二世兵士巡回展「I Am An American: The Nisei Soldier Experience」シカゴ開催決定

タツロウ・マスダ氏が自分の店前に取り付けた “I Am An American” の看板。 (Photo from Christine Sato-Yamazaki’s presentation)

 偏見と人種差別の渦中から立ち上がり、第二次世界大戦で戦った日系二世兵士の体験をテーマにした展示会「I Am An American: The Nisei Soldier Experience」が2026年3月から開催される。これは全米11都市を巡回して行くもので、シカゴ市でも開催される。

 この巡回展は米国退役軍人ネットワークが主催し、米軍国立博物館や米軍歴史基金の共催で実行される。激戦下で戦った第100歩兵大隊や第442連隊戦闘団、米陸軍情報局(MIS)で任務に就いた全二世兵士は33,000人に及び、その兵士達のストーリーやその姿を実感させる物品を展示する。ストーリーの中には全米10カ所に強制収容された日系人12万人も含まれる。

 

 この巡回展の紹介イベントが5月3日、シカゴ市内にあるプリツカー・ミリタリー・ミュージアム&ライブラリーで開催され、エリック・シンセキ元米陸軍大将をはじめ、ジェイムズ・ムコウヤマ元米軍少将、ジェニファー・プリツカー元イリノイ州軍大佐、米軍国立博物館のタミー・コール氏、米国退役軍人ネットワークのクリスティン・サトウーヤマザキ氏、米軍国立博物館の同巡回展企画担当のポール・マランド氏、シカゴ二世ポスト元コマンダーのハワード・ヒエシマ氏らが挨拶や説明を行った。

 442部隊で活躍したイーノック・カナヤ氏とMISで奉仕したマサオ・メンダ氏が、会場に元気な姿を見せた。また、岸直哉首席領事や日本・日系コミュニティの面々も出席した。

ジェイムズ・ムコウヤマ氏

  1944年生まれのジェイムズ・ムコウヤマ氏は、朝鮮戦争とヴェトナム戦争でリーダーシップを発揮した。米軍史上最年少の少将となり、アジア系初の少将として陸軍師団を指揮した。

 ムコウヤマ氏は「私は日本人を先祖に持つアメリカ人であり、第二次世界大戦で戦った二世退役軍人によって確証された愛国心の誇り高きレガシーを継承する者だ」と自己紹介した。そして「今夕は皆さんに、日系アメリカ人が達成した功績の歴史的な背景とそのプロセスにハイライトを当てた特別巡回展についてお知らせするものだ」と話し、主な出席者を紹介した。

ジェニファー・プリツカー氏

  同巡回展のシカゴ開催地となるプリツカー・ミリタリー・ミュージアム&ライブラリー創設者のジェニファー・N・プリツカー氏は、同巡回展の開催は、家族が強制収容所に勾留されているにも拘わらず、33,000人の二世愛国者達がヨーロッパ戦線で戦い、勇気と忠誠心を確証したことを一般に知らしめるもので、非常に重要な事だと述べた。

 また、MISの二世メンバーは重要書類を翻訳し、日本人捕虜の尋問を通訳し、そして捕虜たちの世話もしてくれたと語った。

 タミー・コール氏

 ワシントンDCにある米軍国立博物館ではNVNの協力の元、すでに二世兵士関する展示が行われている。同博物館のタミー・コール氏によると、二世兵士の第二次世界大戦への貢献を物語る兵士達の持ち物の展示や議会名誉黄金勲章(コングレッショナル・ゴールド・メダル)にハイライトを当てた展示が行われている。2026年から始まる二世兵士巡回展時には展示品を更に充実し、現在の800平方フィートから1,200平方フィートに拡張する。

同博物館ではかねてより展示品の収集のために開催各地を訪問しており、シカゴでは定住者会のアーカイブも見学した。コール氏は、多くの知られざるストーリーがあり、これらを一般社会に知らしめる展示会を開くことを光栄に思うと語った。

