岸谷香さんを特別ゲストに、JCCC一堂に会して新年会
シカゴ日本商工会議所(JCCC)の新年会が1月15日の正午から3年ぶりにシャンバーグのルネッサンス・ホテルで開催され、750人を超える会員やゲストが一堂に会した。
同新年会は司会役を渋佐和佳奈氏(ニチエン・プロダクション)とクノップ・ケントン氏(増田舟井アイファート&ミッチェル法律事務所)が務め、後藤美郎JCCC顧問のリードによる日米国歌斉唱で幕が上がった。
庄野晃彦 JCCC新会頭(米州住友商事会社)や田島浩志在シカゴ総領事の挨拶をはじめ、補習校の百﨑野乃子さんによる新年の抱負の発表が行われた。
また、庄野新会頭と中尾敦新専務理事(全日本空輸)から、2022年度の辻亮平会頭(キッコーマン・フーズ)と渡辺卓専務理事(みずほ銀行)に記念品の贈呈が行われた。
写真左より:辻亮平前会頭、渡辺卓前専務理事、
中尾敦新専務理事、庄野晃彦新会頭
乾杯の音頭を取ったトム・デイリー・シャンバーグ市長は「シャンバーグには60社を超える日本企業があり、日本レストランもある。シャンバーグはイリノイ州のビジネスの場だ」と述べ、日本コミュニティを歓迎した。
乾杯後はチキン・ピカタとホワイトフィッシュをメイン・ディッシュに、昼食会が始まった。
写真右:日本ビジネス・コミュニティを歓迎し、
乾杯の音頭を取るトム・デイリー・シャンバーグ市長
庄野晃彦会頭挨拶
1月15日の会員総会において2023年度の会頭に就任した庄野晃彦会頭は「1966年に58企業・機関で設立されたJCCCは、法人・個人を含め会員数が500を超える、全米諸都市の商工会議所の中にあって大規模な組織団体となるまでに発展する事ができました」と話し、会員や地元の人々の支援に感謝の意を表した。
また、庄野会頭はJCCCが掲げる三大ミッションについて説明した。
1.会員サービス事業:時代ごとに必要とされるニーズへの事業・企画を実施し、日米ビジネス交流に努める。
2.教育支援事業:シカゴ双葉会日本語学校全日校と補習校を運営し、駐在員子弟やシカゴ在住の子供達へ高レベルの学習機会を提供する。
3.地域貢献事業:JCCC創立25周年事業としてJCCC基金を1991年に設立し、青少年や人材育成プログラムの支援などを実施する。基金設立以来590万ドル余りの寄付を行い、地域企業市民としての役割を果たしている。
庄野会頭は今年の活動として、シカゴ日米評議会主催のシカゴ・ジャパニーズ・ピクニックや、この夏4年ぶりの開催が予定されているジャパン・フェスティバル等のイベントに参画し、より広い日本紹介と日米交流を計画していると話し、「このような事業活動を通じて本会議所の存在意義を見つめ直し、地域の方々の温かい支援に感謝しつつ、日系企業および日本の当地におけるプレゼンスの向上に努めて参りたい」と述べた。
そして、今日のJCCCを築いた先人達の尽力に敬意を払い、新年会実行委員会や賞品提供企業の協力に礼を述べ、出席者の更なる支援と協力を呼び掛けた。
田島浩志総領事挨拶
田島浩志総領事は3年ぶりの対面でのJCCC新年会の開催を喜び、日本語弁論大会、シカゴ・ジャパニーズ・ピクニックやジャクソンパーク内の花見イベント、アンダーソン日本庭園での行事など、日系人と日本人間の交流や日米交流へのJCCCの協力に感謝の言葉を述べた。また、バラエティに富んだ新年会のプログラムを作ってくれた実行委員会の労をねぎらった。
田島総領事は今年の行事として大阪・シカゴ姉妹都市提携50周年などの周年記念行事や、東京で開催される日米中西部会に触れ、「昨年10月以降、日本への渡航が容易になったことで日本と中西部との人的交流も活発になった」と話した。
そして、田島総領事は着任以来の重視点として「在留邦人、日系人、そして日本に関心を持つ多くの米国人との関係強化を今年も推進し、より強固な日・中西部関係、日米関係の基盤作りに繋げたい」と語った。
最後に総領事館の最重要ミッションは「皆様が中西部において安全に安心して生活できるようにサービスを提供すること」だと述べ、懸念することがあれば遠慮無く総領事館に問い合わせて頂きたいと呼び掛けた。
今年の抱負 by 百﨑野乃子(補習校高等部3年)
百﨑野乃子さんはまず、「日本人は西洋人に比べて虫の音の捉え方が違うらしい」と、角田忠信博士の研究に言及し聴衆の興味を惹いた。これは、西洋人が右脳で虫の音を単なる「音」または雑音として捉える一方、日本人は左脳で「声」またはリーンリーンというような言葉で表せるものとして捉えているというもの。
百﨑さんは日本人の両親の間に生まれ、イリノイ州で育った。自宅では日本、外ではアメリカの生活環境の中で過ごしている。2つの文化間で過ごす中で「日本人らしさとは何か」と無意識に追求し、自分の中にある日本らしさを確認したいという気持ちがあることに気が付いた。
ある日、友人達と出かけた夏祭りで、店先に並んでいる食器を眺めていた。友人がきらびやかなデザインの皿に惹かれているのに対し、自分は土色の地味な茶碗に一番魅力を感じた。
