼によって派遣する家で、芸者さん達の芸事の教育も行う。

 現在豊秋本は料亭となっており、当主の豊秋豊子氏が置屋時代のお座敷芸を継承している。豊秋本では日本舞踊や茶道、華道のような厳格な規制を持つ「家元制度」ではなく、「命名制度」を江戸末期から取り続けており、豊秋本から命名された者は、豊秋の名前で三味線を演奏することが許される。今回命名された3人は、豊秋本のお座敷三味線の伝統を継承する五代目となった。

豊秋本の当主・豊秋豊子氏より豊秋東穂氏に授与された命名書 (Photo Credit: AIRMW)

 一方、豊秋の名前を持ちながら家元制度の名前を取る事も自由で、豊秋豊子氏も、その母の豊秋アキ氏も日本舞踊や小唄の名取りとなっている。

豊秋本で写真に納まる、左より宇女紫氏、東穂氏、当主・豊秋豊子氏、千東勢氏、三寿路氏=青木タツ氏 (Photo Credit: AIRMW)

 既に祖母の豊秋アキ氏から命名を受けた豊秋三寿路氏(とよあき・さんじゅろ=タツ・青木氏)に伴われ、3人は昨年5月に東京の豊秋本を訪れ、命名のための一連の儀式に臨んだ。

 儀式は一週間続き、豊秋豊子氏から伝統の吸い物の作り方や食材の伝授、着物や帯の着付けの伝授を受けた上で、トレーニング最後の日に3人は豊子氏や豊秋本の家族の前で6曲の三味線課題曲を演奏し、豊子氏の承認を受けて命名された。

 三味線の曲は、曲によってチューニングを素早く変える必要があり、4つあるチューニングのうち少なくとも3つのチューニングを習得しておかなければならない。

 

お披露目の会

 新道場で行われた命名お披露目の会では、お座敷三味線9曲が演奏された。

さくらを演奏するマツダ・ロス氏 (L)、ハマモト・ジョン氏 (L2)、三谷裕子氏 (R2)、タウラ・イアン氏 (R)

 オープニングは、誰もが知る曲だけに演奏も難しいと言われる「さくら」が豊秋三味線のメンバー、マツダ・ロス氏、ハマモト・ジョン氏、三谷裕子氏、タウラ・イアンさんにより演奏された。

 2曲目の「前ぶり・早間」はイントロ・ソングと呼ばれ、右手、左手の基本技術を学ぶ曲で、初心者はこの曲からレッスンを始める。同曲はハマモト・ジョン氏、三谷裕子氏、タウラ・イアン氏によって演奏された。

 3曲目の「鏑木・飲み会」は、芸者三味線で重要な即興演奏を学ぶ曲。即興演奏は、ジャズ、ブルース、ロック音楽でも重要な演奏で、今日のプロ音楽教育でも定式化されているという。特に宴席の客を楽しませる芸者さん達の三味線は、その場によって演奏を長く続けたり、短く切り上げる必要があり、芸者さんの即興演奏が非常に重要になる。同曲はハマモト・ジョン氏、マツダ・ロス氏、アシカワ・ロリ氏によって演奏された。

松の緑を演奏する豊秋宇女紫氏 (L)、アシカワ・ロリ氏 (C)、マツダ・ロス氏

 4曲目の「松の緑・お座敷まわし」は有名な長唄の一つで、各々の置屋でアレンジした各々のバージョンがある。豊秋本にも歌舞伎の杵屋家の師匠達が長唄三味線を教えに来ていた。それらに楽譜は無く、師匠達が弾く音楽を聴いて習うというやり方だった。松の緑もそのようにして習い、豊秋バージョンの「松の緑」が出来上がったのだという。この曲は、マツダ・ロス氏とアシカワ・ロリ氏によって演奏された。

 

 命名お披露目として、東京で演奏した課題曲6曲のうち、「荒木町巡り」、「黒田節」、「かきなべ」の3曲が豊秋宇女紫氏、豊秋千東勢氏、豊秋東穂氏によって演奏された。曲の間には、スムーズなチューニングの変更も行われた。

豊秋三味線の「梅は咲いたか」の演奏で踊る、藤間淑之丞師(L)

 最後に、豊秋三味線メンバー全員による「梅は咲いたか」が演奏され、藤間淑之丞師が踊った。また、青木美弓氏の篠笛と、青木希音氏の鼓を入れた「十五夜」が演奏され、お披露目式はお開きとなった。

 

命名者インタビュー

お披露目演奏で、命名のための課題曲6曲のうちの3曲「荒木町巡り」、「黒田節」、「かきなべ」を演奏する、左より豊秋宇女紫氏、豊秋千東勢氏、豊秋東穂氏。

豊秋宇女紫氏 

 豊秋宇女紫と命名されたタウラ・キク氏は日系三世で日本語も流暢。日本人と結婚し、20年間東京に住み、16年前にシカゴに戻った。

Q:東京の命名のための儀式はいかがでした?

宇女紫:命名のための儀式は、すごい経験でした。名前は、タツ・青木様のお母様に、いろいろと考えて付けて頂きました。以前に一度お会いしただけでしたので、男っぽい感じを持たれていたのですが、その後に私の女性らしさも感じて頂き、宇女紫という名前を付けて頂きました。

 16年前にシカゴに戻って、三味線はタツ先生にお願いして、12年ぐらい習っています。太鼓団にも入って、今は両方やっています。

Q:三味線はシカゴで始めたのですか?

宇女紫:三味線は日本で一年だけ勉強して、すごく楽しかったので、いつかまた勉強したいと思っていました。

 Q:曲の合間に素早くチューニングするのは難しくないですか?

宇女紫:難しいです。練習の時はゆっくりできますが、こういう演奏の時には音を聴いて、あまり時間をかけないでスムーズにチューニングしないと格好が悪いです。まだ習い中で、本当に難しいです。

Q:他に音楽は?

宇女紫:若い時はピアノを7年ぐらい勉強しました。でも嫌いだったから余り勉強しませんでした。

タツ先生とこのグループがあって、私にとって宝物です。本当にこのシカゴにいるだけで、どんなに幸せなのかねぇ。こういうコミュニティも本当にいいですね。ありがとうございました。

 Q:こちらこそ、ありがとうございました。

 

豊秋千東勢氏

Q:命名を受けて、どんなお気持ちですか?

千東勢:有り難いし、嬉しいですし、ちょっとプレッシャーがありますね。

儀式のために東京に1週間いて、その間に練習をして、豊秋本の当主でうちのおばあちゃんの前で演奏のお披露目をやって、それで許可を頂いてお名前を頂きました。名前は私の性格などに合わせて付けて頂きました。

Q:千東勢さんは鼓や太鼓もやられますね。

千東勢:はい。太鼓は二十年以上、三味線は十数年になります。

今回の命名で、受け継いでいかなければいけないという責任感は重くなりました。そういうプレッシャーを感じています。

 Q:ありがとうございました。

 

豊秋東穂氏

Q:日本の儀式はどうでした?

東穂:一週間毎日練習して、最後の日に皆さんの前で披露しました。

 日本にいると杵屋千鶴先生をはじめ、いろいろな方々が来て下さって、ちょっと緊張しました。こちらでもその分ちゃんと演奏できるかどうか、緊張しました。他の豊秋三味線の生徒さん達も随分頑張っていたので。

 Q:東穂さんは篠笛や日本舞踊もされていますね。

東穂:三味線は3年ぐらいです。笛は中学生の時からで、名取りまでまだまだです。日本舞踊もまだまだ勉強が必要なので、どれも頑張ります。

 Q:ありがとうございました。

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