大型インタビュー:柳淳総領事シカゴに着任
8月22日にシカゴ入りした柳淳(やなぎ・じゅん)在シカゴ日本国総領事を訪ね、9月5日にお話を伺った。
柳総領事は1966年12月生まれで栃木県出身。1985年に東京大学法学部に入学、1988年に外務省に入省した。
柳氏は入省後の研修で、英国のオクスフォード大学に学び、PPE(哲学政治経済)と呼ばれる学科で学士号と修士号を取得した。
柳氏は複数の日本大使館や在ウィーン国際機関・日本政府代表部、外務本省などで外交に従事する一方、2012年から2014年まで東北大学に教授として招聘され、学部生や公共政策大学院生に外交についての講義やゼミを行い、講義内容や生徒との対話から得たものを本に纏め、著書「外交入門 国際社会の作法と思考」を2014年に出版している。
Q:外交官を目指された動機についてお聞かせ下さい。
柳:高校2年の時に、漠然と国連で働きたいなと思って、理系から文系に転身しました。大学1年から2年にかけて、欧州や中国をバックパッカー旅行する中で、もっと色々な世界を見てみたい、国際社会で働きたい、と思ったのが切っ掛けでした。
Q:東京大学で法学部を選ばれたのは?
柳:当時の日本の法学部と言うのは、法律を勉強した後で様々な分野の仕事に就くジェネラリストを養成していたように思います。私自身、特に法曹を希望していたわけではありませんでした。
Q:オクスフォードでの研修はいかがでした?
柳:英国に渡ったのは1989年で、研修は1992年までの3年間です。
日本の大学と違って、チュートリアル制度と呼ばれる教授と一対一のセッションが1科目につき1時間ずつ週に1回ありました。10冊程度の本を指定され、ざっと読んで内容を大づかみにして、更にそれらを批判的に論理展開した10ページぐらいの小論文を書いて、教授と議論するという形です。2科目受けていたので、これが毎週2回でした。英語が母国語ではありませんし、かなり大変だった記憶があります。しかし、論理を展開して批判的に自分の意見を述べるという訓練はできたと思います。
Q:忙しい上に哲学は難しそうですが、どの様な勉強を?
柳:1年生の時は哲学者のデイヴィッド・ヒュームやジョン・スチュワート・ミルなどが課題図書でした。
Q:研修後の1992年、在ナイジェリア大使館に一等書記官として赴任されました。外交官としてのスタートはいかがでした?
柳:当時のナイジェリアの首都はラゴスという大都会で、いろんな意味でエキサイティングでした。小さな大使館でしたので、日本企業との関係、日本人の安全対策や保護、軍事クーデターや大統領選挙をめぐる政治の情報収集分析、総務や官房的な仕事など、色々できました。
赴任期間中、大使車が武装強盗に銃撃を受け、大使は無事でしたが車のドアに穴が開いたり、英国の同僚外交官がマラリアで命を落としたりという事もありました。しかし、振り返ってみれば、当時25歳から27歳でしたけども、若い頃の途上国勤務というのは良い経験になります。
Q:1994年に外務本省に戻られ、2001年から再び各国の日本大使館に勤務されました。
・2001年-2004年、在オーストラリア大使館 一等書記官
・2004年-2005年、在ロシア大使館 参事官(外政担当)
・2005年-2008年、在カナダ大使館 参事官
・2014年-2018年、在ベトナム大使館 次席公使
それらの国々の印象や興味を持たれた事などをお話し頂けますか?
柳:まずオーストラリアですが、私が赴任した当時、すでに同国における日本の存在感は大きく、私は多くの人に会って知己を得ることができました。
ジェフリー・ブレイニーの著書「距離の暴虐」という本がありますが、「遠くの英国・米国より近隣のアジア・日本」という認識も感じました。
モスクワでは、ロシアの対外政策、例えば露米関係、露中関係、ウクライナやジョージアなどの露の近隣諸国や中東諸国との関係、国連安保理改革等を担当しました。
当時からクレムリン(大統領府)で実際に物事が意思決定されているのか判断するのは簡単ではありませんでした。個人的にはロシア人に好感を持てる人が多かっただけに、現在の状況を残念に思っています。
カナダの首都オタワでは、アメリカへの関心が突出して大きいと感じました。西海岸のバンクーバーに行くとアジアへの関心が感じられますけれども。
カナダの元首相は「米国の隣で生活することは大きな象と寝ているみたいだ。象(米国)が寝返りを打つだけで、カナダはそれに影響される」と表現しています。「象につぶされないようにしなければならない。どんな象になっても、上手くやって行くことが大切」という意味と解釈されています。対米関係のマネジメントについての教訓と示唆を得ました。
ベトナムは日本との関係が緊密になって、非常にエネルギーを感じる国でした。社会主義、共産党の国ですが、だいぶロシアとは違う感じを受けましたし、日本とベトナムとの交流が大変活発で、日本の様々な方々のベトナム訪問があって、充実した約3年半でした。
私が赴任した国々の人達は、皆いい人でした。ベトナムの人、オーストラリアの人、ロシアの人、カナダの人も、皆大好きです。
Q:2008年にカナダから外務本省に戻られ、2010年まで国際科学協力室長を務められました。その間に米国科学振興協会関係者と議論したり、英国ロイヤル・ソサエティで発表されたりしたことを通して、科学技術外交を三つの柱に纏められたと聞いています。それについて伺えますか?