クリスティン・サトウ-ヤマザキ氏

  NVNのクリスティン・サトウ-ヤマザキ氏は「I Am An American: The Nisei Soldier Experience」について語った。

 同巡回展のテーマでありタイトルになっているI Am An Americanは、1941年12月8日の真珠湾攻撃の翌日に、カリフォルニア州オークランドに住んでいたタツロー・マスダ氏が自分の店に掲げた看板に書いたものだった。この言葉は「タツロー氏とその家族は敵ではなく、皆と同じアメリカ人だ」と一般社会に表明するものだった。だが敏速な行動にも拘わらず、タツロー氏とその家族はアリゾナ州にあるヒルリバー強制収容所に送られた。

 ヤマザキ氏は「I Am An Americanというテーマは、二世達が『自らはアメリカで生まれ育ち、皆と同じく憲法と民主主義の基本原理を信じるアメリカ人である』という事を確証しようとした決意を象徴するものだ」と語る。

 この看板は、同巡回展示会に展示される。

 

エリック・シンセキ元陸軍大将が語る二世兵士

エリック・シンセキ元陸軍大将

 エリック・シンセキ元陸軍大将は日系三世で、2003年のイラク戦争の折に陸軍参謀総長を務め、数十万人の派兵が必要だと主張した。だが、ブッシュ政権は10万以下の少数派兵を曲げずイラクは混迷、シンセキ氏の予測が高く評価された。この出来事は日本でも良く知られている。その後シンセキ氏はオバマ政権下で退役軍人長官を務め、ノーマン・ミネタ氏に次ぐ2人目の日系閣僚となった。

 ポウディアムに立ったシンセキ氏は「二世兵士が成し遂げた功績に光を当ててくれた事に感謝したい」とNVNや協力団体に謝意を表した。

 そして、「突然の真珠湾攻撃後、日系人はアメリカのショック、怒り、嫌疑、被害妄想、不正、差別で攻撃される中、忠誠心、献身、勇気、決意、愛国心、犠牲、勇敢な行動を奮い立たせた」と苦境の中から立ち上がる二世兵士を表現した。

 二世兵士から成る第100歩兵大隊と第442連隊戦闘団は最も多くの勲章を受章しており、その記録は未だに破られていない。主な勲章は、名誉勲章21個、陸軍殊勲十字章29個、銀星章588個、青銅星章5,200個、陸軍称揚章36個、名誉負傷章4,000個、殊勲部隊章7個、そして議会名誉黄金勲章1個(100/442部隊とMISの全二世兵士が対象)。この他にも100部隊は、442部隊に編入される以前に受けた勲章がある。また、MISの二世兵士は諜報部門であるために個々の勲章は発表されないが、8つの殊勲部隊章を受章している。

 シンセキ氏は100部隊と442部隊の活動について次のように語った。

二世兵士 (Photo from Christine Sato-Yamazaki’s presentation)

 真珠湾攻撃後、1942年6月にハワイで第100歩兵大隊が組織された。だが日本との懸念から同月のうちにアメリカ本土に送られ、キャンプ・マッコイ(WI)とキャンプ・シェルビー(Miss)で訓練を受け、1943年8月にイタリアの激戦地に派遣された。

 シンセキ氏は「もし100部隊の功績がなければ、442部隊を見ることはなかっただろう」と話す。

  アメリカ本土では、ルーズベルト大統領命9066により約12万人の日系人の強制収容が可能となった。だが、家や商売を押収され、市民権を剥奪され、適正外国人のレッテルを貼られ、全米10カ所の強制収容所に勾留された。そのうちの65から66%は米国市民だった。シンセキ氏は皮肉交じりに「罪状?真珠湾攻撃ほう助だ」という。

 このような状況下で強制収容所から徴兵に応じたのが、会場に出席していたマサオ・メンダ氏とイーノック・カナヤ氏だった。

写真左より、442部隊のイーノック・カナヤ氏、MISのマス・メンダ氏と夫人

 1925年生まれのメンダ氏はカリフォルニア州サクラメントで生まれ育ち、1942年6月にトゥール・レイク収容所(CA)に、その後アマチ収容所(CO)に移された。徴兵に応じMISに配属された。

 同じく1925年生まれのイーノック・カナヤ氏はオレゴン出身で、ミネドカ収容所(ID)に収容された。徴兵に応じ、442部隊のFカンパニーに配属された。

 