その時に「これが日本人らしさなのか」とふと思った。既に自身の中に備わっていた質素で素朴なものを愛する日本人特有なものが、日本人としてのアイデンティティの証拠ではないかと思った。
百﨑さんは一時帰国をした際に、日本語をまだ上手く話せない外国の子供達の宿題を手伝うボランティアに参加した。
そこで子供達に宿題を教えているのは年配の人達だったが、日本語が上手く使えない子供達に敬意を示すことを忘れず、同じ目線で対応している様子に百﨑さんは驚き感動した。
「年齢や立場に拘わらず、素直に周囲から学び、真心と尊厳をこめて人や物に接する日本人ならではの在り方を私に教えてくれた」と百﨑さんは言う。
これから補習校を卒業し、アメリカの大学に進学して日本語を話す機会が激減するという百﨑さんは「素直さや素朴さ、常に敬意を忘れない姿勢を総て含めたことが日本人らしさだとしたら、今まで向き合うことができたこの日本人らしさを大切にしながら生きて行きたい。大人になっても虫の声を純粋に美しい音色だと思えるような人でありたい」と語った。
岸谷香 ライブパフォーマンス
昼食後、いよいよ岸谷香さんのライブパフォーマンスが始まった。岸谷さんは1980年代に結成したガールズバンド「PRINCESS PRINCESS」のボーカルとギターを担当し、「世界でいちばん熱い夏」「Diamonds」など数々の大ヒットソングを出した。1996年にPRINCESS PRINCESSを解散後もシンガーソングライターとして活動している。
2012年に東日本大震災復興支援のためPRINCESS PRINCESSを1年限定で再結成し、その後も岸谷さんは積極的に復興支援を実施した。近年も「KAORI PARADISE」や「岸谷香感謝祭」と題したライブを毎年実施している。
岸谷さんのライブは「世界でいちばん熱い夏」で始まった。
「2023年が希望で一杯の一年になるといいな」と客席に話しかけた岸谷さんは、シカゴとの意外な縁について語った。
岸谷さんの娘さんが4年前にシカゴ郊外のレイク・フォーレスト高校に入学し、今年卒業する。岸谷さんも母親としてシカゴと日本間を通い続けたという。
日本ではまだまだ室内でのマスク着用は必須で、会場で声を出すのもできないという。岸谷さんは「娘の人生を変えてくれたシカゴに感謝し、やっと実現したライブ・イン・シカゴを楽しみたいと思います」と話し、ヒット曲の「Diamonds」を歌った。そして「この作品があったからこそ2012年の東日本大震災の復興支援ができた」と話し、「音楽の力というのは素晴らしく大きなものだと痛感した」と語った。
岸谷さんは息子と娘の2人の子供を産んだ。子育て中の10年間は全く音楽活動から離れ、専業母親だった。
娘さんが小学6年生になった時、娘さんと一緒に久しぶりにロンドンに旅行した。そして、ロングランのミュージカル「マンマ・ミーア!」を見た。岸谷さんは二十数年前に見た事があるマンマ・ミーア!に感動の涙を流しながら「お母さんになったら全く違う人間になってしまうのかと思っていたのに、私にはまだこんな感性が残っていたんだ」と思い、そのことに深い感動を覚えた。
そして、岸谷さんは「私は娘にはすごく幸せになって欲しいと思うけど、私の母も私に幸せになって欲しいと思っていたんだろうなぁ」ということに、ふと気が付いた。「自分の人生もいっぱい夢を見て、(母が望んだように)、たくさん幸せになろうと思えた」。こうして岸谷さんは音楽活動を再開し、母の思いに気付いた事を歌詞にして「DREAM」という曲を作ったと話し、その曲を歌った。
その他、コロナで悶々とする中でデビュー時代のような明るい曲を作りたいと、PRINCESS PRINCESS時代のドラマーだった富田京子さんと作った曲「STAY BLUE」、「GET CRAZY!」などを歌い、年を追う毎に深みが分かるという「パパ」をアンコールで歌った。
岸谷さんのライブで興奮が冷めやらぬ中、いよいよ大詰めのクイズ大会と豪華賞品が当たる福引き大会が始まった。
クイズ大会では「ウサギの歯は合計28本?」「ベアーズはNFL創立時からチームがある?」「ダルビッシュ有選手は大谷翔平選手よりも背が高い?」など知っているようで知らないマルバツ式の問題が出された。10問の正解者は意外に多く、最後は箸で豆をカップから皿に移すゲームが優勝決定戦となった。
写真右:優勝をかけて箸で豆をつまむクイズ大会勝者の皆さん
渡辺卓実行委員長の挨拶
最後に渡辺卓新年会実行委員長が挨拶に立った。自らも含め50歳前後の参加者にとって、岸谷さんのライブは「感動の一言」で最高だったと話し、会場からは大きな拍手が湧き上がった。
渡辺氏は、楽しみにされている新年会はスポンサーとボランティアに支えられていると述べ、支援者や協力者に感謝の言葉を述べた。そして今年の様々なイベントへの参加、支援、協力を呼び掛けた。
渡辺氏の音頭により、JCCCの新年会は恒例の三本締めで幕を閉じた。