柳:現代では、多くの課題で外交と科学を融合させる必要があります。
第一に「科学技術のための外交」。人材頭脳獲得など各国間の競争的側面と同時に、例えばISS国際宇宙ステーションなどの大規模プロジェクトのための協調的側面もあります。そういった協調の枠組みを作るためにも外交が必要となります。
第二に「外交のための科学技術」。気候変動・防災・感染症などの地球規模課題の解決・対応に科学技術が必要です。また、日本の強み、国際貢献などのソフトパワーの源泉としての科学技術という視点があります。
第三に「科学的根拠を踏まえた外交」。地球温暖化の根拠・食の安全・処理水の扱いなどにおいて、「科学的に日本の立場は正しい」という主張は説得力を持ちます。
そういった、科学と外交との接点に関する仕事をしていました。
Q:2012年から2014年まで東北大学で教授を務められました。将来の外交官を育てるための仕事ですか? また、2014年に著書「外交入門国際社会の作法と思考」を出版されていますが、この本についてもお話を伺えますか?
柳:東北大学の公共政策大学院が、ワークショップ形式の1年間のグループ研究をコーチングするために霞が関から公務員を実務家教授として招聘している一環でした。
四半世紀に亘り外交の現場に身を置くなかで、国際社会における日本の立ち位置の変遷を感じ、今後の日本は人材、そのための若い人の教育と育成に大きくかかっている、日本の繁栄と安全保障にとって教育が大事だと考えました。教育と人材育成の場に身を置けることは私にとってチャンスでもありました。
最初は90分の講義をするのに10時間以上の準備時間が必要でした。
学部生・大学院生への講義録を纏めたのが、結果的に本の形になりました。「外交の理論と実践」を分かり易く、「知識」としてではなく「ものの見方・考え方」として伝えることが、出向中の自分にできる最善の貢献ではないかと考えたのです。学生がどういう風に考えているか、学生が理解しやすいように話すには、どういう順序、切り口、たとえ話がいいか。学生との対話と結論の中から、私の頭の中で漠然としていたものが具体的な形を持って現れ、多くのことを学びました。学生は素晴らしい先生でした。
Q:その学生さんたちも外交官を目指す人達だったのですか?
柳:そういう人も皆無ではありませんでしたが、基本的にはいろんなことを目指している学生でした。特に学部生はかなり地元志向を持っていて、東北大学地元の宮城県仙台市だけでなく、福島、岩手、秋田、青森などから優秀な人が集まっていました。彼らは地元に帰って、地元で活躍している人も多いと思います。
Q:2018年から2021年まで在ウィーン国際機関日本政府代表部で仕事をされていました。ここでは多岐にわたる交渉が行われる所だと思いますが、ここでのご経験を伺えますか?
