家庭料理、B級グルメ、エスニック料理食べて遊んでジャパニーズ・コミュニティ・ピクニック
日本人と日系人が一緒になってピクニックを楽しもうというイベント「ジャパニーズ・コミュニティ・ピクニック」が8月6日、バッシーウッズのピクニック・グローブ#32で開催された。
このピクニックは第二次世界大戦後にシカゴに定住した日系人の集まりとして発足し、闘魂柔道のホストにより何十年もの間ナイルズにあるバンカー・ヒル保護森林で行われて来たが、余り接点がない日系人と日本人が親しく話せる場を持とうと、2014年に初めての日系・日本合同ピクニックがシカゴ日系評議会(CJAC)と闘魂柔道アカデミー有志の主催で開催された。そして昨年よりバッシーウッズに場所を移して開催されている。シカゴ日系評議会のもと、シカゴ日本商工会議所(JCCC)やシカゴ日本人会(CJC)、日系の定住者会(JASC)やシカゴ市民協会(JACL Chicago)など、多くの日本・日系組織が同ピクニック開催に協力している。
会場には色とりどりの持ち寄り料理やスィーツが並んだ。闘魂柔道有志による豚の丸焼き、ハンバーガー、ホットドッグなどが提供され、テーブルには闘魂柔道25周年を祝う大きなケーキが用意されていた。一方、JCCCメンバーによる焼きそば、たこ焼き、ギョーザ、キムチチャーハンなどが香ばしい匂いを放ち、食欲を誘った。また、炎天下でシカゴ日本人会提供によるかき氷が人気を呼んだ。
芝地では乗馬、バレーボール、玉入れ、子供のゲーム、カラオケなどが終日行われ、大人も子供も大いにピクニックを楽しんだ。
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ピクニックの人々
田島浩志総領事
目深に帽子をかぶり、胸元を開いたカラーシャツ姿で料理を楽しんでいたのは、田島浩志・在シカゴ総領事。新報記者手焼きの餃子も試食してもらった。
すっかりピクニックに溶け込んでいた田島総領事は「コロナがまだ続いているにも拘わらず、去年に続いてこれだけ多くの方々や家族連れの方々が集まって、もの凄く活気のあるジャパニーズ・コミュニティのピクニックが成功裏に行われていることを大変嬉しく思います。日本、日系、アメリカの方々が和気あいあいと夏のひと時を一緒に過ごされていて、非常に素晴らしい事だと思います。こういう機会を実現してくれた主催者の皆さんをはじめ、ピクニックを開いている皆さんのご努力に敬意を表したいと思います」と語った。
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ブルース・コサカ氏
三世のブルース・コサカ氏は、夫人や友人達と木陰に陣取り、ピクニックを楽しんでいた。新型コロナによるパンデミックで一時途絶えたが、ピクニックには毎年来ているという。「子供達が小さい頃は、よく連れて来ていました。いつも楽しいことがいっぱいありますからね」と話す。
コサカ氏はシカゴ生まれ。両親はシアトル出身で、母はミネドカで強制収容を経験した。父のジョージ・コサカ氏はテキサス州サンアントニオ在住中に徴兵され、第二次世界大戦で戦った。終戦後に両親はシカゴで結婚し、父はノースウェスタン大学卒業後にグラフィック・アート仕上げ会社のユナイテッド・バインダリー・サービスを創設した。
ブルース・コサカ氏はシカゴ市のノースサイドで育ち、優秀校として知られるレインテック高校に通った。ブルース氏は「多くの三世がレインテックに行きましたよ。たぶんレインテックに行った50人か100人の三世の名前を言えますよ」という。
ブルース氏はユナイテッド・バインダリーを引き継ぎ、プレジデントとしてビジネスを継続して来た。60代半ばになったブルース氏は引退するために、つい最近ビジネスを閉じたという。
パンデミックはビジネスにも社会にも大きなインパクトを与えた。「印刷物は消えて行きますよ。子供達が新聞を読むのを見たことがない。いつもスマートフォンですよ。私もちょうど引退したいと思っていたので、ビジネスを閉じて人生を楽しんでいます」と語る。
一方、パンデミックのお陰でテレワークが定着し、ニューヨークとテキサス州オースティンに住む子供達が年に4回から5回は家に帰ってくるようになったとブルース氏は笑顔を見せる。
ブルース氏の楽しみは旅行。アイスランドやグリーンランドを回り、ちょうど帰って来たところだという。
「私はまた日本に行きたいですね。今はグループ・ツアーの人しか行けないでしょう。子供達が夏休なので2018年の7月に3家族で日本に行ったんですよ。非常に暑かったですけどね、また行きたいですよ」とブルース氏は語る。