 第442連隊戦闘団は1943年5月から1944年4月まで訓練を受け、同年4月22日にヨーロッパに向けて出発、6月にイタリアに到着し第100歩兵大隊と共に最前線で戦った。

 一方100部隊は1942年6月から1943年5月まで訓練を受け、同年8月にイタリアに向けて出発し、激戦の最前線で戦った。訓練中に多くの兵士が100部隊の補充として戦線に送られていた。

 1944年8月に100部隊は442部隊に編入され、442部隊は9月に南フランスに送られた。442部隊はドイツ軍に占領されていた町々を解放し、10月下旬にはドイツ軍に包囲されたテキサス大隊の救出に向かい、ボージュの森での激戦後、10月末にテキサス大隊を救出した。この時442部隊の重傷者は800人、43人が不明となった。

 442部隊は1945年4月にイタリアに戻り、ドイツ軍がゴシックラインと呼ばれる1000mの崖の上に築いていた要塞の攻略に就いた。442部隊は夜中に8時間をかけて崖をよじ登り、9か月間膠着していたゴシックラインを30分で陥落させた。この中にはイーノック・カナヤ氏もバズーカ砲手として含まれていた。その後連合軍と共にゴシックラインの掃討戦を行い、5月初旬にドイツ軍は降伏した。

 シンセキ氏は100/442部隊の戦いについて「ベスト・レベルの軍務だった」と語った。

 

二世兵士巡回展示会 開催地

ポール・マランド氏

米軍国立博物館のポール・マランド氏によると、二世兵士の巡回展示会の開催地は以下の通り。それぞれの開催地では、地元の二世兵士のストーリーや展示が追加される。

1. Japanese American National Museum (Los Angeles, CA)

2. MIS Historic Learning Center at Presidio (San Francisco, CA)

3. Oregon Historical Society (Portland, OR)

4. Hawaii

5. Heart Mountain Relocation Center (Park County, WY)

6. Pritzker Military Museum & Library (Chicago, IL)

7. Historic Ft. Snelling (Minnesota Historical Society)

8. National Medal of Honor Museum (Arlington, TX)

9. National World War II Museum (New Orleans, LA)

10. National Infantry Museum (Fort Benning, GA)

11. West Point Museum (West Point, NY)

ハワード・ヒエシマ氏

 ファンドレイジングを呼び掛けるハワード・ヒエシマ氏

 最後に米軍退役軍人でシカゴ二世ポストの元コマンダーのハワード・ヒエシマ氏は、同巡回展を実現してくれたVNVをはじめ米軍国立博物館や米軍歴史基金に感謝の言葉を述べた。

 ヒエシマ氏によると、同巡回展の費用はVNVが全米レベルでファンドレイジングを行うが、地元でも25,000ドル以上のファンドレイジングが必要となると述べ、地元団体や個人の協力を求めた。

寄付は下記のサイトから:

https://www.classy.org/campaign/illinois-campaign-traveling-exhibition-i-am-an-american-the-nisei-soldier-experience/c473598.

 

米国退役軍人ネットワーク (NVN) とは

 二世兵士巡回展「I Am An American」を主催している米国退役軍人ネットワーク(NVN)は、第二次世界大戦で戦った日系二世兵士の顕著なレガシーを将来の世代に伝え教育することを活動理念としており、既に100/442部隊やMISへの議会名誉黄金勲章(ゴングレッショナル・ゴールド・メダル)賞授与の全米キャンペーンを成功させ、2012年には米歴史博物館やスミソニアン博物館とパートナーシップを組み全米の7都市で議会名誉黄金勲章についての巡回展を実施している。またオンラインで日系兵士のストーリーを発信するデジタル展示も立ち上げている。サイトはhttps://nvnvets.org/。

 また、NVNは米軍国立博物館と共に2017年から2020年の間に二世兵士達の遺品の収集を行い、2020年にはスミソニアン・エイジアン・パシフィック・アメリカン・センターと共に小学校や中学行向けの教育カリキュラムを開発している。

   NVNのウェブサイトは: www.nationalveteransnetwork.com.

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