柳:ウィーンにはいろんな国際機関があります。日本で良く知られているIAEAという国際機関もその一つです。その他、犯罪、麻薬関連組織、開発協力組織、宇宙関連など様々な国際機関がありました。
いろいろな交渉が行われているのですが、ここで行われるのは多国間(マルチ)外交です。多国間外交には、二国間外交とは異なる特徴・考え方・作法が求められると感じました。よく二国間外交では、誠実で約束を守るということが第一に来ますが、そういった二国間外交の価値観が必ずしも通用しない世界です。日本や米国だけでなく、どの国も交渉プロセスと結果を完全にはコントロールできない世界でした。
Q:2021年からシカゴに来られる直前まで、内閣情報調査室に勤務されていました。ここは行政に密着した部署だと思いますが、ご経験をお伺いしたいです。
柳:内閣情報官の下で内閣情報調査室の次長を務めました。内閣情報調査室の役割は、先ずは最高レベルの政策決定者である総理以下の総理官邸幹部を情報面から支えることです。
また日本の情報関係機関の調整役としての役割もあります。日米間の政治・外交・安全保障面での協力が拡大・強化されている中で、これを支える情報機能の更なる強化と、より付加価値の高い分析評価を政策サイドにタイムリーに提供することが求められています。
Q:前後しますが、1994年から2001年まで、外務本省で東南アジア、APEC、インテリジェンスなど、いろいろな仕事に就かれていました。その中で、パブリックディプロマシーも担当されていました。シカゴに総領事として着任されて、まさにパブリックディプロマシーを展開されると思いますが、それについてお考えをお聞かせ下さい。
柳:当時はまだパブリックディプロマシーという言葉は定着していなかったと思います。私がやっていたのは文化交流やJETや留学生などの人の交流、スポーツ交流などです。7年間の外務本省での仕事のうち、2年間その担当部署にいました。
パブリックディプロマシーは、中央政府だけを相手にする直接的な外交ではなく、「相手国の世論に訴えて、ハート&マインドを掴むことを通じて相手国に働きかけていくこと」を一般に指します。政権によって変わる事はありませんが、技術の進歩、特にSNSにより変化してきていると思います。
総領事館の仕事の大きな柱は、日本人コミュニティに対する支援と並んで多くのアメリカの人に日本の応援団、理解者、支援者になって頂く事です。
外交は抽象的な政府と政府の関係だけではなく、人と人との関係が基本です。魔法の杖はありません。地道に管轄の10州で、できる限り多くのアメリカの方と交わり対話を重ねる事で、また様々な文化、経済、人的交流行事を通じて、まずは我々が中西部の米国の方々に対する理解を深め、次に中西部の方々にも日本に対する理解を深めてもらい、この中西部の地から日米関係の発展に貢献したいと思っています。
その際に、総領事館ができることは人数的にも時間的にも空間的にも限られています。多くの日本人、日系人、名誉領事など、様々な団体や個人と連携協力して、皆を繋げるような役割を総領事館は果たしていきたいと考えています。
Q:今までの仕事の中で、印象に残っているエピソードがあればお聞かせ下さい。
柳:JETプログラムについて、20年以上前、それまでは北米などでのみ開催されていたJET同窓会を、初めて世界から招いて一堂に日本で開催したらどうかと提案し、実現しました。米国・シカゴに赴任して、多くのJETプログラム経験者が日米関係の架け橋として活躍している姿を見て、自分の事のように嬉しく思っています。
もう一つは、皇室による国際友好親善である外国御訪問の準備に携わり、様々なことを学び経験させて頂く光栄な機会を得ました。皇太子同妃両殿下のオーストラリア御訪問(2002年)、天皇皇后両陛下の英国御訪問(2012年、エリザベス女王陛下の即位60周年記念式典)、天皇皇后両陛下のベトナム御訪問(2017年)です。両殿下の御帰国の際に、見送りに現れたオーストラリアのハワード首相が、機体が見えなくなるまでその場を離れなかったこと、ハノイでの両陛下と元残留日本兵家族との面会など、心温まる場面が数多くありました。一番心に残る仕事の一つかと思っています。
Q:外交官になられて、この道を選んで良かったと思われることは? 特にプレッシャーを感じられる事などありますか?
柳:色々な背景を持つ色々な国の方々とお会いして、一緒に働いたり、議論したり、交渉したり、色々なものを見て回れるというのが良かった面かと思います。
外交官だから特別なプレッシャーや重荷を背負っているとは思っていません。もちろん総領事館としてやるべき事はしっかりとやりたいと思いますが、その上で、海外において仕事をしていく上でのチャレンジやプレッシャーは、企業で駐在されている方々が向き合っておられるものと大いに共通するのではないかと思います。
Q:シカゴについての印象をお願いします。
柳:まだシカゴの街を探索できていません。初めての米国生活勤務地として、海のような湖に面している大都会シカゴ、中西部に赴任できたことを光栄に思います。
シカゴの他は、居住しているエヴァンストンとノースウェスタン大学キャンパス内を散歩し、9月冒頭に日本祭りに参加するためにセントルイスに出張しました。街や道路や住宅から、スーパーで売っているもののサイズまで、そのスケールの大きさに驚くとともに、人々の寛大さと親切さを感じ始めています。これから、いわゆるMidwest Niceを大いに堪能したいと思います。
Q:最後にご趣味についてお願いします。
柳:才能があれば建築家かゴルファーになりたかったので、趣味と言えるかどうかは分かりませんが、余暇に建築やゴルフを楽しんでいます。シカゴの現代建築からフランク・ロイド・ライト設計の住宅まで、建築空間に身を置いて感じてみたいと思っています。
また、休日には米国人・日本人を問わず様々な方々と一緒にゴルフの世界に没入し、楽しい時空間を分かち合えたら嬉しいと思っています。
今まで色々な勤務地で、その土地ならではのものを楽しむようになりました。もちろん週末や休暇ですが、キャンベラではゴルフ、モスクワではバレエ、ウィーンでは音楽とオペラ。シカゴ・中西部ならではのものを楽しみたいと思います。
Q:どうもありがとうございました。