「だけど、日本語を習っていなかったのは後悔しますね。一度母に、なぜ日本語を話さないのかと訊いたことがあります。戦争中に強制収容があったので、我々子供達にはアメリカ人以上にアメリカ人らしくなって欲しい、日本語は話しちゃダメ、英語だけを話しなさいと母は言っていました」と思い出を話す。「見てごらんなさい、ここにいる中国系や台湾系の友人達はみんな母国の言葉を話しますよ。しかし多くのジャパニーズ、僕らは日本語を話せないんですよ」と語った。
日系社会に貢献していた父のジョージ氏同様、ブルース氏も毎年欠かさずシカゴ新報に年賀広告を掲載してくれた。余談だが、新報記者はブルース氏と二十数年間電話で話すのみだったが、この日系ピクニックのお陰で思いがけずブルース氏と初めて対面することができた。
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中丸家とヴァ―ガス家
ネルソン&ハーザー・ヴァ―ガス夫妻は近所の中丸洋二&舞夫妻に誘われてピクニックに参加した。ネルソン氏は「息子たちが一緒にスポーツをするので知り合いました。切っても切れない、素晴らしい人達です」と中丸家との出会いを喜び、「(ピクニックは)素晴らしく、料理も大好きだけど、日本文化と人々が大好きです」と語る。
ハーザーさんは「ヌードルもライスもダンプリングもチキンも、何でも大好き。先日は中丸ご夫妻が寿司パーティに招待してくれて、寿司ロールの作り方を教えてくれました」と話す。
ネルソン氏は「我々はもっと平和と愛が必要です。我々の文化は違っていても、我々の間にそんなに違いはありません。(異文化を知ることで)もっと互いを知り合う事ができるんです」と語った。
洋二氏は約9年前にノースウェスタン大学の法学部に学び、夫妻は1年ほどシカゴ・ダウンタウンに住んでいた。その後ニューヨークに移り帰国し、今度は日本企業の法務部の駐在員としてシカゴ郊外に住んで約4年になる。ヴァ―ガス家とは子供のサッカーを通じて知り合い、仲良しになったのだという。
舞さんは「ピクニックはJCCCから連絡を頂いて、去年すごく楽しかったので、今年も参加させて頂きました。郊外はまた違った雰囲気で、凄くいいです」と話す。洋二氏は「日本人はもちろんの事、外国人の人も一緒に料理もイベントも楽しめて、もう最高です。個人的には郊外の方が好きですね。自然が豊かなのが凄く好きです」と語った。
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土屋厚士・愛夫妻
土屋厚士&愛夫妻は、アメリカ駐在は6年になる。このピクニックに来たのは初めてだという。
厚士氏は「(ピクニックは)凄くいいと思います。子供が遊べるところもあって、凄く楽しく過ごしています。焼きそばなども美味しかったし、かき氷も久しぶりに食べました。日本にはコロナでなかなか帰れないから、こういう会があるといいですね」と話す。
愛さんは「(郊外生活が)6年になって、すっかり慣れたとは言えませんが、ようやく周りに頼れる人も増えてきました。子供に付きっ切りなので、(趣味など)自分の時間はなかなかありませんね」と語った。
相撲に燃えるマットさん
赤いパンツにまわしを付けたマットさんが、相撲をしようといろいろな人に声を掛けていた。目を引く姿に興味を引かれインタビューを試みると「相撲が本当に好きなんです。シカゴ地区に住んでいて、相撲クラブを始めようとしています。大相撲はオンラインで見ています。日本にいた時はテレビで見ていました。なぜ相撲に興味を持ったかって?それは分からないけど、スポーツは好きじゃないから。今、行司を探さなきゃ」と、相撲をするのに忙しそう。
日本人男性と相撲をとったマットさんは、土俵際に足を残そうと頑張ったが押し倒されてしまった。短い一番だったが、マットさんは息切れするほど力が入っていた。
三兄弟のお国自慢料理
二抱えもあるような大きな鉄鍋で、羊肉をゆっくりと料理していたのはナーディン氏、スフークラット氏、エルダー氏の三兄弟。エスニックな雰囲気に誘われて話してみると、三兄弟はキルギスタン出身で、ロシア語を話す人達だった。シカゴまで飛行機で17時間かかるという。
ナーディン氏によると、子供達が闘魂柔道アカデミーで柔道を習っていることから、闘魂創始者のダグ・東野氏に呼ばれ、ピクニックに参加するのは2年目だという。
「このようなイベントに参加して、母国の料理を紹介するのはとても楽しみです。だからここで料理をしているんですよ」とナーディン氏は語った。
料理はまだ完成していなかったが、新報記者は味見に一切れ頂いた。羊肉は柔らかく程よく塩味が効いていて、非常に美味しかった。見た目よりも100倍ぐらい美味しいキルギスタン料理だった。